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吉羅とふたりで素敵な日々が続く。 本当に夢を見ているかのようだった。 吉羅には、ロマンティックな時間を過ごさせて貰っている。 デートをしている時は本当に幸せで、こんなにも幸せで良いのだろうかと何度も思った。 吉羅とふたりで過ごすだこで幸せだ。 香穂子にとってはかけがえのない時間になっていった。 こんなにも幸せだから、つい欲張ってしまう。 もっともっと一緒にいたいと、わがままな感情を抱いてしまう。 吉羅とこうして一緒にいられるからこそ、欲張ってしまうのだ。 香穂子は、吉羅への想いが、もうどうしようもないほどに燃え上がっているのを感じながら、過ごすしかなかった。 今夜は吉羅と一緒にパーティへと向かう。 綺麗に着飾らなければならなくて、香穂子は一生懸命お洒落をした。 吉羅に恥をかかせるようなことはしないようにと、香穂子は背伸びをするように、お洒落をした。 ドレスワンピースを着こなした。 薄く化粧をして向かう。 今までならばここまで気遣うことが出来なかった。 だが相手は吉羅暁彦だ。 香穂子が想像出来ないほどのセレブリティだ。 その吉羅に、恥かしい想いをさせたくはなかった。 だから自分自身では一番お洒落をしたつもりだ。 パーティドレスなんて殆ど関係ないような生活を送っているのだから、当然なのだが。 香穂子が待ち合わせの場所に向かうと、吉羅は直ぐに向かえに来てくれた。 香穂子は、吉羅のカジュアルなスーツ姿にうっとりとしてしまう。 どのようなスタイルであったとしても、吉羅暁彦は吉羅暁彦なのだと、香穂子は思った。 吉羅は車から降りるなり、香穂子の姿をじっと見つめる。 その視線が厳しい。 だが、これが香穂子だ。 落ち込んでも何をしてもしょうがないのだ。 「行こうか」 「はい」 香穂子の手をそっと握り締めると、吉羅は車へとエスコートしてくれる。 その紳士ぶりに、香穂子は圧倒されていた。 車で向かったのは、山手の瀟洒な洋館。 横浜の街を見渡せるベストポイントだ。 このような風景を見ることが出来る家に住むのが、子供の頃の夢だった。 今はもう叶うことはないことぐらいは、解っている。 香穂子はロマンティックな豪邸にうっとりとしながら、吉羅と共に家へと入っていった。 「まあ! ようこそ! 吉羅さん!」 「暁彦君、よく来たね」 出迎えてくれたのは本日のホストの夫婦で、とても雰囲気の良いふたりだった。 吉羅よりも少し年上のふたりには、可愛い幼稚園ぐらいの子供がいた。 一家を見て、香穂子は思わずうっとりとする。 このような家族を持つのが、夢だったからだ。 香穂子にとっては。 夢だった。 そうそれだけだ。 もう叶わない夢であるから、まるで宝箱を開けた時のキラキラとした感覚だけがそこにはある。 「今日は来て下さって有り難う。先ほど金澤さんも見えられたところよ」 金澤もパーティにいる。 ほんのりと緊張が解けて行くのが香穂子には解った。 夫妻の雰囲気といい、香穂子はホッとしていた。 「後でまたお話をしましょう」 「はい!」 香穂子はすっかり緊張を解きほぐして、笑顔で答えていた。 「金澤先生!」 「日野、吉羅!」 金澤はふたりを落ち着いた笑みで迎えてくれる。 特に香穂子に対しては、兄のように優しく包容力があるまなざしを向けてくれた。 「…日野…、今日は精一杯楽しむと良い…。ホスト夫妻は良い方々だからな」 「はい。有り難うございます」 香穂子は笑顔で頷く。 金澤の心配そうな笑顔を見ていると、有り難いと思うのと同時に切なくなる。 