*こい・うた・ひめ*

12


 吉羅とのデートの日。
 香穂子は長い紅い髪を何度も梳いて、薄く化粧をした。
 大好きなひとにはどうしても綺麗な自分を見せたいという乙女心だ。
 吉羅には一番綺麗なところを見せたかった。
 香穂子は吉羅のために、綺麗になりたくて、一番大人びたとっておきのワンピースを着る。
「これで良いかな…」
 香穂子が支度をして下に下りると、吉羅が待っていた。
 いつものようにカッチリとはしてはいないが、何処にいっても大丈夫なスタイルだ。
 これならば高級レストランに行っても平気だろう。
 いつも以上に大人の色気があり、香穂子はうっとりと見惚れてしまう。
「支度は出来たかね?」
「はい」
 香穂子が華やいだ気分で頷くと、吉羅は手を差し延べてくれる。
 その手を取ると、まるでシンデレラのような気分になった。
 ふたりで手を繋いで車に乗り込む。
 初めてのデートにテンションはいやがおうでも上がる。
 本当に何をしても笑顔が零れ落ちた。
「何処に行きたい?」
「海を見たいです。海岸を歩きたいです」
「解った」
 吉羅は海に向かってハンドルを切ってくれる。
 本当は何処だって良かった。
 吉羅と一緒であれば。
 本当に何処でも良かった。
 吉羅を横目で見ると、かなり眩しいのかサングラスを掛けている。
 サングラスもよく似合う。
 香穂子は吉羅のサングラス姿を、うっとりと見つめていた。
 吉羅は珍しく口笛を吹く。とても楽しげだ。
 香穂子は、吉羅と一緒にこうして温かな気分でいられるのが、嬉しかった。

 海岸近くの駐車場に車を停めて、ふたりは手を繋いで浜辺に出る。
「帽子をちゃんと被りなさい」
「はい」
 まるで小さな子どもに言うように言われて、ほんの少しだけ切ない。
 帽子を被って手を繋ぐと、ふたりでゆっくりと砂浜を歩いた。
 海水浴にはまだ少し早いが、そろそろサーファーで賑わい始めている。
「もうすぐ夏なんですよね。夏の海は大好きです」
「そうだね。日焼けは好きかね?」
「日焼けは好きじゃないですね。やっぱり」
「そうだね。君は色が白いほうが似合っているよ」
 吉羅に言われると、益々日焼けなんてしたくなくなる。
「…日焼けはしないようにします。海は大好きなですけれど、秋や冬、春の海が大好きなんですよ」
「…私も同感だね」
 吉羅と手を繋いで歩くだけなのになんて楽しいのだろうかと思う。
 香穂子は吉羅と青空を、笑顔で眺めた。

 吉羅は香穂子と手を繋ぎながら、幸せを感じる。
 ただ手を繋いで歩いているだけなのに、至福を感じる。
 香穂子は透き通った白い肌を輝かせながら、青空よりも屈託のない明るい笑顔を浮かべている。
 ダイヤモンドよりも太陽よりも綺麗に輝いていると思った。
 天使だと思う。
 音楽の天使だ。
 ファータは少しも可愛く思えないが、香穂子は世界で一番美しく可愛い。
 吉羅は誰にも渡したくない気持ちが強くなり、思わず抱き締める。
「…吉羅さん…?」
 香穂子は頬を紅く染め上げながら、少しだけ驚いている。
 その表情がまた可愛い。
 吉羅は香穂子の頬を撫でると、唇をゆっくりと近付けていく。
 深い角度でキスをすると、香穂子はとても色気のある仕草で受け止めてくれた。
 ここが海岸なのは解っている。
 だが、キスをせずにはいられない。
 香穂子に何度も貪るように甘いキスをした後、吉羅はようやく唇を離した。
「この近くに美味しいイタリアンがある。食べに行こう」
「はい」
 吉羅はしっかりと手を繋ぐと、そのまま駐車場まで手を引いていった。

