*こい・うた・ひめ*

16


 日本音楽コンクールの本選がいよいよ始まる。
 これにあわせて両親がいよいよ明日、帰国をするのだ。
 香穂子は両親と過ごすための荷物をまとめる。
 三日間だけ、親子三人でホテルで過ごすのだ。
 短い時間だが、吉羅とそれだけ離れることになる。
 香穂子はそれがほんのりと切なかった。
 両親と一緒にいられるのはとても嬉しいが、吉羅と離れるのが辛い。
「今夜は君とゆっくりと過ごしたかったからね。少しの時間だが、離れてしまうからね」
「そうですね」
 香穂子はほんのりと切ない笑顔を吉羅に向けると、やんわりと抱き着いた。
「…今夜はふたりきりでゆっくりと過ごそう。僅か三日間離れるだけだというのにね」
 吉羅は苦笑いを浮かべて、香穂子を見ている。
 お互いに片時も離れたくはないのだ。
 ふたりは見つめ合った後、熱いキスを交わすと、そのままベッドへと向かった。

 愛の営みを終えた後で、吉羅とふたりでしっかりと抱き合う。
「…こうしていつまでもいられたらって…思います…」
「…そうだね…。私もそう思っているよ。君をずっとそばにおいておきたいと思っている…」
「有り難うございます。私はずっと暁彦さんのそばにいますね。ずっとずっと」
「ああ」
 吉羅に華奢な躰をギュッと抱き締められて、香穂子は切ないほどの幸せを感じる。
 ずっとどんなことがあっても離れたくはない。
「…愛している」
「私も愛しています」
 吉羅と甘いキスを交わすと、再び愛し合う。
 お互いの心を交換するために。

 翌朝、香穂子は吉羅と一緒に両親を迎えに空港へと向かう。
 両親を待っていると、手をこちらに向かって振ってくれた。
「お父さん! お母さん!」
 両親の姿が見えるなり、香穂子は近付いていく。
 久し振りの再会に心が踊った。
「香穂子、元気そうだな」
「お父さんも」
「元気そうで本当に何よりだわ」
 母親にしみじみと言われて、香穂子は思わずにっこりと微笑んだ。
「暁彦、香穂子が迷惑をかけてはいなかった? 本当にどうも有り難う」
「大丈夫ですよ。彼女はしっかりとやっていますから」
「それなら良かったわ」
 母親は弾むような声で言うと、香穂子の頬を優しく撫で付けた。
「ではホテルまでお送りします」
「暁彦君、本当にすまないね。有り難う」
「いいえ。こちらこそ香穂子にはお世話になっていますから」
 吉羅はいつも以上にクールに言うと、車を出してくれた。
 ごく自然に、香穂子は助手席に乗る。
 ホテルまでゆっくりとした時間が流れた。
 つい恋人同士だということが出そうになり、香穂子はつい慌ててしまいそうになったが、吉羅が上手くリードをしてくれた。
 吉羅は、香穂子が出会った頃と同じようなクールな雰囲気のままだった。
 甘い雰囲気がないのは仕方がない。
 香穂子がそれを望んでいたのだから。
 まだ両親には、きちんと付き合っていることを言えなかった。

 ホテルにチェックインをしてから、四人で横浜のレストランへと向かう。
 四人で食事をするのはとても嬉しい。
 だが、複雑な気分でもあった。
 何だか未来の本当の家族になれたら、これほど良いことはないのにと、香穂子は思わずにはいられなかった。
 楽しく食事をしている間、不意にテーブルの下で吉羅が手を握り締めてくる。
 最初は驚いてしまったが、直ぐに香穂子も手を握り返した。
 ふたりだけの幸せで甘い時間を堪能する。
 何故だかイケナイコトをしているような気分に、ほんのりとなったのは言うまでもなかった。

