18
病院の後、吉羅は香穂子の実家に挨拶に行ってくれた。 両親は、吉羅のセレブリティな雰囲気に、すっかり圧倒されている様子だった。 両親ともかなり緊張しているようで、ソファの上でカチコチになっていた。 「…お嬢さんと一緒に暮らしたいのです」 「吉羅さん、それで構わないですか? この子の病気のことは存じていらっしゃいますか…?」 母親はかなり心配そうに吉羅を見つめている。そのまなざしに宿る愛の深さに、香穂子は泣きそうになった。 「解っています。だから一緒に暮らしたいんです。ふたりで一緒に病気ときちんと対峙したいと思っています」 吉羅はキッパリと言い切ってくれる。 香穂子はそれが嬉しくてしょうがない。 吉羅は両親に誠実な気持ちをきちんと投げてくれていた。 それが両親にも伝わったようで、しっかりと頷いてくれる。 「一緒に暮らすことであなたは幸せなの?」 母親は香穂子の気持ちを確かめるように言う。 「うん、それで私は充分に幸せなんだよ。吉羅さんと一緒にいたい。望みはそれだけなんだよ」 「…そう」 母親は静かに頷くと、先ほどから何も話さない父親を見た。 「…解った。吉羅さん、香穂子を幸せにして下さい」 父親は深々と頭を下げる。 「有り難うございます」 吉羅もまた、深々と頭を下げてくれた。 この瞬間を、香穂子は一生忘れないだろうと思う。 こんなにも感動的な場面は他にないだろうと思ったのだ。 嬉しくて泣きたくなる。 香穂子はいつの間にか涙ぐんでいた。 「お父さん、お母さん、有り難うございます。感謝します」 香穂子もまた深々と頭を垂れる。 こんなにも幸せな時間は他にないだろうと、香穂子は思った。 吉羅は母親とふたりになると、小さなノートを渡された。 「発作を起こした場合や、あの子の病気について細かく書いたメモです。これを見て、対処して下さい」 吉羅は、香穂子の病状が細かく書かれたメモを受け取る。 吉羅は、香穂子への愛情が籠ったメモは、母親から香穂子を引き継ぐような気分で受け取った。 大切な大切な香穂子を預かるための儀式のように思えた。 「香穂子を宜しくお願い致します」 「はい」 吉羅は改めて力強く返事をする。 香穂子を決して傷つけるようなことはしないと、吉羅は強く誓った。 挨拶を終えて、香穂子の荷物を持って家を出る。 ずっと暮らして来た我が家から離れるのが切ない。 泣きたくなる。 何処かノスタルジックな感傷に浸ってしまっていた。 「香穂子、これからはふたりで幸せになろう。君を幸せにするから」 「…有り難うございます…」 香穂子は本当に嬉しいのと同時に、痛い程の切なさを感じていた。 「…私ばっかり、吉羅さんに幸せにして貰っていますね」 「いいや。君は私を充分に幸せにしてくれているよ。有り難う」 吉羅の言葉に香穂子は涙を零した。 このひとが好きだ。 本当に好きで好きで好きでしょうがない。 吉羅がいなければどうすることも出来ない。 だからこそ吉羅と別れるのが辛くなると思った。 香穂子が瞳から大粒の涙を零すと、吉羅は髪を優しくかき上げてくる。 「そんなにも泣くんじゃない…」 「だって…本当に嬉しいんです。どうしようもないぐらいに嬉しいんです」 「香穂子…」 吉羅は香穂子をそっと抱き締めてくれる。 「しっかりと抱き締めるのは、うちに戻ってからだね…」 「…そうですね…」 香穂子が泣き笑いを浮かべると、吉羅はフッと微笑んだ。 一緒に住む。 正式な約束を結んだわけではない。 だが、それでも香穂子は嬉しかった。 吉羅のそばにいられるから。 それに、正式な交わりはしないほうが良い。 