*禁断*

4


 まさか、抱き締められるなんて思ってもみなかった。
 香穂子は一瞬だけ驚いてしまったが、直ぐにそれは喜びへと変わる。
 吉羅にとっては戯れだろうか。
 だが、香穂子にとっては大切なことであるのには間違いはなかった。
「…暁彦さん…」
 抱き締められるのが嬉しい。
 香穂子はごく自然に吉羅に抱き付いていた。
 吉羅の顔が近付いてくる。
 期待に胸を踊らせているなんて、思ってもみないことだった。
 吉羅の唇が下りて来る。
 夢見るような気持ちで、それを受け入れた。

 香穂子を他の男のものにしたくはない。
 香穂子を自分だけのものにしたい。
 そんな気持ちに吉羅は支配される。
「…香穂子…」
 名前を呼ぶと、嫌がるどころか甘く抱き締めてきた。
 自分に夢中になってくれていることを嬉しく思うのと同時に、吉羅は幸せに思った。
 養女とその兄。
 世間的には禁断な関係なのかもしれないが、きちんと愛し合えば、結婚だって許されないわけではない。
 ただ倫理的な問題が付きまとうだけだ。
 そんなことは気にならない。
 吉羅はゆっくりと香穂子の唇に口づけていく。
 こんなにも柔らかな唇が他にないと思った。
 吉羅は夢中になってキスをする。
 純白な香穂子を、誰の色にも染めたくはなかった。
 お互いにキスに夢中になる。
 こんなにも素晴らしい瞬間は他にはない。
 香穂子は無意識に吉羅の逞しい躰に腕を回していた。
 何も許されないわけじゃない。
 精神的な枷があるだけだ。
 両親への罪悪感。
 それしかない。
 香穂子を本当の娘として育ててくれた両親に対しての罪の意識だけだ。
 吉羅がゆっくりと唇を離してくる。
 艶めいて揺れる吉羅のまなざしを、香穂子はただうっとりと見つめることしか出来なかった。
「…暁彦さん…」
 自分の声だとは俄かに信じられないほどの艶めいた声が、唇から漏れる。
 吉羅はその瞬間、何かに醒めたように瞳をスッと細めた。
「…私は…何をしていたんだ…」
 吉羅は罪悪感に満ち溢れた声で呟くと、そのまま香穂子から離れた。
 冷静さを取り戻したのか、吉羅は直ぐにハンドルを握り直す。
 そのまま無言で車を走らせる。
 香穂子は、吉羅の態度にショックを受けながら、闇に光る彼の横顔をじっと見つめる。
 まるで後悔しているとばかりに、吉羅のまなざしは冴えていた。
 香穂子には、それが辛くてしょうがなかった。

 香穂子の唇は柔らかくて甘くて、吉羅には最高の媚薬になった。
 こんなに甘い媚薬は他にない。
 夢中になる余りに、吉羅はその先の更に熱いものを求めてしまっていた。
 それは駄目だ。
 問題があり過ぎる。
 吉羅は、両親への罪悪感を覚えずにはいられなくなる。
 香穂子を実の娘として、或いはそれ以上に大切に育ててきたのだから。
 その両親の気持ちを考えると、吉羅はもう一歩踏み込むことが出来なかった。
 まだ早い。
 だが待てない。
 様々な感情が吉羅の中でぐるぐると巡り、どうして良いかが解らない。
 いつもの吉羅ならば、決断なんて直ぐにつけられる。
 だが、今の吉羅にはそれが出来なかった。
 しがらみ。
 そんなことは今まで気にしたことなんてなかったというのに、香穂子への純粋な恋については、それを強く感じてしまった。
 キスをした後の香穂子は驚くほどに艶やかで綺麗だった。
 解っている。
 香穂子はもう子供なんかじゃない。
 香穂子はもう立派な大人の女性なのだ。
 それをキスによって思い知らされたのだ。
 吉羅は、もう生涯、この恋からは逃げることは出来ないと、思わずにはいられなかった。

