*こい・うた・ひめ*


 今は禁忌な関係であってもきっと大丈夫。
 乗り越えてゆけると信じている。
 香穂子は前向きに考えるようにしている。
 大好きな男性は大人で、今は保護者と同じ立場のひと。
 いつもいつも見守ってくれるひと。
 だから乗り遅れないように頑張らなければならないと、香穂子は常に思っている。

 吉羅とは恋人同士になったといえど、余り変わりはない。
 生活に甘さが加わったかと言えばそうではなくて、ただキスをする時だけが甘くなる。
 放課後、彼のいる友達はみんなお迎えや待ち合わせをして、手を繋いで帰ってくる。
 それがとても羨ましい。
 吉羅と手を繋げたら良いのに、それはままならなかったりする。
 それがほんのりと切ない。
 吉羅とふたりで恋人のようなことが出来たらと、思わずにはいられなかった。
「…こんなことを言ったら、子ども扱いをされちゃうよね…」
香穂子は溜め息を吐く。
「日野!」
 声を掛けられて振り返ると、そこにはクラスメイトの土浦がいた。
「お前、これから練習?」
「うん、そうだよ」
「だったら、このヴァイオリンのアレンジを良かったら試してくれないか? ピアノ伴奏付で」
 土浦に楽譜を渡されて、香穂子はそれを読む。
「解ったよ。私も試してみたいアレンジでもあるからやってみるよ」
「サンキュ。じゃあ早速やろうぜ」
「うん。やってみよう!」
 新しい楽曲に挑戦するのはやぶさかではない。
 香穂子は指揮者を目指す土浦のアレンジが楽しみでしょうがなかった。

 香穂子と想いが通じあったのはとても嬉しい。
 だが、まだまだ子どものような恋愛だ。
 本当の意味での恋ではない。
 吉羅は香穂子を強く思いながら、どうすれば先に進めるかを考えてみる。
 だが、香穂子を余り焦らせてはならない。
 大切な大切な存在なのだから。
 預かっているということもあるが、余り早急に進めることは出来ない。
 香穂子を本当の意味で恋人にしたい。だが、それが難しいことは解っている。
 香穂子への配慮と欲望との攻めぎあいに苦しんでしまう。
 香穂子は運命の女だ。
 だからこそ大切にしたい。
 だが総てが欲しい。
 吉羅は、大人であるがゆえの甘い苦しみを味わっていた。
 吉羅が理事長室を出たところで、香穂子と土浦が楽しそうに話しているのをみかけた。
「じゃあね、土浦くん。またね」
「ああ」
 土浦を香穂子が笑顔で見送っているのを見ると、同じ年の爽やかなカップルにしか見えない。
 吉羅は、言い表すことが出来ないほどの嫉妬を抱えながら、香穂子を見つめる。
 自分よりも似合いに思える。
 年齢のバランスからいくと、誰が見ても香穂子と土浦のほうがカップルに見える。
 嫉妬をしてもしょうがないのに。
 香穂子が自分のことを愛してくれていることは知っているのに、なのに嫉妬は治まらなかった。
 土浦が見えなくなり、廊下には誰もいない。
 吉羅は香穂子の腕をいきなり取ると、その腕の中に引き寄せた。
「きゃっ!」
 香穂子小さく声を上げると、驚いたように吉羅を見る。
 香穂子をそのまま、死角になる階段下に連れ込む。
「吉羅さん…」
「…いい加減にするんだ」
 吉羅が低い声で嗜めるように言うと、香穂子は驚いて口を開く。
「あ、あの…」
「全く…君は…」
 吉羅は香穂子にお仕置とばかりに、首筋に唇を当てると、そこを吸い上げた。
「…やっ…!」
 香穂子は甘い声を出して、吐息を桃色に弾ませる。
 それがとても色気があって美しい。
「…誰かに見られたら…」
 恥ずかしそうに目を伏せる香穂子が、吉羅は可愛いくてしょうがないと思う。
「…いけないことをしているとでも思っているのかね…?」
 吉羅がからかうように低い声で囁くと、香穂子は恥ずかしそうにむくれた。
「いけないことをしているのは、吉羅さんです…」
「香穂子…。じゃあもっといけないことをすれば良い…」
 吉羅は柔らかく囁くと、香穂子の唇を優しく奪った。
 触れるだけの優しいキスをした後で、香穂子は嬉しそうに微笑む。
「…吉羅さん…、大好きです…」
「私もだ…。今日は早く帰るから。気をつけて帰りたまえ」
「はい」
 香穂子から離れるのはとても名残惜しいが、そこは耐えることにした。
 香穂子が行ってしまった後、吉羅は再び仕事に戻る。
 こんなにも幸せを感じられたことはなかった。

