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部屋に入ると、吉羅は直ぐにメールをチェックする。 「日野君は無事に書店のアルバイトに行って帰宅したそうだよ。もう一人の日野君」 吉羅はそう言うと、香穂子を見つめた。 「あ、有り難うございます」 香穂子が礼を言うと、吉羅はおかしそうに笑う。 「何だか変な感じだね。未来の君に今の君のことで“有り難う”と言われるのは」 「そうですね」 香穂子はそう言えばそうだと思いにっこりと笑った。 「さて、君はこの部屋を使ってくれ」 吉羅に手招きをされて行くと、そこはまさに吉羅のベッドルームだった。 これには香穂子も目を丸くしてしまう。 シックなカラーでまとめられたファブリックは吉羅らしいが、ここを使うとなるとかなりドキドキする。 「あ、あの、その」 確かにかなり大きなベッドではあるが、一緒に眠るのはやはり恥ずかしい。しかも大好きな男性なのだから余計にそう思った。 耳朶まで真っ赤にさせてうろたえていると、吉羅はフッと笑う。 「ここは君だけが使えば良い。私は、リビングのソファを使う。ソファベッドだから、大丈夫だ」 「あ、あのっ、私がソファベッドを使います。是非そうさせて下さい」 吉羅がいつも使っている寝室だと思うだけで、香穂子はドキドキしてしまう。 だからそんなところでは眠れないと思った。 「ソファベッドのほうが良いのかね?」 「はい…っ!」 「だったらソファベッドを使って貰おう。構わないかね?」 「は、はいっ! そ、それはもちろんっ!」 「解った」 吉羅が納得をしてくれたのでホッとすると、香穂子はリビングに荷物を置いた。 「風呂の準備をしておこう。君は入って疲れを取るんだ」 「はい、有り難うございます」 香穂子は吉羅に深々と頭を下げるしかなかった。 お風呂を準備をしてもらうのを街ながら、溜め息を吐く。 今日はなんて一日だ。 色々とあり過ぎて、頭がくらくらした。 香穂子はソファに深々と腰を掛け、溜め息を吐いた。 これからどうなるのだろうか。 吉羅に告白をしたくて、この時空へとやってきた。 だが吉羅に逢うと、上手く伝えることが出来ない自分がいる。 吉羅のことがこんなにも好きなのに、それを上手く言えない。 言葉にしたら未来が変えられるのだろうか。 それともそんなことをしたら、吉羅は驚いて引いてしまうだろうか。どう考えても後者のような気がする。 「普通は引くよね…」 香穂子が独りごちていると、吉羅がやってきた。 「風呂が沸いたから、入って今夜はゆっくりと休みなさい」 「有り難うございます」 「ミネラルウォーターも出しておくから置いておきなさい」 「はい。本当に何から何まで有り難うございます」 香穂子は本当に吉羅には心から感謝する。 「気にすることはない。君は、私の大切な生徒だからね。未来の日野香穂子ではあるが…」 大切な生徒だからこそここまでしてくれるのだ。本当にそれだけだ。 そう思うと、香穂子は泣きそうになる。 吉羅にとっては、香穂子はあくまで生徒なのだ。 ここで告白をしても無駄なのかもしれない。 無駄。 心に嫌な響きが遺る。 それが気持ち悪くてしょうがなかった。 香穂子はバスルームに向かうと、明日には帰らなければならないと感じた。 吉羅はオーガニックハーブの入浴剤を入れてくれている。 その気遣いが香穂子には嬉しい。 バスタブに躰を沈めて、香穂子は何度も深呼吸をした。 目覚めたら二年後の世界に戻っているのだろうか。 それだったらこんなにも嬉しいことはないのに。 香穂子は吉羅に迷惑がかからないようにと、綺麗に片付けた後、髪を乾かしたり身仕度を整える。 