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今のキスは何なのだろうか。 本当に愛が籠っているかを、香穂子は見極めることは出来ない。 それは、吉羅を大好きであるが故のことだ。 キスが甘くて切なくて、どうして良いのかが解らない。 香穂子は吉羅を見た。 そのまなざしを見つめると、クール過ぎて何を考えているのかが、香穂子にはよく解らなかった。 吉羅とふたりでただ見つめあうことしか出来なかった。 「…私…本当は…吉羅さんに逢いに来たと言ったら、驚きますか…?」 「いいや…」 吉羅は香穂子をギュッと抱き締めてくる。 こうして抱き締められると、香穂子はドキリとしてしまう。 吉羅のことが本当に好きだ。 抱き締められて、キスをされて、もっと吉羅のことが好きになってしまう。 「私に逢いに来てくれて、有り難う…。私はずっと君を待っていたんだよ」 「え…? それは、この時空の私…ですか? それともそれではなく…、今、ここにいる私…ですか?」 自分で言っていて頭が混乱してしまう。 「解り難いですよね…。…私のたとえって…」 香穂子は苦笑いを浮かべると、吉羅を見た。 「いいや解るよ。私もどう表現をして良いのかが解らないが…、高校生の頃からずっと君を待っていた…って言ったら?」 「高校生って…あっ…!」 香穂子はそこでようやく気がつく。 「…あの時のことが吉羅さんの胸にきちんと残っているなんて思ってもみなかったです…」 「過去のほんの短い出来事だが、きちんと覚えているよ」 「え…?」 香穂子にとってはついこの間の話だが、吉羅にとってはかなり昔の話だ。 「…覚えていらっしゃったんですか?」 「勿論。かなりインパクトがあったからね。それに君の音は、私がヴァイオリニストとして足りない音だったからね。あのような温かな音色を奏でたいとずっと思っていたよ」 「吉羅さん…」 香穂子が吉羅を見上げると、フッと微笑まれる。 その笑みがとても綺麗だった。 「あれから暫くして私はヴァイオリンを止めてしまったから、君のような音を奏でる事はなかったけれど、それでも、あの音をずっと探していた。だから、君を見た時には驚いたけれどね。容姿までそっくりだったからね。音は、あの頃に比べて安定感はなかったけれど、直ぐに君だと解ったよ」 「…吉羅理事長」 香穂子が驚いたように言うと、吉羅は再び抱き締めてくる。 しっかりと抱き寄せられて、蕩けてしまうような幸せが滲んできた。 「日野君…、しかし時空を旅するなんて…、君は何でもありだね」 吉羅はニヒルさの含んだ笑みを浮かべている。 「正確に言えば、何でもありは、ファータどもなんだろうけれどね。本当にロクデモないことしかやらないからね。奴等は」 吉羅の言葉はきついものだが、その声には、ファータたちへの親愛の情が滲んでいる。 「何でもあり、というのは私も認めます…」 香穂子は苦笑いを浮かべると、吉羅を見た。 「時空を越えてくれて有り難う…。嬉しく思うよ」 「私…もう、理事長のことで後悔したくはなかったんです…。二年後に充分に後悔をしてしまうようなことが起こってしまったから…」 「後悔することって…?」 吉羅にストレートに訊かれたが、香穂子は伝えることがなかなか難しいと思った。 言えない。 二年後には吉羅が結婚するなんて。 そんなことは。 運命を変えるために戻ってきたが、本当に変えることが出来るのだろうかと、かなり不安になってしまった。 変えたい。 だが、変えられない。 そんな気がする。 香穂子の不安な気持ちを察したのか、吉羅は抱き寄せてきた。 「大丈夫かね?」 「大丈夫です…。吉羅理事長、本当に今は恋人はいらっしゃらないんですか…?」 「ああ。いないよ」 吉羅の言葉はかなりキッパリとしている。 本当にいないのだろう。 だが早晩、大切な女性が出て来るのかもしれない。 この頃に愛を深めたと聞いているから。 吉羅はもうその候補の女性を知っているのだろうかと思った。 抱き合っていると、不安と幸せが交互にやってくる。 香穂子はそれだけでも幸せだと思った。 こうして抱き合ったり、キスをしなかったことよりは、絶対に後悔はしないと思った。 吉羅に触れるだけのキスをされる。 「今夜はもう眠らなければね。おやすみ」 吉羅がゆっくりと離れていく。 「これ以上君を抱き締めてしまったら、それ以上のことを欲求してしまいたくなるからね。今夜はこれで眠ろう。お互いのためだね…」 「吉羅さん…」 吉羅は苦笑いに近い笑みを浮かべながら香穂子に一瞥を投げると、寝室へと向かった。 香穂子はひとりになり深呼吸を大きくする。 幸せだ。 だが胸が痛い。 吉羅との運命を変えられるのか。 それは香穂子にも解らないことだった。 吉羅とキスをしたことで、更に相手を意識してしまう。 吉羅はいつも通りだ。 だが、香穂子はかなり意識をしていた。 吉羅が仕事に行ってしまった後、ひとりでジタバタとしてしまいたくなる。 香穂子は、ただ吉羅を待つだけでも楽しい気分を味わっていた。 夕刻に吉羅から電話があり、今夜は遅くなるということだった。 香穂子はひとりだけで、ストックの食材を使う。 ストックといっても、かなり食材は豊富で立派な食事が作れてしまうのだ。 しかも手間がかからないのが嬉しい。 だが、ひとりだけで食事をするというのは、なんて侘しいものなのだろうか。 香穂子はしみじみと思った。 お風呂に入っても、吉羅は帰っては来なかった。 吉羅とナイトキャップをするのが何よりも楽しみだというのに、いつもの時間になっても帰っては来ない。 香穂子は膝を抱えながら、時計と睨めっこをする。 電話では先に寝ておくようにと言われたが、少しでも早く帰ってきてくれるかもしれないと、希望的観測を持ってしまった。 だが日付が変わっても吉羅は帰ってこず、結局は眠ることにした。 ぐっすりと眠りたかったが、気になって終始浅い眠りになった。 吉羅が帰ってきた雰囲気を察したが、香穂子は起き上がる事は出来ずに、半分夢の中に漂っていた。 すると一瞬、吉羅が近付いてきたのを感じた。 近付いてきた瞬間、プアゾンの香りがする。 香穂子が一番苦手な香りでもある香水は、大人の女性を象徴しているようだった。 そのまま目が開けられない。 吉羅は、将来、結婚する女性と出会ったのだろうか。 そう考えると、辻褄があうのかもしれない。 香穂子は胸が痛くなる。 吉羅の結婚相手のことで知っていることは、綺麗な大人の女性であるということだけだ。 後は、吉羅が年上の女性が好きらしいということぐらいなのだ。 それぐらいしか香穂子にはインフォメーションはなかった。 それしか知らない。 総合すれば、綺麗な吉羅よりも年上の女性ということぐらいしか、結婚相手のことは思い浮かばない。 香穂子は息を殺して、切ない想いを噛み締める。 この時空に来たのが間違いだったのだろうか。そう思った時だった。 吉羅の気配を感じて、寝たふりをする。 すると吉羅が顔を近付けてくる。 そのまま香穂子の頬に唇を落とした。 ときめき過ぎて胸が苦しくなる。 吉羅にキスをされて、香穂子はどうして良いかが解らない。 「…おやすみ…」 吉羅は魅力的な声で囁くと、静かに香穂子から離れた。 香穂子は今度は甘いドキドキで眠れなくなってしまった。 |