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日本音楽コンクールの本選がいよいよ始まる。 これにあわせて両親がいよいよ明日、帰国をするのだ。 香穂子は両親と過ごすための荷物をまとめる。 三日間だけ、親子三人でホテルで過ごすのだ。 短い時間だが、吉羅とそれだけ離れることになる。 香穂子はそれがほんのりと切なかった。 両親と一緒にいられるのはとても嬉しいが、吉羅と離れるのが辛い。 「今夜は君とゆっくりと過ごしたかったからね。少しの時間だが、離れてしまうからね」 「そうですね」 香穂子はほんのりと切ない笑顔を吉羅に向けると、やんわりと抱き着いた。 「…今夜はふたりきりでゆっくりと過ごそう。僅か三日間離れるだけだというのにね」 吉羅は苦笑いを浮かべて、香穂子を見ている。 お互いに片時も離れたくはないのだ。 ふたりは見つめ合った後、熱いキスを交わすと、そのままベッドへと向かった。 愛の営みを終えた後で、吉羅とふたりでしっかりと抱き合う。 「…こうしていつまでもいられたらって…思います…」 「…そうだね…。私もそう思っているよ。君をずっとそばにおいておきたいと思っている…」 「有り難うございます。私はずっと暁彦さんのそばにいますね。ずっとずっと」 「ああ」 吉羅に華奢な躰をギュッと抱き締められて、香穂子は切ないほどの幸せを感じる。 ずっとどんなことがあっても離れたくはない。 「…愛している」 「私も愛しています」 吉羅と甘いキスを交わすと、再び愛し合う。 お互いの心を交換するために。 翌朝、香穂子は吉羅と一緒に両親を迎えに空港へと向かう。 両親を待っていると、手をこちらに向かって振ってくれた。 「お父さん! お母さん!」 両親の姿が見えるなり、香穂子は近付いていく。 久し振りの再会に心が踊った。 「香穂子、元気そうだな」 「お父さんも」 「元気そうで本当に何よりだわ」 母親にしみじみと言われて、香穂子は思わずにっこりと微笑んだ。 「暁彦、香穂子が迷惑をかけてはいなかった? 本当にどうも有り難う」 「大丈夫ですよ。彼女はしっかりとやっていますから」 「それなら良かったわ」 母親は弾むような声で言うと、香穂子の頬を優しく撫で付けた。 「ではホテルまでお送りします」 「暁彦君、本当にすまないね。有り難う」 「いいえ。こちらこそ香穂子にはお世話になっていますから」 吉羅はいつも以上にクールに言うと、車を出してくれた。 ごく自然に、香穂子は助手席に乗る。 ホテルまでゆっくりとした時間が流れた。 つい恋人同士だということが出そうになり、香穂子はつい慌ててしまいそうになったが、吉羅が上手くリードをしてくれた。 吉羅は、香穂子が出会った頃と同じようなクールな雰囲気のままだった。 甘い雰囲気がないのは仕方がない。 香穂子がそれを望んでいたのだから。 まだ両親には、きちんと付き合っていることを言えなかった。 ホテルにチェックインをしてから、四人で横浜のレストランへと向かう。 四人で食事をするのはとても嬉しい。 だが、複雑な気分でもあった。 何だか未来の本当の家族になれたら、これほど良いことはないのにと、香穂子は思わずにはいられなかった。 楽しく食事をしている間、不意にテーブルの下で吉羅が手を握り締めてくる。 最初は驚いてしまったが、直ぐに香穂子も手を握り返した。 ふたりだけの幸せで甘い時間を堪能する。 何故だかイケナイコトをしているような気分に、ほんのりとなったのは言うまでもなかった。 食事の後、吉羅はひとりで家に戻る。 「コンクールはしっかりと頑張りたまえ」 「はい、理事長」 香穂子は素直に挨拶をすると頭を下げる。 吉羅を見送っている間、寂しくてしょうがなかった。 親子水入らずで過ごすコンクールの前日。 香穂子はほんのりと温かくて、少し寂しい夜になる。 入浴を終えて、香穂子は母親とふたりでのんびりした気分で過ごす。 「香穂子、あなた随分綺麗になったわね。大人びたというか…」 「有り難う、お母さん…」 「親としては、嬉しいような寂しいような気分になるわね」 母親はしんみりと言うと、香穂子の手を握り締めた。 「お母さん…」 少しだけ胸が痛い。 母親を裏切っているような気分になるから。 母親の義理の弟である吉羅と恋仲になっているのだから。 「…暁彦も雰囲気が変わったわ…」 母親の言葉に、香穂子はドキリとする。 誤魔化すことが上手く出来なくて、香穂子は息を飲んで頬を紅く染める。 香穂子の変化に気付いたのか、母親はフッと柔らかな笑みを浮かべた。 「あの子はいつも達観していて、何処か冷たい大人びた雰囲気があったの。実の姉を若い時に亡くしているということもあるかもしれない。あのことがきっかけで、あの子の両親は離婚して、結果、父とあの子の母親が再婚したんだけれど…、その時にはもう、自立心が出来上がった今のような冷たい大人の雰囲気があったわ。誰も彼の心の深い部分には触れることが出来なかったし、暁彦も受け入れようとはしなかったから…」 母親は淡々と話した後、香穂子を見つめる。 「…だけど…あの子、とても柔らかな雰囲気になっていたわ…。あんなにも優しい雰囲気は初めてかもしれない。ようやく温かな部分を受け入れたようね…。あの子があんなに優しい雰囲気を滲ませるのは、初めてなのかもしれない…」 母親は優しく笑うと、香穂子の頬にそっと触れた。 「…あの子を変えたのはあなたね…? 私はものすごく感謝しているわ。…同時に、暁彦もあなたを変えたのね…。見ていて凄く解ったわ…。あなたたちはお互いにとても良い影響を受け合っているのね。あなたは大人のた女としての幅の広さと深さを得て、暁彦は男としての深みのある優しさと広さを持った…」 母親はまるで総てをお見通しだとばかりに、微笑む。 香穂子もまたそれで焦るというような感覚は一切なかった。 「…お母さん…」 「あなたたちは愛し合っているのね…」 ごく自然に言われて、香穂子は素直に頷いた。 「やっぱりね。私はあなたたちを応援するわよ。愛しいふたりの家族が、本当に愛し合っているもの。引き離せないわよ…」 母親は香穂子にただ笑みを浮かべてくれる。 母親の大きな愛情に、香穂子の涙がボロボロ出て来る。 嬉しくてしょうがない。 「ほら泣かない。あなたたちに逢った瞬間に、私はあなたをもう暁彦に手渡した気分になったんだから」 香穂子を抱き締めながら、母親はまるで子守歌を歌うように言う。 「…有り難うお母さん」 「いいえ。後はお父さんを説得しなくちゃね。気付いていないみたいだから、あなたを手元に置きたいと言っているのよ」 「…え…?」 吉羅から離れるなんて考えられない。 そんなことをしたら、胸が張り裂けてしまうぐらいに辛いだろう。 香穂子が切なそうな顔をすると、母親抱き寄せる。 「大丈夫よ。あなたの味方だから…。それにそつのない暁彦のことだから…、何か手を打って来そうな気がするけれどね」 香穂子は驚いて、涙目で母親を見る。 母親はただいつものように微笑むだけだった。 「明日はコンクールでしょう? ゆっくりとおやすみなさい」 「…はい」 結局、母親からは何も訊けなかった。 だが、温かな気持ちが心を満たし、明日は頑張れるような気がした。 明日はいよいよ日本音楽コンクールの本番。 |