 食事の後、吉羅はひとりで家に戻る。
「コンクールはしっかりと頑張りたまえ」
「はい、理事長」
 香穂子は素直に挨拶をすると頭を下げる。
 吉羅を見送っている間、寂しくてしょうがなかった。
 親子水入らずで過ごすコンクールの前日。
 香穂子はほんのりと温かくて、少し寂しい夜になる。
 入浴を終えて、香穂子は母親とふたりでのんびりした気分で過ごす。
「香穂子、あなた随分綺麗になったわね。大人びたというか…」
「有り難う、お母さん…」
「親としては、嬉しいような寂しいような気分になるわね」
 母親はしんみりと言うと、香穂子の手を握り締めた。
「お母さん…」
 少しだけ胸が痛い。
 母親を裏切っているような気分になるから。
 母親の義理の弟である吉羅と恋仲になっているのだから。
「…暁彦も雰囲気が変わったわ…」
 母親の言葉に、香穂子はドキリとする。
 誤魔化すことが上手く出来なくて、香穂子は息を飲んで頬を紅く染める。
 香穂子の変化に気付いたのか、母親はフッと柔らかな笑みを浮かべた。
「あの子はいつも達観していて、何処か冷たい大人びた雰囲気があったの。実の姉を若い時に亡くしているということもあるかもしれない。あのことがきっかけで、あの子の両親は離婚して、結果、父とあの子の母親が再婚したんだけれど…、その時にはもう、自立心が出来上がった今のような冷たい大人の雰囲気があったわ。誰も彼の心の深い部分には触れることが出来なかったし、暁彦も受け入れようとはしなかったから…」
 母親は淡々と話した後、香穂子を見つめる。
「…だけど…あの子、とても柔らかな雰囲気になっていたわ…。あんなにも優しい雰囲気は初めてかもしれない。ようやく温かな部分を受け入れたようね…。あの子があんなに優しい雰囲気を滲ませるのは、初めてなのかもしれない…」
 母親は優しく笑うと、香穂子の頬にそっと触れた。
「…あの子を変えたのはあなたね…? 私はものすごく感謝しているわ。…同時に、暁彦もあなたを変えたのね…。見ていて凄く解ったわ…。あなたたちはお互いにとても良い影響を受け合っているのね。あなたは大人のた女としての幅の広さと深さを得て、暁彦は男としての深みのある優しさと広さを持った…」
 母親はまるで総てをお見通しだとばかりに、微笑む。
 香穂子もまたそれで焦るというような感覚は一切なかった。
「…お母さん…」
「あなたたちは愛し合っているのね…」
 ごく自然に言われて、香穂子は素直に頷いた。
「やっぱりね。私はあなたたちを応援するわよ。愛しいふたりの家族が、本当に愛し合っているもの。引き離せないわよ…」
 母親は香穂子にただ笑みを浮かべてくれる。
 母親の大きな愛情に、香穂子の涙がボロボロ出て来る。
 嬉しくてしょうがない。
「ほら泣かない。あなたたちに逢った瞬間に、私はあなたをもう暁彦に手渡した気分になったんだから」
 香穂子を抱き締めながら、母親はまるで子守歌を歌うように言う。
「…有り難うお母さん」
「いいえ。後はお父さんを説得しなくちゃね。気付いていないみたいだから、あなたを手元に置きたいと言っているのよ」
「…え…?」
 吉羅から離れるなんて考えられない。
 そんなことをしたら、胸が張り裂けてしまうぐらいに辛いだろう。
 香穂子が切なそうな顔をすると、母親抱き寄せる。
「大丈夫よ。あなたの味方だから…。それにそつのない暁彦のことだから…、何か手を打って来そうな気がするけれどね」
 香穂子は驚いて、涙目で母親を見る。
 母親はただいつものように微笑むだけだった。
「明日はコンクールでしょう? ゆっくりとおやすみなさい」
「…はい」
 結局、母親からは何も訊けなかった。
 だが、温かな気持ちが心を満たし、明日は頑張れるような気がした。
 明日はいよいよ日本音楽コンクールの本番。



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