 吉羅が連れていってくれたイタリアンレストランのパスタは最高で、香穂子はゆっくりと味わう。
「こんなに美味しいパスタはなかなか食べられないです。本当に素敵なお店に連れてきて下さって有り難うございます」
「気に入ってくれて良かったよ」
「はい」
 吉羅は静かな笑顔を浮かべると、香穂子を見つめてくれる。
 本当はパスタなんかよりも、吉羅の笑顔が何よりもの素敵なご馳走だ。
 吉羅が一緒であるからこそ、これほどまでにパスタが美味しく感じられるのだろうと、香穂子は思った。
 やがてデザートになり、ジェラートとティラミスがやってくる。
「デザートも本当に楽しみの一つなんですよね」
 香穂子が子どものようにはしゃいで言うと、吉羅はフッと微笑んだ。
「君は本当に甘いものが好きなんだね」
 まるで小さな子どものようだと思われているのだろう。
 それが胸を突く。
「吉羅さん、私が子どもだと思っていますか…?」
 香穂子は不意に笑顔を引っ込めると、吉羅は眉根を寄せた。
「そうは思ってはいないよ」
「…だけど…」
 香穂子がふと目を伏せると、いきなり顎を持ち上げられた。
「……!」
 唐突な吉羅の行為に、香穂子は目を見開いて驚くしかない。
「君を子供だとは思ってはいない。その証拠を見たいかね?」
「はい…」
 吉羅が本当にひとりの女性として見てくれているのかを、香穂子は知りたくてしょうがない。
 香穂子が小さく頷くと、吉羅もまた頷いた。

 レストランでの食事を終えた後、吉羅は一旦自宅に戻った。
 香穂子には待っているように言い、いつものようにスーツに着替えてきた。
「どうして…?」
「お嬢さんのエスコートをするためだ」
 吉羅はそう言うと、香穂子の手を取った。
「私はこのまま…ですか?」
「いいや。君は今から大人の女性らしいスタイルになって貰うから、そのつもりで」
「…はい…」
 大人の女性らしいスタイル。
 それはどのようなものなのだろうか。
 香穂子は上手く想像することが出来ずに、ただ、ドキドキしていた。

 車に再び乗り込むと、吉羅は東京都内に向かう。
 香穂子は何処に連れて行かれるのかとドキドキしながらだったせいか、ドライブを余り楽しむことが出来なかった。
 
 吉羅が連れていってくれたところは、銀座のブティックだった。
 そこはトータルで美しくしてくれるサロンを展開している。
 香穂子はそこに連れていかれてしまった。
「彼女が大人の美しさを滲ませることが出来るようにしてくれないかね?」
「はい。お任せ下さい」
 香穂子は、美しいサロンのビューティスタイリストに委ねられる。
「あ、あのっ、吉羅さんっ!?」
 香穂子がうろたえていても、吉羅はクールなままだ。
「大人の女性にして貰って来なさい」
「…はい…」
 吉羅の言葉に、香穂子は覚悟を決めると、そのままビューティスタイリストに委ねた。

 流石はプロだと思った。
 香穂子を短時間で美しくしていく。
 鏡に映る自分の姿を見ていると、本当に別人にしか見えない。
 ここまで綺麗にしてくれるのは魔法に間違ないとすら思った。
 化粧をされ、髪は結い上げられ、服は黒を基調にした膝丈のワンピースドレスだ。
「はい。これで出来上がりです」
 香穂子は姿見に映る自分を見て驚いた。
 美しく着飾られているのに、シンプルな大人の魅力が出ている。
 自分だなんて信じられないほどだ。
「完成です。あなたのリクエスト通りにしたつもりだけれど、いかがかしら?」
「有り難うございます…。私だなんて信じられないです」
 香穂子はぼんやりと鏡に映る自分を見ることしか出来ない。
「…さあ、お待ちになっているわよ。あなたの大好きなひとのところへ」
「はい」
 香穂子は吉羅が待つロビーに入る。
 その瞬間、吉羅が熱くて甘い視線を投げ掛けてきた。



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