*禁断*

6


 ずっと吉羅と夕食を共にしてはいない。
 香穂子がお世話になってからというもの、吉羅は、毎日のように深夜帰宅のようだった。
 それも総てが仕事ではないことを、香穂子も知っていた。
 避けられている。
 吉羅に嫌われているのだか。
 そればかりがぐるぐると回ってしまう。
 香穂子は、吉羅に避けられる辛さに、毎日が切なかった。
 今夜も、吉羅の自宅近くにある高級レストランで食事をした後、ひとりでとぼとぼと帰る。
 ヴァイオリンの練習をして、先にお風呂に入り、眠る。
 それだけのことだ。
 詰まらなくて中身が空っぽだと、香穂子は思った。
 今夜は天気が余り良くなく、香穂子は余計に沈んでしまっていた。
 嵐の日は余り好きじゃない。
 特に、雷が伴うような日は、好きではなかった。
 今日はまさにそのような日で、香穂子はひとりで震えるようにして過ごした。
 解ってはいる。
 吉羅が、帰ってはこないことぐらいは。香穂子が小さくなっていても、関係ないことは。
 吉羅の自宅がある高級マンションは、雷や地震程度では、全く大丈夫なことぐらいは。
 音だって聞こえないのだ。
 なのにこうして震えてしまった。
 雰囲気だけで雷が暴れていることが、香穂子には分かるのだ。
 ヴァイオリンを弾いていても、お風呂に入っていても、雷がすぐ近くにいるような気がして怖い。
 ひょっとして、ひとりで家にいるからこそ恐ろしいのかもしれない。
 吉羅には早く帰ってきて欲しい。
 出来るだけ早く。
 香穂子は、吉羅の寝室に潜り込むと、そのままベッドへと入る。
 こうしていると吉羅がそばにいるような気がして、安心する。
 香穂子には一番の精神安定剤だった。
 吉羅の香りがほんのりとして、嬉しい。
 香穂子はいつの間にか目を閉じて眠ってしまう。
 そのまま夢の世界に運ばれていった。