来年にはいなくなってしまう身の上なのだから。 香穂子はそう思うと泣けて来る。 だが、神様が折角くれたスペシャルなプレゼントなのだ。 それを感謝して受け取ろうと思った。 吉羅は家に帰るなり、香穂子を力強く抱きすくめた。 抱き締める度にか細くなっているような気がする。 こんなにも細くて柔らかな心許無い躰であっただろうかと、吉羅は思わずにはいられなかった。 香穂子を抱き締めることはとても幸せなことではあるが、同時に切なさを確認する作業でもある。 香穂子は日に日に病に浸蝕されているのは確かだった。 「…これからは毎日、こうして吉羅さんに抱き締められると思うと嬉しいんです。毎日がスペシャルでかけがえのないものになりますね」 「…香穂子…」 吉羅が香穂子を抱き締めると、それが嬉しいと返事をするかのように、にっこりと笑った。 まるで悟ったような笑みだ。 吉羅はその笑みが美しいと感じるのと同時に、とても哀しくなった。 「こうやって、吉羅さんと一緒に過ごす時間が…、私にとっては特別です。あなたの笑顔を見ているだけでかけがえのない幸せを貰ったような気分になりました。本当に有り難うございます」 香穂子は、吉羅を抱き締めてくる。 その抱擁は、それほど力が無いものだった。 「あなたと暮らす時間の一瞬、一瞬が、とても素敵な時間です。病気になってから…、こうして時間の有り難みをきちんと感じることが出来るのが、今はとても嬉しいんです」 香穂子の言葉は本当に重い。 限られた時間の中を駆け抜けているせいか、時間をとても大切にしている。 香穂子よりも一回り以上も違うのに、彼女のほうがよほど大人だと思う。 吉羅は更に香穂子を抱き締めて、宝物のように優しく撫で付ける。 いいや実際に、吉羅にとっては最高の宝物なのかもしれない。 だからこそ香穂子を助けたい。 吉羅にはそれしかなかった。 吉羅は香穂子に内緒で、ゴッドハンドを持つと言われる医師にコンタクトを取る。 何件かはレントゲンを見るなり断られてしまった。 かなりの腕でなければ、香穂子を助けることは出来ないからだろう。 死のリスクが大きいような手術は、誰もしたがらないからだ。世界を飛び回るようなレベルの凄腕でなければ、香穂子を助けることは出来ないのは解ってはいた。 だからそのクラスの外科医に何度もコンタクトを取ったが、余り良い返事を貰うことは出来なかった。 吉羅はそれでも探す決意だ。 毎日遅くまで、色々と調べていた。 今夜もまた遅くまで、依頼の手紙を書く。 手紙が書き終わったところで、ノックが鳴響いた。 「どうぞ」 振り返ると、そこには香穂子が心許無い表情で立っていた。 「…まだ…、起きていらっしゃるんですか?」 「ああ。君こそ」 吉羅が立ち上がると、香穂子をゆっくりと抱き寄せた。 「吉羅さん」 「そうだね…」 香穂子は、吉羅のまなざしが少しだけ切なくなったと感じた。 「早く寝て下さいね」 「君こそ早く寝なければならないだろう? 余り丈夫では無いんだから早く眠るんだ」 「有り難うございます。だけど、私…、吉羅さんがそばにいないと、よく眠れないよ」 「だったら一緒に眠りに行こうか…。私も一眠りしなくなってきたからね…」 「吉羅さん…」 吉羅は香穂子を軽々と抱き上げると、そのままベッドへと向かう。 「…今夜はふたりで早めに眠ろうか…」 「そうですね…」 吉羅と同じベッドで眠る。 この幸せがいつまでも続けば良いのにと思わずにはいられない。 リミットが近付いている。 吉羅と一緒にいられるのも後少しなのだ。 ふたりの時間が終る。 それは香穂子にとっては死を意味していた。 |