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不思議と先程のような緊張はなかった。 吉羅に組み敷かれて抱き締められて、すんなりと受け入れることが出来る。 吉羅と肌を重ねて、お互いの熱を交換しあう。 それがこんなにも嬉しいことだなんて、香穂子は思ってもみなかった。 吉羅と躰も心も重ね合わせる。 それが何よりも幸せだった。 香穂子は、吉羅に愛されて愛して女にされることが、これほどまでに幸せなことだとは思ってもみなかった。 吉羅と愛し合えたことが嬉しくて、刻まれた痛みよりも悦びを感じる。 こうしてお互いに世界で一番近い存在になったのだ。 何度も愛し合って、抱き合って眠る。 太古の昔からずっと続いてきた男と女の愛の交わし方。 吉羅とそれが出来て良かったと、香穂子は思わずにはいられなかった。 翌朝、いつもよりも早くすっきりと目覚めることが出来た。 何だか生まれ変わったような気持ちですこぶる気持ちが良い。 世界でただひとり、総てを受け入れて愛してくれるひとがいる。 総てを知ったうえで、心からの愛をくれたひとがいる。 香穂子はそれだけで幸せだと思った。 目をゆっくりと開き、香穂子は吉羅を見つめた。 くすりと微笑んでしまうぐらいに、吉羅が愛しいと思ってしまう。 本当に夢のように素敵で綺麗なひとだと思う。 そんな吉羅が、こうして愛してくれたことが奇蹟のように思えた。 神様に奇蹟を起こしてくれて有り難うと、何度も言わずにはいられない。 香穂子は溜め息を吐くと、吉羅の頬のラインをなぞってみた。 本当に綺麗だ。 見つめていてもいつまで経っても飽きない。 「…どうしたのかね…?」 吉羅は目を開けると、香穂子をじっくりと見つめてくる。 その瞳を見るだけで、香穂子はうっとりとしてしまった。 「…まだ早いだろう?」 吉羅は香穂子をその逞しい胸に抱き寄せてくれる。 「何だかすんなりと目が覚めたんですよ。きっと嬉しいからだと思います。吉羅さんとこういう風になれて、私はとても嬉しいんです。生まれ変わったような新鮮で幸せな気分です…」 「私も、いまだかつてないほどに幸せだよ」 ふたりで微笑み合うと。吉羅は香穂子の唇に甘くキスをくれた。 「…香穂子、大人のデートは合格…だな。これからはこのようなデートを時間がある限り設定しようか」 「有り難うございます。嬉しいです。大人のデートがこんなにも嬉しいものだとは、思いませんでした」 「またしよう。時間はいくらでもあるのだからね」 「はい…」 吉羅にこうして抱き締められている間は、最高の女になった気持ちになる。 世界で一番素敵な女性になったのではないかとすら、思わずにはいられない。 「…しばらくこうしていたいです…」 「私もだ…」 ふたりでただ抱き合っているのが幸せだ。 それだけで幸せでしょうがない。 吉羅に髪を撫でられて、肌に触れられて、再び熱くて優しい至上の時間を過ごす。 本当にこんなにも幸せなことがあるのかと、思わずにはいられなかった。 吉羅とふたりでホテルの朝食を取りにいく。 いつもも一緒に食事はしているが、今日は何だか特別のような気がした。 顔を合わせて食事をする行為というのが、何だかセクシャルな意味があるように思えて恥ずかしい。 だが、いつもよりも幸せな気分だ。 「こうして食べるホテルの朝ご飯も美味しいですね」 「そうだね。たまにはこういったものも良いね」 「はい」 お腹いっぱいに食べた後、香穂子は幸せな気分になる。 食事の幸せな余韻の後、ふたりはチェックアウトをする。 今日はこのまま家に戻って、ゆっくりするつもりだ。 