自分が病気であることを思い知らされているような気分になってしまうのだ。 それが痛い。 「後でゆっくりと話そう」 「はい」 「金澤さん、では後で」 吉羅は香穂子の手をそっと握り締めてくる。 香穂子は笑顔になると、吉羅を真っ直ぐ見つめる。 温かな気分になった。 パーティはとても楽しいものだった。 主催者の人柄か、香穂子も安心して参加をすることが出来る。 パーティを楽しんでいると、不意に辺りが華やいだ雰囲気になった。 香穂子が振り返ると、本当に美しい女性がやってきた。 恐らくは仕事などでパーティに遅れてきたのだろう。 そのような雰囲気だった。 笑顔がとても綺麗で、圧倒されるような雰囲気がある。 女である香穂子ですらも、うっとりとしてしまっていた。 「吉羅さん、こんばんは」 声の雰囲気に、香穂子は聞き惚れてしまう。 「こんばんは」 吉羅の冷徹な雰囲気は変わりないが、一瞬、瞳に笑みを浮かべたように見えた。 ふたりは以前からの知り合いのようで、とても親密そうに見えた。 そう思った途端に、胸の奥底が痛くてしょうがなくなる。 ふたりが見つめ合って話しているのを見ていると、本当によく似合っている。 二人こそがベストカップルのように思える。 ずっと吉羅の側にいることが出来ないと解っているくせに、どうして嫉妬をしてしまうのだろうかと思う。 嫉妬なんてしてもしかたがないというのに。 なのに嫉妬せずにはいられなくなってしまう。 結末なんて解っているのに。 別れなければならないのは解っているというのに。 なのに女に嫉妬せずにはいられない自分が、香穂子は嫌でしょうがなかった。 まるでふたりは、香穂子がそこにいないかのように会話を続ける。 じっと待っていると、女は一旦、吉羅から離れた。 ホッとしたものの、何だか後味が悪かった。 「日野さん、あなたがヴァイオリニストだと伺いました。このパーティに相応しい曲を一曲、弾いて貰えませんか?」 パーティのホストに言われて、香穂子は頷く。 ヴァイオリンを持って来て良かったと、心から思った。 香穂子はパーティ会場の隅でヴァイオリンを取り出し、奏で始める。 明るいものを選んだ。 香穂子がヴァイオリンを弾き終わると、大きな拍手を貰うことが出来た。 それが嬉しい。 自分のヴァイオリンが、誰かの心に届いたらそれはとても嬉しい。 香穂子が笑顔で称賛に応えていると、吉羅が会場にいないことに気が付いた。 しかもあの美しい女性がいない。 香穂子にどす黒い不安が過ぎった。 香穂子のヴァイオリン演奏は素晴らしいものだった。 ここまで素晴らしい演奏をするヴァイオリニストはいないだろう。 もっと世に出るべきだとすら吉羅は思った。 「…吉羅さん…、ふたりきりでお話をしませんか…?」 いつも後腐れなく付き合うことが出来る女が声を掛けてきた。 性格も華やかで明るくて、美しさも申し分ない。 お互いに縛られることを嫌うせいか、ある意味意気投合している相手でもある。 吉羅は、香穂子を見つめながら、誰からも好かれる雰囲気にほんのりと苛立ちを感じていた。 何故、自分のところに真っ先に来ないのかと、そんなことすら考えてしまう。 香穂子をうっとりと見つめる男達の視線など見たくはない。 「話をしようか」 吉羅は静かに言うと、女の腰を抱いて中庭へと向かった。 ヴァイオリンを奏で終わった後、香穂子は吉羅がいないことに気が付いた。 「あの…吉羅さんはどちらに…?」 近くにいた招待客に訊くと、中庭にいると答えてくれた。 香穂子は逢いたくてドキドキしながら、中庭に向かう。 吉羅を見つけて、声を掛けようとする。 「…吉羅…っ!」 吉羅は、あの美しい女性と抱き合いながらキスをしていた。 |