 香穂子は頬を赤らめながらも、幸せな気分で下校をする。
 恥ずかしかったが、吉羅にキスをされて嬉しかった。
 これ以上幸せなことはないと思う。
「…どうして吉羅さんはあんなところでキスしてきたのかな? 家で訊いてみよう」
 香穂子は鈍感であるがゆえに、吉羅の気持ちがよく解らなかった。
 自宅まで歩いている間も、本当にふわふわして雲を踏んでいるかのような気分で幸せだ。
 香穂子は今日ヴァイオリンで弾いた楽曲を鼻歌にアレンジして、楽しみながら帰宅した。

 家に帰り、家政婦さんが作ってくれた食事を食べる。
 しっかりと食事をした後、ヴァイオリン練習に集中する。
 吉羅の家は防音が完璧なので、ヴァイオリンを弾くのはとても楽しかった。
 ようやく吉羅が仕事から帰ってきて、香穂子は出迎えにいく。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 吉羅は香穂子を見つめると、糖蜜よりも甘く微笑んでくれた。
「食事を温めますね。家政婦さんから方法を聞いていますから」
「ああ。有り難う」
 昨日まであんなにもギクシャクしていたのが嘘のように思える。
 香穂子は吉羅の食事を温めることに、幸せを感じていた。
 吉羅が夕食を取っている間、その相手をする。
 迷惑かもしれないが、嬉しかった。
「香穂子、今日のヴァイオリンレッスンは上手くいったのかね?」
「はい。だいたいは。土浦くんがアレンジをしたヴァイオリンの楽譜が、かなり気に入りました。弾きやすかったんですよ。色々なアレンジの楽譜を弾くのは、本当に勉強になります」
「そうか」
 吉羅の声が急に低くなったかと思うと、香穂子を厳しいまなざしで睨み付けてくる。
 どうしてこんなにも不機嫌になってしまったのか、香穂子には解らなかった。
「…吉羅さん?」
「香穂子、余り他の男とふたりきりになるな。何かあるか分からないだろう?」
 吉羅の釘をさすような口調に、香穂子は目を見開く。
「だって土浦くんだよ? 友達だから、吉羅さんが考えているようなことは、怒らない…」
 そこまで言ったところで、香穂子はようやく意味を理解する。
 吉羅は土浦に嫉妬をしていたのだ。
 その証拠に、吉羅の瞳の周りが紅く染まった。
「吉羅さん…ひょっとして…、土浦くんに嫉妬していませんか…?」
 香穂子がやんわりと訊いても、吉羅は黙っている。
 ただ瞳の周りを更に紅くしている。
 その姿が本当に可愛くて、香穂子は思わず笑顔になってしまう。
「…可愛い…」
 香穂子がつい言うと、吉羅は香穂子を睨み付けてくる。
 次の瞬間、香穂子は軽々と抱き上げられた。
「吉羅さんっ…!?」
「香穂子…。君にはお仕置が必要のようだね」
「お、お仕置っ!?」
 香穂子が焦っている間に、吉羅はクールにマスターベッドルームへと向かう。
「…私に“可愛い”と言うのは10年早い…。私より今直ぐ年上になれば話は別だがね」
 吉羅は香穂子をベッドに寝かせると、組み敷いてきて、いきなりブラウスのボタンを三つ外してくる。
 露になった胸元に幾つも痕をつけてきた。
「…あっ…!」
 これより先に進むのだろうか。
 そう思った瞬間、吉羅は香穂子から離れた。
「お仕置はおしまいだ」
 吉羅は甘い笑みを浮かべると、香穂子を抱き締めてくる。
「…このまま少しだけじっとしていてくれないか?」
「はい」
 香穂子は包み込むような声で言うと、吉羅を抱き締めた。 
 まるでピエタの像のように。



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