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吉羅を切ない想いで見上げる。 香穂子が病気になったことで、恐らくは保護慾が高まっているのだろう。 だが、それは一過性に過ぎない。 病が完治してしまえば、吉羅はまた香穂子への興味を喪うに違いない。 「…病気が重大なものではなかったですから…、吉羅さんにはこれ以上、迷惑を掛けるわけにはいきません…」 「迷惑などかかっているはずがないじゃないか…。君は…」 吉羅は厳しい声で言うと、香穂子を連れて薬局へと向かう。 「君はまた私と生活を共にする。それだけだ」 吉羅はキッパリと宣言すると、香穂子の手に強い熱情を送った。 こんなにも熱く愛されたとしたならば、嬉しいことはないというのに。 吉羅にこころから愛されていると感じられたら良いのに。 保護慾しか感じない。 吉羅は香穂子を放す気はないらしく、薬を作ってくれるのを待っている間も、ずっと手を握り締めてくれていた。 薬局を出ると、子どものように手を引かれて駐車場へと向かう。 助手席に腰を下ろすと、吉羅はシートベルトをしてくれた。 「有り難うございます」 「香穂子、うちに帰るからそのつもりで。当分は、ゆっくり養生をするんだ。良いね」 「…はい…。お気遣い有り難うございます…」 香穂子は結局は吉羅に折れてしまう。 一緒にいたいという気持ちは同じなのだから。 吉羅の住まいがあるミッドタウンに着いた時は、こころからホッとした。 実家で過ごすよりも、こうしてミッドタウンで過ごすことが快適になるなんて、思ってもみなかった。 吉羅と暮らしていた部屋に踏み入れると、マスターベッドルームへと連れていかれる。 「…吉羅さんがこの部屋を使って下さい。私は、リビングのソファベッドで充分です。ここだと色々と便利だから。それで迷惑ならばおっしゃって下さい」 「解った。君はここを使うと良い」 「有り難うございます」 香穂子はホッとしながら、自分の居場所を見つけたような気がした。 吉羅はかいがいしく、香穂子の為にベッドを作ってくれ、そこに寝かせてくれる。 「ここなら私も君の様子を見ながら仕事が出来るからね」 「はい。有り難うございます。吉羅さんも無理をされないようにして下さいね。私はひとりで大丈夫ですから…」 「私にはそうは見えない。レトルトで申し訳ないが、お粥だ。これを食べて薬を飲んでしっかり休みなさい」 「有り難うございます。何だか前と逆になったようで新鮮ですね」 香穂子がくすりと幾分か元気なく笑うと、吉羅は前髪をかきわけて、額を柔らかく撫でてくれた。 「香穂子、どうして“吉羅さん”と呼ぶ。以前ならばちゃんと名前を呼んでくれていただろう?」 吉羅の問いにも、香穂子は薄く微笑むことしか出来ない。 以前のように名前で呼んでしまったら、また同じように依存して抜け出せなくなるから。 今度こそ吉羅から抜け出せなくて、苦しむのは御免だ。 もう抜け出せないままで崩れていく自分がはっきりと見えるのは嫌だった。 「少し食べたら休みます。片付けますね」 香穂子は半分ほど食べたところで、スプーンを置いてキッチンに持っていこうとして吉羅に制止される。 「香穂子、私がやる。君は寝ていなさい」 「有り難うございます」 「きちんと薬を飲むんだ。早く元気になりなさい」 「はい…。お気遣い感謝します」 吉羅がミネラルウォーターを持ってきてくれたので、それを口に含んで薬を飲み干す。 躰がふわりと浮上ったような貧血に襲われる。 一瞬、辛くて目を閉じると、吉羅は直ぐに駆け寄ってきた。 「…大丈夫かね…?」 「大丈夫です。少し横になります」 「そうしたまえ」 香穂子は吉羅に薄く笑った後で、ベッドに潜り込み目を閉じた。 直ぐに眠気が襲ってくる。 とろとろとした感触に、香穂子はゆっくりと眠りに墜ちていった。 後片付けをして帰ってくると、香穂子が無防備に安心したように眠っていた。 頬に触れると、滑らかな感触なのにやけに冷たい。それが吉羅には切なかった。 思わず、香穂子が息をしているのかどうか、耳を峙てて確かめてしまう。 小さな今にも消えてしまいそうな吐息。 吉羅はそれを掴まえたくなる。 命を奪う可能性がある病気でなくて、本当に良かった。 香穂子にはどうしても生きていて欲しい。 何でも良いから生きていて欲しかったから。 吉羅はホッと躰から力を抜きながら、香穂子の手を握り締めた。 今まで、愛されていると解っていたから、その上に胡座をかいていた。 香穂子を愛しているが、それを普段の言葉や態度で示したことはない。 だからこそ、香穂子は、共に病と闘うことを拒んだのかもしれない。 そして、ひとりで闘うと覚悟を決めて、吉羅の前から姿を消したのだ。 もし、吉羅が香穂子にきちんと愛していることを伝えていたのならば、一緒に闘うと選択してくれたのかもしれない。 香穂子を誰よりも愛しているのは本当のことだ。 生まれてきてから一番愛したひとだ。 それを上手く伝えることが出来ない自分を歯痒く感じながら、吉羅は香穂子を見つめる。 自分のせいで一度は失いかけた愛しいひと。 二度と離さない。 だから病気が治ってからも、ずっとそばからは離さない。 今度こそ。 吉羅は、あどけなさを残す香穂子の頬を、指先でそっとなぞる。 そのまままろやかな頬にキスをした後で、いつまでも寝顔を見つめていた。 香穂子が目を覚ますと、吉羅がそばにいてくれていた。 「…気分はどうかね…?」 「マシだとはいえないですけれど、少しずつ元気になれるのかな…って…。そう思っています…」 「だったら構わないけれどね。本当に余り無理をするんじゃないよ?」 「はい。有り難うございます…。吉羅さん…」 香穂子が微笑むと、吉羅は少しばかり眉間にシワを寄せた。 「その呼び名は何とかならないかね?」 「…だって、吉羅さんは…吉羅さんだから…」 香穂子は当たり前だとばかりに笑みを零すが、吉羅にはそれが気に入らなかった。 「君はもうすぐ“吉羅さん”になるのだから、それはおかしいんじゃないかね? 君は自分の名字で呼ぶのが好きなのか?」 吉羅の言葉に、香穂子は驚いて瞳を見開く。 もうすぐ“吉羅”になるなんて、そんなことは思ってもみないことだった。 吉羅は結婚を考えてくれているのだろうか。 だが、そこで一縷の希望に縋りたくはない。 それに縋ってしまったら、更に痛い想いをするのは、目に見えていることだから。 だからあくまでかたくなに受け入れない。 今はこのように言ってくれてはいるが、それがいつ消えてしまうか、解らないのだから。 恋の希望が絶望に変わる時の切ない辛さは、香穂子は一番解っているつもりだから。 「…吉羅さん、私…、動けるようになったら直ぐに…」 香穂子が小さな切なさを滲ませて言うと、吉羅にいきなり抱き締められる。 「…先程言ったことは、私は撤回しないつもりだ。私は君と結婚をする。ただ、それだけだ…」 吉羅はキッパリと言うと、香穂子を更に強く抱き締めた。 「…移ります…。あなたに病気なんかになって欲しくない…」 「構わない。私は…。君が離れて行く方が余程切ないよ」 「…吉羅さん…」 「私は君と一緒になる。だから君も頷いて欲しい。ふたりで幸せになるんだ」 吉羅の言葉を受け取りながら、香穂子は目を閉じる。 返事をすることが出来なかった。 |