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吉羅は、香穂子の華奢な躰を強く抱き締めながら離さない。 「…君はちゃんと生きられる。そう思いなさい…。前向きになるだけで、君の命の灯火は、長らえさせることが出来るから。前を向いて生きなさい」 吉羅は香穂子をなだめるように言うと、その背中を撫でる。 香穂子の躰は余りに華奢で、柔らかく、何処か禁断な温もりを感じた。 抱き締めてしまえば消えてしまうような、そんな危うさすらあった。 「…私も君と一緒にずっといる…。だから、そんなには悲観にならないでくれ…。一緒に頑張るんだ」 「…先生…」 香穂子は不安であることを滲ませるように、吉羅の鍛えられた逞しい躰に、ギュッと抱き付いてくる。 その危うい心許無さに、吉羅は益々力強く抱き締めた。 「…遅くなると躰に良くない…。今夜は眠るんだ…」 「…はい…」 香穂子は、吉羅から離れたくないとばかりに、背中にすがりついてくる。 その柔らかな心地好さに、吉羅は離したくないと思った。 永遠にこの躰を抱き締めていられたら、これ程嬉しいことはないというのに。 神様はそれを許してはくれない。 もし、許されるとするならば、吉羅が勇気を持って、香穂子のためにメスを握る時だろう。 まだその勇気はない。 医療雑誌を見ても踏ん切りもつかなければ、欲しい情報もない。 もう二度と、大切に想う者を自らの手で失いたくはない。 かと言って、このまま手をこまねいていれば、日野香穂子を着実に死に追いやるだけだというのに。 結果は同じだ。 結局は香穂子がいなくなるのは同じなのだ。 ただそれが自分の手かそうでないかだけなのだ。 いや違う。 どの方法を取ったとしても、香穂子を失う原因は自分にあるのだ。 香穂子とギリギリまで一緒にいられるか。 それともそれよりも少し前までしか時間がないか。 ただ、それだけなのだ。 その違いしかないというのに、未だに踏み込めないでいる。 「…先生…?」 吉羅の不安を感じたのか、香穂子が心配そうに見つめてきた。その瞳には、吉羅以上の不安を滲ませている。 香穂子のほうが、吉羅以上に不安なのだ。 なのにこうしてこちらの心配をしている。 時間が残り少なく、命のカウントダウンが始まっているのは、香穂子なのに。 「…すまない。私も今夜は疲れているようだ。休もうか」 吉羅は香穂子の華奢な躰を抱き上げると、部屋に連れていく。 出会った頃よりも、明らかに痩せてしまった。 吉羅は苦々しく思いながら、香穂子を部屋まで運び、ベッドに寝かせた。 「…おやすみ」 ベッドから離れようとして、吉羅はシャツを思い切り捕まれる。 「…せめて眠るまでそばにいて下さいと言うのは…、…わがままですか?」 今にも泣き出しそうなほどに潤んだ瞳で見つめられて、吉羅は胸を突かれる。 香穂子に懇願されると弱い。 お願いや可愛いわがままを抗えない程に、大きく失いたくない存在になっていた。 吉羅はフッと柔らかい溜め息を吐くと、静かに頷く。 「…解った」 「有り難うございます」 はにかんだ香穂子の笑顔が、どの宝石よりも綺麗で、吉羅の胸を幸せにしてくれる。 吉羅は香穂子の横に滑り込むと、細い躰をギュッと抱き締めた。 「…これで構わないかね?」 「…有り難うございます…。凄く…嬉しいです…」 香穂子は吉羅の胸に顔を埋めると、まるでずっと離さないとばかりに、抱き締めてきた。 香穂子に抱き締められて、抱き締めて。 そうするだけで、吉羅は至高の幸せを感じた。 やがて香穂子の寝息が聞こえて、眠りに落ちたのが解った。 吉羅はあどけないまだ少女の色を遺した寝顔を見つめた後で、額にそっとキスをした。 