ドライヤーはマイナスイオンタイプだから髪には優しいだろう。 そして、ナイトウェアは先ほど買って貰ったものだ。 それを着てバスルームから出た。 リビングに向かい、吉羅に挨拶をする。 「お風呂、有り難うございました」 香穂子が深々と頭を下げると、吉羅は優しく笑ってくれた。 「じゃあ、私もお風呂に入ってくるから。日野君、君はもう眠りなさい。ソファベッドは準備してあるから」 「はい。有り難うございます」 香穂子が丁寧に礼を言うと、吉羅は頭を撫でてくる。 その仕草がとても優しかった。 「ではおやすみ」 「おやすみなさい」 吉羅がバスルームに消えた後も、香穂子は勿論眠れなかった。 大好きなひとがこんなにも近くにいる。 そう考えるだけで緊張してしまい、喉がからからに渇いてしまう。 鼓動の激しさが気になる余りに、香穂子は目を閉じても安らぎを得ることが出来ずに、深呼吸をすることしか出来なかった。 今がチャンスだ。 吉羅を好きだと言うのは。 なのに言い出す勇気が出ない。 吉羅に好きだと言えたら良いのに。 そうすれば、このもやもやとした気持ちが晴れ上がるのかもしれないのに。 香穂子はソファベッドの上に座り込んで膝を抱える。 本当にどうしたら良いのかが、香穂子には解らなかった。 香穂子が悶々としていると、吉羅がバスルームから出て来た。 「日野君、君はまだ眠っていなかったのかね?」 吉羅は眉をひそめるような仕草で、香穂子を捕らえてくる。 「何だか眠れなくて…」 「…まあ、君は…過去に戻ってきた…らしいから…、当然と言えば当然何だろうが」 吉羅は言葉を選びながら言うと、香穂子の瞳を覗きこんだ。 「君も二十歳だからね…。飲ませても構わないだろう。酒でも飲んで寝てしまうと良いよ。ただし、梅酒の水割を一杯だけだよ」 「そうですね。梅酒が眠りを誘ってくれるかもしれませんね」 「準備しよう。私もナイトキャップが必要だからね。一杯飲んだら、今度こそゆっくりと休もう」 「有り難うございます」 吉羅はキッチンに立ち、素早く梅酒の水割を作ってくれる。 こうして梅酒を作っている姿を見られただけでも、過去に来て得をした気分だ。 吉羅は手早く梅酒を作って持ってきてくれた。 「どうぞ」 「有り難うございます」 香穂子は吉羅から梅酒を受け取り、こころが華やぐのを感じる。 こんなにもときめくのはとても幸せだ。 「吉羅理事長とこうしてお酒を飲むのは、初めてです」 くすりと微笑みながら、香穂子は薄い琥珀色の液体を見つめる。 「未来の私と君は、食事に行く間柄なのかな?」 「ええ。ランチだけですけれど。お互いに時間が空いた時には。だけどそれは間も無くなくなると思います。理事長もいつまでも私とランチをしているわけには、いかないでしょうから」 「…どうしてかね?」 吉羅は何処か真剣な声で訊いてくる。まるでそれが本意ではないかのようだ。 そう思って貰えたら、こんなにも嬉しいことはない。 「いずれ解ります…。いいえ、もう解っていらっしゃるのかもしれませんが」 香穂子は本当のことをきちんと話す事が出来なかった。 「…時間が経てば解る…か…」 吉羅は何処か切なそうに言う。 「こうして理事長としみじみしながらお酒が飲めるのが嬉しいです。本当の意味で、私は大人になったんだなあって思います」 香穂子は静かに言うと、グラスを何時揺らして笑った。 カラカラと音を立てるグラスの音が、とても心地が良かった。 「私もこうして未来の君と一緒に、話が出来るのが嬉しく思うよ」 「有り難うございます」 香穂子はフッと笑うと、吉羅を見上げた。 「だけど理事長の彼女さんには迷惑かな? こうして私がここにいるのは」 「そんな存在はいないから心配しなくて良い」 香穂子は驚いて吉羅を見上げた。 |