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憐れみだから、香穂子を求めているのではない。 それをどうすれば本人に伝えることが出来るだろうか。 吉羅は考える。 香穂子を本当に純粋な気分でそばに置きたいだけなのだ。 一緒にいて、想い出を沢山作りたいと思う。 ただそれだけだ。 心の奥底で香穂子だけを求めてしまう。 それが素直な気持ちであることに気が付いた。 吉羅は、香穂子を想いながら、どうかそばにいて欲しいと祈らずにはいられない。 香穂子が愛しいからこそ、そばにいたいのだ。 こうして誰かに跪くようなほどに愛してしまうのは初めてだった。 香穂子がそばにいてくれるならば、何もいらないとすら思った。 香穂子は、後悔しないためにどうすれば良いかとそればかりを考えていた。 ベッドの上で膝を抱えていると、母親が病室に入ってきた。 「香穂子、何をそんなに深刻そうに考えているの…?」 「…お母さん…」 香穂子は母親を縋るような想いで見つめる。 「どうしたの?」 「お母さん、後悔しない生き方って、心の深い部分が求めていることをすること? それとも、自分の理性が求めていることをすること…?」 どちらがベストであるかは、香穂子には解らない。 どちらを選べば、笑っていられるのだろうかと香穂子は思った。 「…そうね、理性が選ぶほうは冒険はないし、安心出来るわね。こころが本当に望むものは、リスクが高いかもしれない。だけど、満足感や想い出は、理性で選んだ道よりも大きいと思うよ。きっと沢山笑う事も出来るよ。だから後悔をしないというのは、やっぱり、心の深い部分が望んでいることに違いないわよ」 母親はゆっくりとした味のある声で話をしてくれた。 香穂子は母親の言葉をしっかりと受け入れる。 香穂子にとってはリスクがかなり大きいかもしれない。 だが、それ以上のものを選ぶことが出来るかもしれない。ならば心でしっかりと選んだほうが良い。 「…有り難うお母さん…。何となく、答えは見つかったよ」 笑顔で母親に言うと、香穂子はこころがスッと楽になるような気がした。 心に従おう。 自分が行きたい方向に歩いて行けば良いから。 香穂子は本当に気分がスッキリとした。 「香穂子、答えが見つかったみたいで良かったね」 「うん、有り難う…」 吉羅に逢おう。 香穂子は決心すると、吉羅に返事の為のメールを書いた。 吉羅暁彦さま。 先ほどは、わざわざ電話を下さいまして有り難うございました。 あなたに逢いたいと思います。 ただ、私は現在入院中で、余り時間を取ることは出来ません。 面会時間のほんのひとときであれば、お逢いすることが出来ます。 お仕事の都合もあるかと思います。 夕食後の少しの間であれならばお逢いすることが出来ます。 病院はスモルニィ大学付属病院です。 お時間があれば、どうか来て下さいね。 それではまた。 香穂子はメールを書くとそれを送信する。 これで吉羅がやってくるだろう。 それが香穂子にとっては楽しみになっていた。 吉羅は、仕事の合間に、何度かメールを見た。 こんなにもそわそわする気分は始めてだった。 香穂子からの良い返事を貰えるようにそれだけをつい考えてしまう。 吉羅は今は香穂子が良い返事をくれるようにと、祈るしかなかった。 しばらくして携帯電話にメールが届いた。 そのメール見るだけで、香穂子は癒されるような気分になった。 吉羅は早速、メールを読む。 メールの文書には、香穂子らしいと思う。 吉羅は、じっくりと何度もメールを読む。 気遣いと優しさが、吉羅の心に染み渡ってきた。 香穂子に逢いたい。 今すぐに。 香穂子にただ逢うだけで良い。 仕事なんて後からどうにかなるだろうから。 吉羅は、香穂子が驚くと思い、何とか思い止どまって仕事をこなした。 吉羅はいつ来るかどえかが分からないから、香穂子は甘いドキドキを覚える。 髪を必要以上に梳かして、綺麗にする。 勿論、リップクリームも離さずに手入れをした。 早目の食事の後で、香穂子は何だかそわそわする。 やはりそれだけ吉羅のことを求めていたのかと思い知らされた。 香穂子はやはり吉羅と逢う事を選択して良かったと心から思う。 もしそうしなければ、最期の日に、後悔をすると思った。 吉羅は、香穂子のことを思いながら、大学病院へと向かう。 結局、こなさなければならない仕事が山程あり、面会時間ギリギリになってしまった。 吉羅は花束を持って、香穂子の病室に向かう。 緊張する。 久し振りに逢うから勿論のことだが、本当に憬れるひとに逢う高校生のようなピュアな気分になった。 背筋を伸ばして、吉羅は病室をノックする。 すると「どうぞ」という声が聞こえてきた。 香穂子の声だ。 吉羅がずっと聞きたいと思っていた香穂子の声。 吉羅は背筋を伸ばしながら、緊張して病室へと入って行った。 病室には、綺麗に背筋が伸びて美しい香穂子が、ベッドの上で座っていた。 「吉羅さん…」 香穂子に名前を呼ばれた瞬間、吉羅は幸せな気分になった。 「香穂子、これを」 「有り難うございます」 香穂子に花束を手渡すと、本当に嬉しそうににっこりと笑ってくれた。 「具合はどうなのかね?」 「いつものことなので慣れているから大したことはありませんよ。明後日には退院出来ますし」 明後日に退院が出来ると聞いて、吉羅はホッとした。 「それは良かった」 「はい」 香穂子は笑顔で頷き、何処かホッとしているかのようだった。 やはり退院したいという想いが強くなるのは、吉羅にも解る。 「…退院したら、また一緒に出かけないか? 君の退院祝いをしたいからね」 「有り難うございます。嬉しいです」 香穂子がまた逢ってくれる。 吉羅はそれだけで嬉しいと思った。 「有り難う」 吉羅が思わず礼を言うと、香穂子は驚いたように息を呑んだ。 「…え…?」 「…私は…、君を傷付けるようなことをしてしまったというのに、君はまた私に逢ってくれる。それが嬉しい。本当に済まなかったと思っている」 吉羅は誠実な気持ちで、香穂子に詫びる。それを静かで穏やかな表情で、香穂子は聞いていた。 「有り難うございます、吉羅さん。あなたのおかげで私は素直な気持ちに戻ることが出来ました。どうも有り難うございます」 香穂子は素直な声で言ってくれる。 それが嬉しかった。 「退院してすぐに出かけても構わないかね?」 「大丈夫ですよ。もう体力は回復していますから」 「ああ。それは良かった。では退院をしたら近いうちに退院祝いをしよう」 「有り難うございます」 香穂子の笑顔に癒される。 吉羅はそれだけで良かった。 短い時間に話をした後、面会時間は終了し、吉羅は香穂子の病室を後にする。 こんなにも心がときめくお見舞いは他にないと香穂子は思わずにはいられなかった。 吉羅が帰った後も幸せで香穂子はふわふわとした気持ちでいられた。 吉羅と逢う事を選択して良かったと、思わずにはいられなかった。 同時に、きちんと吉羅には病気のことを話さなければならない。 その上で受け入れてくれるのであれば、これほどまでに良いことはないのにと思わずにはいられなかった。 神様。 どうか吉羅が受け入れてくれますように、力を貸して欲しい。 香穂子はそう思わずにはいられなかった。 どうか。 残された時間を有意義に過ごせるようにと祈らずにはいられなかった。 |