ベッドから静かに出ると、浴室に向かう。 シャワーを浴びている間、ほてった躰を沈めるために懸命になる。 ほんの少し抱き締めただけなのに、香穂子に欲情してしまった。 こんなことは未だかつてなかった。 女にごく自然に欲情するなんて、今までの吉羅では考えられないことだった。 何とかシャワーで熱を沈めたものの、また、香穂子を抱き締めたくなる。 この腕に閉じ込めてしまいたくなる。 吉羅は、香穂子が眠る部屋の前まで来たところで、ドアノブを回そうとしてしまう。 このまま抱き締めていられたら。 そう強く思った瞬間に、ドアの向こうから苦しげな声変わり聞こえた。 吉羅は直ぐにドアを開けて、香穂子に駆け寄る。 「日野君!?」 吉羅がベッドを覗き込むと、香穂子は切なげに目を開いた。 「…吉羅先生…何処にも行かないで下さい…お願い…」 「…日野君…」 今にも泣き出してしまいそうなまなざしに、吉羅は香穂子を抱き寄せた。 「…何処にも行かないから、君は心配しなくても良いんだ…」 「有り難うございます」 香穂子はホッとしたように吉羅を見ると、すがりつくかのように抱き着いてきた。 「…日野君…」 吉羅は、香穂子の総てを包み込むかのように抱き締めると、再び同じベッドに躰を横たえる。 こうしてそばにいて抱き締めるだけでも幸せを感じる。 香穂子の心許無い温もりをいつまでも感じていたかった。 とても安堵する温もりに包まれながら、香穂子は目をゆっくりと開いた。 直ぐ近くに吉羅の姿を感じ、香穂子は嬉しい微笑みを浮かべた。 吉羅にこうして抱き締められるだけで、嬉しくてしょうがない。 まるで総てを守られるように抱き締められているのが、嬉しくてしょうがなかった。 もっと吉羅の温もりを感じたくて、香穂子は躰を擦り寄せた。 すると吉羅がゆっくりと夢見るようなスピードで目を開く。 「…おはよう…日野君…」 「おはようございます…、吉羅さん…」 香穂子が呼び掛けると、吉羅はフッと微笑みを浮かべた。 「気分はどうかね?」 「…有り難うございます。とても気分が良いです…」 「…そうか、なら構わないが…。朝食を作ろうか…。今日は私も休みだから、ゆっくりと出来るから」 「はい。今日は家にいらっしゃるんですか?」 「そのつもりだ…」 「だったら嬉しいです」 香穂子が笑顔を向けると、吉羅も微笑んでくれた。 「部屋に戻って着替えてくる。君はもう少し休んでいると良い。無理は禁物だからね」 吉羅はベッドから出ると、部屋から出て行く。 「有り難うございます」 香穂子は吉羅の背中を見つめながら、ほわほわとした幸せを感じていた。 吉羅が作ってくれた茶粥を食べていると、吹抜けのダイニングに電話の音が響き渡った。 吉羅は静かに出ると、一瞬、表情を変える。 「…君か…。…今日は休みだが、出られないんだよ。え…?」 会話の内容から、相手が女であることは明らかだった。 ズキリ。胸が痛むと同時に、自分を優先してくれるのが嬉しかった。 「…え…。そうか…。それは私には必要だ。解った。直ぐに迎えに行く」 吉羅はそこまで言うと、電話を静かに切った。 行かないと言ったのに行くということは、余程のことがあるのだろう。 「日野君、すまないが、今日はひとりで過ごしてくれたまえ。なるべく早く帰る」 「解っています。待っていますから楽しんできて下さい」 本当は行って欲しくないのに、その反対のことを言ってしまう。 「すまない。土産でも買って来よう」 「…有り難うございます」 泣きたいのに泣けないまま、香穂子は笑顔で言うしかなかった。 吉羅が出掛けて、代わって家政婦がやってくる。 「こんにちは、香穂子ちゃん」 家政婦の顔を見た瞬間、何かの糸がプツリと切れたように香穂子は倒れこんだ。 |