家に向かって、ドライブをする。 いつものタンデムシートなのに、何故かスペシャルなシートに座ったような気分になった。 きっと吉羅と結ばれた効果に違いないのだろう。 このシートは一生自分のシートでありたいと、香穂子は思わずにはいられなかった。 「香穂子、うちに帰ったら軽く家の模様替えをするからそのつもりで」 「はい。何処を模様替えするんですか…?」 「…君は今夜から私の部屋で寝てもらうつもりだからね。その荷物運びが主だよ。ベッドや勉強机は、姉さんの手前移動は出来ないからね…。身の回りで必要な荷物を移動して貰う」 「…はい…」 吉羅と毎日一緒に眠る。 想像しただけで恥ずかしくてしょうがない。 香穂子は嬉しさと恥ずかしさの入り交じった気持ちで、吉羅に微笑んだ。 「一緒に眠る以上は、守ってならなければならないことがある」 大層なことだと思い、香穂子はほんの少しだけ身構えた。 「…何でしょうか…?」 「“吉羅さん”と呼ぶのを止めて貰えないかね? 出来たら…、“暁彦”と呼んで貰えると嬉しいんだがね」 「…あ、あの…」 “暁彦”なんて呼ぶなんて、とてもではないが出来そうにない。 「ふたりきりの時だけで構わないから」 「あ、あの…」 ふたりきりの時だけならば、何とか受け入れることが出来る。 「…ふたりきりの時なら…何とか…」 香穂子が耳まで真っ赤にさせて言うと、吉羅はフッと笑った。 「だったら…、暁彦…さん…」 香穂子が何とか吉羅の名前を呼ぶと、嬉しそうな笑みが返ってくる。 「ありがとう」 吉羅の言葉にこのうえなく幸せを感じていた。 季節が移ろいで来る。 香穂子はと言えば、日本音楽コンクールに参加する準備をしている。 どうしても取りたいコンクールのひとつだ。 それゆえに香穂子は練習にも力を入れている。 吉羅との華やいだ気分になれる愛の生活が、香穂子のやる気を押し上げてくれていた。 香穂子は予選会から参加し、無事に突破することが出来た。 理事長報告ということで、吉羅に真っ先に報告をした。 「吉羅さん、コンクールの予選通過しました!」 「それは良かった。これからもその調子で励みたまえ」 「有り難うございます」 香穂子は電話を切ると、にっこりと微笑む。 その後、両親にも予選を突破して本選に進むことを伝えた。 表面上は、吉羅は理事長として接してくれているが、家に帰れば恋人としてお祝いをしてくれる。 それが嬉しかった。 家に帰ると、家政婦が今日はご馳走だからだと、張り切って料理を作ってくれていた。 吉羅が手配をしてくれているからだろう。 香穂子はその気遣いが嬉しくてしょうがなかった。 夕食の準備が整った頃、いつもよりもかなり早く吉羅が帰ってきてくれた。 白いカサブランカの花束を片手に。 「予選通過おめでとう」 吉羅は優しい笑みを浮かべると、香穂子に花束を差し出してくれた。 「有り難う」 手にした花束の香りが心地好くて、香穂子は思わずにんまりと笑った。 「今日はうちでお祝いをしたくてね、予め頼んでおいたんだ」 「有り難うございます。嬉しいです。私も家でゆったりとお祝いがしたいです」 香穂子がにっこりと笑うと、吉羅は抱き寄せてその髪を撫でてくれた。 ふたりきりの甘い夕食。 香穂子は幸せにひたりながら、これでまた頑張れると思う。 「暁彦さん、有り難うございます。凄く嬉しいですです」 不意に電話が鳴り響き、香穂子は慌てて出る。 「…はい、あ、お父さん! 有り難う! うん、え、本選の時には見に来てくれるの? 有り難うゆっくり話したいよ」 電話は父親からで、本選の日には帰国をして見に来てくれると言ってくれている。 香穂子にはそれが嬉しくてしょうがなかった。 |