*Limited Lovers*

15


 退院の日、香穂子はのびのびとした気分だった。
 今までの中でも最も嬉しい退院だと思う。
 本当に心から求めているひとが、待ってくれているのだから。
 明日は吉羅が退院祝いをしてくれるのだ。
 一番楽しみにしている退院祝いだった。
 だが、同時に、吉羅にはきちんと病気のことを話さなければならないことは、解っている。
 その上で吉羅が受け入れてくれるのならば、こんなにも嬉しいことはないと、香穂子は思う。
 だがわがままは言えない。
 わがままを言うとわけにはいかないのだ。
 吉羅には吉羅の想いがあり、それは自由なのだから。

 香穂子と久し振りに一緒に出かけることが出来る。
 それだけで、吉羅は幸せでしょうがなかった。
 これからはきちんと香穂子を支えていきたい。
 それ以外には何もない。
 香穂子を支えられたら良いと、思わずにはいられなかった。
 ふたりで手を携えて頑張ってさえいけば、いつか奇跡を起こすことすら出来るのではないかと思う。
 香穂子に何を言われても、吉羅はそれを受け入れるつもりでいたし、受け入れられると思っていた。

 香穂子と元町駅前で待ち合わせをし、そこから車で夜景の美しいレストランへと向かう。
 現れた香穂子は透明感があって綺麗だった。
 吉羅はつい見惚れてしまう。
「お待たせしました」
「では、行こうか」
 吉羅は香穂子をエスコートして車に乗せ、夜景の美しいレストランへと向かう。
 隣に座る香穂子はとても美しいが、少しやつれたようにも思えた。
 恐らくは、入院生活のせいなのだろう。
 美しいが、やはりやつれていない香穂子のほうが綺麗だと吉羅は思った。
「こうして吉羅さんと一緒に食事をするのがとても楽しみで嬉しいです」
「私もだ。香穂子」
 吉羅が素直に思ったことを口にすると、香穂子は笑顔になる。
 やはり素直になることが大事であることを、吉羅は学んだ。
 香穂子には素直な気持ちを伝えれば良い。
 本当にただそれだけなのだ。
 吉羅は感情に対してもようやく自由になったような気がした。

 吉羅とこうして再び一緒にいられることが、香穂子は素直に嬉しかった。
 吉羅のそばにいられるだけで、香穂子は幸せを感じる。
 最期までこうしてふたりでいたい。
 それが香穂子の望みだ。
 それ以外にはない。
 レストランのあるホテルの駐車場に到着し、吉羅にエスコートされる。
 本当にお姫様にでもなったような気分だ。
 吉羅と一緒にいる。
 それが香穂子にとっては奇跡のように嬉しいことだった。
 吉羅と一緒にレストランに入り、一番夜景が綺麗な場所に案内される。
 それがとても嬉しかった。
 食事も美味しくて、香穂子はいつも以上に食べる。
「病気のご飯が不味かったから、ここの食事がとても美味しく想えます」
 香穂子が茶目っ気たっぷりに言うと、吉羅もフッと笑う。
「確かに病院の食事というものはそんなに美味しくはないからね」
 吉羅は苦笑いを浮かべながら、食事を進めていた。
「本当に美味しいです。こんなに美味しい食事は久しぶりです」
「私もそう思うよ」
 吉羅に思わず笑みを向ける。
 本当にわきあいあいとしたふたりきりの食事となった。