 香穂子がいる家には帰り難い。
 一緒に過ごせば、香穂子が欲しくて堪らなくなることを、吉羅は解っていた。
 手を出せばもう離したくなくなることを、充分に解っていた。
 だからこそ帰ることが出来ない。
 毎晩のように残業をしたり、女性と食事をしたりして、時間を潰していた。
 香穂子が眠っていれば、逢わずに済むから。抱き締めなくて済むからわ
 夜の香穂子は、とても無防備で愛らしい。
 思わず抱き締めてしまいたくなる。
 吉羅はこれが切なかった。
 ふと窓の外が見える。
 外は嵐のようで、雷が光っている。
 小さな頃、香穂子は雷が大嫌いだった。
 いつも震えていたのを思い出す。
 今の香穂子はひとりだ。
 香穂子はひょっとして雷を怖がって震えているかもしれない。
 そう思った瞬間に、吉羅はいても経ってもいられなくなった。
「…すまないが、用が出来てしまった。タクシーを手配するから、この後の予定はキャンセルをして構わないかね?」
 吉羅の申し出に、女はあからさまに嫌な顔をした。
 甘んじてそれは受けるしかない。
 吉羅のわがままであるのだから。
「…解りました」
 吉羅は、直ぐに馴染みのタクシー会社に連絡をし手配する。
 直ぐに来てくれ、吉羅は女性の自宅がある場所を告げた。
 女性を手早く見送った後で、吉羅は、すぐさまフェラーリを飛ばして、自宅へと向かった。
 それほど距離はないというのに、吉羅はかなり長く掛かっているような気分になった。
 ミッドタウンの自宅に戻ると、家の中は静まり返っていた。
 本当に静かで、誰もいないような気がする。
 吉羅はゆっくりと香穂子が使っている客間へと向かった。
 ノックをしたところで返事はなかったので、吉羅はそっとドアを開ける。
 しかし、部屋の中にも香穂子はいなかった。
 吉羅はすぐさま他の部屋を探す。
 すると吉羅の寝室で、香穂子が子猫のようにまあるくなって眠っているのが見えた。
 正直、ホッとしてしまう。
 目元には僅かに涙の痕があり、香穂子が小さな頃と同じようにほんのりと泣いていたことが解った。
「…香穂子…」
 吉羅の掛け布団を抱き締めて眠っている香穂子を見つめていると、そこはかとなく幸せを感じずにはいられなかった。
 本当に無防備で可愛い。
 ずっと見つめていたいぐらいだ。
 無防備な香穂子は可愛いと同時に、吉羅にはどうしようもないほどの欲情を湧き上がらせた。
 このままでは駄目だ。
 吉羅は高ぶった気持ちを沈める為に、シャワーを浴びに向かった。
 シャワーを浴びながら、吉羅は香穂子への想いを止めることが出来ないことを感じずにはいられない。
 寝室でまた香穂子の顔を見てしまえば、更に愛しさに歯止めがかからなくなる。
 なのにもう一度あの無防備で愛らしく艶が溢れた香穂子に逢いたくなってしまった。
 吉羅が寝る支度を終えて寝室に向かうと、香穂子はまだ夢の中だった。
 このまま香穂子を部屋に連れていってやらなければならない。
 抱き上げようとしたところで、香穂子はゆっくりと目を開いた。
「…暁彦さん…」
 まるで夢の世界にいるかのような夢見る声をしている。
「雷が怖かったのかね?」
 吉羅が優しく囁くと、香穂子は頷いた。
 眠いのか瞳が何処かとろんとしてしまっている。それがまた艶やかだった。
「…雷が…確かに怖くて…、じっとしていられなくて…」
 香穂子は苦笑いを浮かべながら言う。
「暁彦さんの香りがするから安心してしまって…、ここなら…、守られているような気がして安心するかな…って」
 香穂子が可愛くてしょうがなくて、吉羅は無意識に抱き締めていた。
 ギュッと抱き締められて、香穂子はそれに応えるように逆に抱き締めてくれた。
 本当に可愛い。
 可愛くてしょうがない。
 吉羅は、香穂子をあやすように抱き締めながら、背中を撫でた。
「…香穂子…、もう何があっても大丈夫だ…。私がそばにいるから…」
「…はい…。暁彦さん…」
 小さな頃と同じように素直に言う香穂子が可愛くて、抱擁が止められなくなる。
「…香穂子…」
「…ずっと暁彦さんの帰りが遅くて寂しかったから…、こうしてすぐ近くにいて貰えるのが、すごく嬉しいです。有り難う…」
 香穂子は吉羅に甘い声で言ってくれる。
 それが嬉しかった。
「…ではこれからは…なるべく早く帰ってくることにしよう」
「…そうして貰えると嬉しいです…。ひとりでご飯を食べるのは、寂しいから…」
 香穂子がすがるようなまなざしで見つめてくる。
 こんな瞳で見つめられてしまったら、もう何もいらなくなる。
 香穂子以外には。
 香穂子に頼りにして貰いたい気持ちだけが全面に出て来る。
「…部屋に戻れるかね?」
「…大丈夫…」
 香穂子はにっこりと笑うと、吉羅を見上げた。
「暁彦さんが来てくれたという特効薬を貰ったから大丈夫」
 香穂子が笑顔で言った瞬間、吉羅は大人の男としての理性の枷が外れたような気がした。
「…香穂子」
 香穂子の華奢な躰をギュッと抱き締めてしまう。
 このままずっと抱き締められていたら、こんなに幸せなことはないのに。
「…ずっとずっと、暁彦さんとこうしていられたら良いのに…。だけど…、暁彦さんは…私のこと、妹としてしかみていないよね…」
 こちらまでが胸が痛くなってしまいそうな声に、吉羅はもう誤魔化すことは出来ないと悟る。
 香穂子を愛している。
 もうそれは生涯、いや、それ以上に渡ってずっと変わらないことだろう。
 吉羅はそれをひしひしと感じながら、香穂子を抱き締めた。
「…私は君を妹として見たことはないよ…」
 吉羅の言葉に、香穂子は縋るように見つめて来た。



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