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「…隠す必要はない」 「…はい」 吉羅の言葉が嬉しくて、香穂子は泣きそうになる。 世間的にはふたりは“兄妹”であるから、手を繋げば、おかしいと思われてもしょうがなかった。 だが、吉羅はあえて手を繋いでくれる。 それが嬉しい。 「君も買い物かね?」 「ええ。可愛らしい方ね。…確か妹さん…?」 女は奇異の目で見つめてくる。 当然だろうと思う。 血は繋がってはいないし、一緒に住んだことも殆どない。 ただ、戸籍上は兄妹だということだ。 ただ、それも義理ではあるから、結婚することは容易い。 だから堂々としていれば良いのだ。 しかしそうはいかない。 吉羅には世間体というのが、普通よりも色濃くある。 だが当の吉羅は、香穂子のようには全く気にしてはいないようだった。 「私たちはケーキを買ったら、うちに戻る予定だ。君はショッピングを楽しみたまえ」 吉羅は何でもないとばかりにさらりと言うと、カップケーキをテイクアウトして、そのままスマートに帰った。 吉羅はあくまでもいつも通りだ。本当に堂々としている。 「よ、良かったんですか?」 「何が?」 「何がって…」 香穂子が心配そうに吉羅を見上げると、逆に慰めるようなまなざしを送られてしまった。 「堂々としていれば良いんだ。私たちは。何も疚しいことはしていないのだからね」 「はい」 吉羅の言う通りだ。 堂々としていよう。 本当に疚しいことは何もないのだから。 吉羅の言葉が嬉しい。 香穂子は背筋を伸して、堂々としていようと思った。 吉羅は、香穂子を守りながら、奇異の視線から闘わなければならないと思った。 香穂子と一緒にいられるのならば、そんなことは容易いことだ。 吉羅は、香穂子をもう離す気は一切なかった。 自宅に戻り、紅茶を入れてティータイムにする。 香穂子と一緒に、こうしてティータイムや、散歩がいつまでも出来れば良いと、思わずにはいられない。 それは出来ると、確信している。 先ほど、バギーカーを引いた夫婦を見た。 将来、自分達もああいう風になれたら良いのにと思ってみていた、 ああいう風になりたい。等と、他人を見て思ったのは初めてだった。 ふと香穂子がじっと見つめているのに気付いた。愛らしい笑みを浮かべているが、何処か凜としていて逞しい。 思わず吉羅は見惚れてしまう。 「暁彦さん、私…、暁彦さんが何が不都合なことを言われたら、私が守りますから」 香穂子は強さを秘めた笑みを浮かべている。 いつの間にか、こんなにも強く綺麗になった。 それが吉羅には嬉しかった。 香穂子は本当に誰もが羨むほどに美しく、そして強くなっていた。 吉羅はそんな香穂子を目を細めながら見つめる。 「…有り難う…。私も精一杯君を守るよ」 吉羅は香穂子をそっと抱き締めた。 こんなにも愛しい存在はない。 ふたりならば、どのようなことでも乗り越えていけると、吉羅は確信していた。 「暁彦さんが守ってくれるから、私も強くいられます。だからあなたを守れるんです」 「香穂子…」 ふたりでいれば、きっとダイヤモンドよりも強硬な絆を作れると、吉羅は思う。 何があっても、もう話す事は出来ないと思った。 吉羅と愛し合った後、香穂子は想いが満たされる余りに、目が冴えていた。 吉羅は眠ってしまい、その様子をずっと見ている。 吉羅としっかりと抱き合いながら、香穂子は更に心が強くなったと思う。 吉羅と愛し合っている事実があるだけで、こんなにも強くなれるのかと思う。 愛の力はなんて偉大なのだろうかと、香穂子は思う。 誰も決して自分達を引き離せやしない。 香穂子は吉羅を抱き締めながら思う。 吉羅を守ることが出来る。 