 デザートまで食べ終わると、香穂子はとても良い気分になる。
「吉羅さんとこうして一緒に食事をすることが出来るのが何よりもの幸せです」
「私もとても美味しい食事をさせて貰ったよ。これからも、ずっとこうして一緒に食事をして貰いたいね」
「有り難うございます」
 香穂子は即答を避けるように、ただ笑顔でお礼を言っただけだった。
「吉羅さん、食事が終わったら、一緒に散歩でもしましょうか」
「ああ。そうだね」
 吉羅とふたりでレストランから出た後、ふたりは手を繋いだ。
 夜風を浴びながらゆっくり歩くととても気持ちが良かった。
「私…吉羅さんにどうしてもあなたにお話をしなければならないことがあります…。訊いて頂けますか」
「もちろんだ」
 吉羅はストレートに言うと、香穂子を見つめた。
 そのまなざしを見ていると、ほんのりと胸が痛む。
 だが嘘を吐くことは出来ない。
 香穂子は軽く深呼吸をすると、ただ真直ぐ吉羅を見た。
「…吉羅さん…、以前、私が病気だとお伝えしましたが…、覚えていらっしゃいますか?」
「もちろん」
「…時間がないとお伝えしたことも…」
 吉羅は一瞬厳しい表情になったが、直ぐにいつもの表情に戻り、頷いてくれた。
「…有り難うございます…」
 香穂子は吉羅のまなざしを見る。
 香穂子の口から最悪の言葉が紡がれることを、吉羅は恐れているような気がする。
 だがここはあえて言わなければならない。
 それが吉羅と自分を傷つけたことになろうとも。
 その後の傷を考えたら、まだマシのような気がするから。
 香穂子は浅く呼吸をした後、吉羅を見る。
「…私…、来年の桜を…恐らくは見ることが出来ないでしょう…。私…余命宣告を受けています」
 香穂子はなるべく深刻にならないようにと、努めて明るいトーンの声で言った。
 吉羅の瞳をまともに見ることが出来ない。
 驚いていることだろう。
 仕方がない。
 それが事実なのだ。
 香穂子は腹を括って吉羅を見た。
 吉羅はいつも通りの表情をしていたが、その瞳は動揺しているようだった。
「…吉羅さん…、それであなたが嫌だと思われるならば、私たちはそれまでです。これは覆すことの出来ない 事実だから…あなたがどのような選択をされても自由だと思っています」
 吉羅は何も答えない。
 答えられないというのが、正直なところなのだろうと、香穂子は思った。
 吉羅がスッと目を細めて香穂子を見つめてくる。
「セカンドオピニオンは取ったのかね?」
「取りました。どの病院のどの医者にかかっても難しい事例だそうです」
 香穂子は淡々と答える。
 事実を伝えられた時、最初は余り取り乱さなかった。
 淡々と事実を聞いた。
 だが、少し時間が経ってから、かなりこころが乱れた。
 辛くて苦しくて泣き暮らした。
 だが。今はもうその事実を受け入れている自分がいる。
 受け入れるまではかなり辛かったが、受け入れてからは、後悔しない生き方をしようと、より前向きに変わった。
 だからこそ、恋をしたくて吉羅に近付いたのだ。
「…私の知り合いに凄腕の医師がいる。その医師の診察を受けると良い。紹介しよう」
「有り難うございます。だけど答は同じだから…」
「そんなことは、診察を受けてみないと解らないだろう!?」
 吉羅はいつもとは違う厳しい声で呟く。
 こんなにも感情的な吉羅を見るのは珍しいと、香穂子は思った。
「…吉羅さん…」
「とにかく。そんな達観した表情で諦めるな。君は諦める理由を探して、自分に言い聞かせているようにしか、私には見えない」
 吉羅はキッパリとストレートに言い切る。
 誤魔化しなく本当のことを、オブラートに包むのではなく、ストレートに言う。
 それは吉羅の良いところだ。
「…有り難うございます…。だけど…私…」
 吉羅にストレートに真実を言われて、香穂子はかなり動揺をする。
「…確かに…そうかもしれません…。私は諦める理由を探して、自分を納得させようとしているのは…事実です…。だけど…、そうしなければならない現実を突き付けられたのは事実です」
 いつの間にか涙が瞳から零れ落ちている。
 熱くて苦しい涙だ。
 だが、吉羅が直ぐに涙を拭ってくれ、受け止めてくれた。



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