 ふたりはお互いに何も話さなかった。
 香穂子は気まずい想いを抱きながら、じっとしていた。
「着いたよ。ちゃんと送り届けたことを、両親に報告してから帰るから」
「…はい…」
 兄としての務めだと思っているのだろう。
 吉羅は香穂子と一緒に車を降りた。
「ただいま」
 ふたりしてセキュリティを解除して家に入ると、両親が出迎えに出てくれた。
「おかえりなさい香穂子、暁彦もいらっしゃい」
「香穂子を送って来ました。私はこれで」
 吉羅が帰ろうとすると、母親が呼び止めた。
「待って暁彦」
「なんでしょうか?」
「来週から十日間、お父さんと仕事を兼ねてヨーロッパに行くのよ。その間、香穂子を預かってくれないかしら? うちもセキュリティはきちんとしているけれど、あなたのところのほうがそのあたりはバッチリだとは思うから」
 母親はニコニコと笑って、吉羅に申し出る。
 かなりの信頼を寄せているのは間違いない。
 香穂子が「そんなことは必要ない」と言おうとしたところで、吉羅が口を開いた。
「…解りました。確かに香穂子をひとりにするよりは、うちのマンションで預かったほうが良いでしょう」
「有り難う、お願いするわね」
 香穂子はドキドキとときめくような戸惑いを覚えながら、吉羅を見上げる。
 吉羅のそばにいるのが嬉しい反面、不安もある。
「香穂子、ちゃんとお兄さんに挨拶なさい」
「あ、暁彦さん、お願いします」
「ああ」
 香穂子が戸惑いながら返事をして頭を下げると、吉羅は軽く頷いた。
「では来週から香穂子をよろしくね。自分の事はきちんと出来る子だから、大丈夫だと思うわよ。あなたに手間は掛からないから」
「解っています」
 吉羅は母親にクールに頷いた後で、静かに家から出て行く。
 子守歌だとぐらいにしか思ってはいないのだろう。
 香穂子はそう思った。
 来週から吉羅と一緒に過ごす。
 そう考えるだけで、香穂子は鼓動がパンクしそうになるぐらいにドキドキしてしまう。
 吉羅との共同生活が何をもたらすのかが、香穂子は楽しみであり、緊張であった。

 吉羅の家に行く日、車で迎えに来てくれた。
 音楽大学に通う香穂子が、かなりの荷物を持っていることを知っているからだろう。
 吉羅は車に荷物を運び入れるのを手伝ってくれた。
 香穂子はその間に、殆ど何も話さない吉羅に胸を痛めてしまう。
 やはり吉羅のあのキスは、気紛れだったのだろうか。
 そんなことを考えてしまう。
「香穂子、荷物はこれぐらいで構わないかね」
「はい、有り難うございます暁彦さん。十日間ぐらいなのでこれぐらいで充分です」
「そうか」
 吉羅はいつもと何ら変わることはない。
 もじもじとしているのは香穂子のほうだ。
「今日から十日間、お世話になります」
 香穂子はもう一度しっかりと挨拶をした。
「十日間はきちんと規律を守りなさい。門限も設けるからそのつもりで」
「門限?」
 流石に遅くなることはないとは思うが、両親よりも厳しい言葉に、香穂子は驚いた。
「十日間は君の保護者だからね。何かあっては困るから、きちんとしてもらう」
 吉羅はかなり古い考えの持ち主だと思う。
 吉羅は大学に入ると直ぐに家を出ていたので、香穂子は殆ど一緒に暮らしたことはないから、どのような 生活態度かは分からなかった。
「…門限って…何時ですか…?」
「午後8時だ」
「午後8時!?」
 流石に中学生レベルの門限に、香穂子は驚いてしまった。
「…それは少し早くないですか…?」
「早くはないと思うがね。大学から真っ直ぐ帰れば充分に余裕がある時間だと思うがね」
「…それはそうですが…」
「君は大切な預かりものだ。しかもここは六本木だからね。君にはきちんと過ごして貰いたいものだね。品行方正にね」
 香穂子は驚く余りに目を丸くする。
 こんな規則は初めてだと思った。



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