自分しか吉羅を守ることは出来ないのではないかと、香穂子は思った。 吉羅が無防備な寝顔を見せてくれるのは、自分だからだと思う。 今までは守られてばかりいて、守られるのが当たり前だったから、香穂子は気付かなかった。 吉羅にも無防備で弱い部分があるのだということを。 吉羅が傷ついたりしないように、ずっと守っていきたい。 吉羅が不快な感情を抱く事がないように、ずっと抱き締めてあげたい。 香穂子は寝顔を見つめながら、しみじみと思った。 自分にしか弱みを見せないだろうから、それを受け取ってあげようと思う。 黙って受け取ってあげたい。 黙ってそばにただいてあげたい。 そうして愛する男性を守りたかった。 吉羅と想いが通じ合ってからというもの、甘くて幸せな時間が続く。 こんなに幸せな時間の過ごし方あったのだと、香穂子は改めて気が付いた。 だが、幸せで甘い時間というのは、瞬く間に過ぎるのだ。 家に戻らなければならない日はもう明日だ。 明日には、吉羅とは離れ離れになり、日常に戻ってしまうのだ。 「…暁彦さん、明日には帰らなければならないんですよね…。それがとても寂しいです…」 「そうだね。明日には君がここからいなくなるのは寂しいが、両親には一旦、君を返さなければならないからね…」 吉羅もまた何処か寂しげに言う。 寂しいのは自分だけじゃない。 香穂子はそう思いながらも、切ない気分になった。 「また、こうしてふたりで過ごしたいです…。だけど、難しいかもしれないですね。ちゃんとお母さんたちには了 解を取らないと、ここにこうして泊まることは出来ないだろうし…」 「そうだね。だけど私は気にせずに君を呼ぶよ。両親に気兼ねすることなんて、出来ないからね。もう…」 「…はい…」 吉羅が優しく抱き締めてくれる。 抱擁が優しければ優しいほど、離れたくはなくなってしまう。 「…私たちは何も疚しいことはしていない。堂々と愛し合えば良いと思っているよ…」 「暁彦さん…」 それが出来ればどれほど幸せかと、香穂子は思わずにはいられなかった。 両親が戻ってくる。 香穂子は荷物を綺麗にまとめて、吉羅の車に乗り込んだ。 車が出た瞬間、泣きたくなってしまった。 これからの恋なのに、まだ始まったばかりなのに、切なくて泣きそうになる。 吉羅と離れるのはそれだけ嫌でしょうがなかった。 車に揺られながら、なんて寂しくて胸の痛いドライブなのだろうかと、香穂子は思う。 愛の宴は終わってしまったのだと、つくづく感じた。 「暁彦さん、またこうして過ごしたいです。こんなに長くは難しいかもしれないけれど…」 「それは私も同感だ。ゆっくりとふたりで旅にでも出られたら、嬉しいけれどね」 「そうですね…」 やがて夜景は見慣れた横浜のそれに変わっていく。 吉羅の家に向かう時とは違う切なさに覆われてしまっている。 香穂子は上手く離せなくて、時折、吉羅の手に触れる。 すると吉羅が手をギュッと握り締めてくれるのが嬉しかった。 同じ気持ちであることを、充分理解することが出来た。 「香穂子、うちだ」 「はい…」 とうとう家に到着してしまった。 がっかりとしてしまい、溜め息すら零れ落ちてしまった。 吉羅は、香穂子の溜め息を聞いたのか、一瞬、抱き締めてくれた。 寂しいのは自分も同じだということを、吉羅は教えてくれた。 家に戻り、香穂子は空調を入れて、両親の帰りを待つ。 帰ってくるまでは吉羅が一緒にいてくれた。 「ただいま、香穂子、暁彦」 両親の声が聞こえて、吉羅とふたりで玄関先へと迎えにいく。 これで本当に宴はお終いなのだ。 両親と玄関先に出ると、見慣れない美しい女性が一緒にいた。 「暁彦さん、久し振り」 女は妖艶さが滲んだ笑みを浮かべていた。 |