*Limited Lovers*

21


 羽田へと向かう飛行機の中で、吉羅は感謝せずにはいられなかった。
 これで闇の中であっても、一縷の光と希望を感じずにはいられない。
 吉羅は本当に感謝しかないと思う。
 これ以上の幸いはないのではないかと思わずにはいられなかった。
 とにかく香穂子が助かる可能性が出てきたのだ。
 いつまでも、吉羅は香穂子をそばに置いておきたかった。
 そのためにも、吉羅は前を向いて頑張らなければならないと、思う。
 吉羅は、香穂子に奇蹟が起こるのだと、心から信じずにはいられなかった。

 翌朝、吉羅は仕事を抜けて、香穂子を迎えに病院へと向かった。
 病室に行くと、香穂子は既に着替えて待っていた。
「吉羅さん!」
 笑顔でその名前を呼んでくれるのが、吉羅には何よりも嬉しい。
「支度は出来たようだね」
「はい」
 香穂子が返事をするタイミングで、母親がやってきた。
 母親も、香穂子のリミットが余りないことを知っているからか、吉羅とふたりを切なそうに見た。
「…ふたりに話がありますが、良いですか?」
「はい」
 母親は切なそうにふたりを見つめる。
「香穂子、吉羅さん、お父さんもお母さんも、香穂子ともう少し一緒にいたいと思っているの。うちに戻ってくれないかしら…?」
 母親の言葉に吉羅は暗い気分になる。
 両親の想いは解る。
 香穂子と短い時間しか一緒にいられないのであれば、一緒にいたいという気持ちは。
 だが吉羅も同じなのだ。
 香穂子と一緒にいたい。
 これ以上に一緒にいたいと思う相手はいないのだから。
 だがこれは香穂子が選ぶことだ。
 吉羅や母親が選ぶことじゃない。
 吉羅は何も言えずに、ただ香穂子の答えを待った。
 香穂子は随分と困っているようで、逡巡するように目を閉じる。
 吉羅には、その気持ちが痛いほど解る。
 どれを選んでも、香穂子にはベストなのだということを、言い聞かせるしかなかった。
「…お母さん…、…私…わがまま言って良いかな…? やっぱり私…吉羅さんといたいよ…。だけどなるべく、お父さんとお母さんのところに通うから…ね…お願い…」
 香穂子は本当に泣きそうな表情で言う。
 心から思っていることなのだろう。
 吉羅はそれが嬉しいと思うのと同時に、苦しくもあった。
「…私が責任を持って香穂子を家へ送り迎えをします。だから、お願いします。香穂子を私のそばに置いて下さい…」
 吉羅はかつてないほどに頭を深々と下げた。
 吉羅の苦渋の言葉に、香穂子の母親もまた苦しそうにする。
 解ってはいる。
 お互いに譲れないラインであることは、だがそこは香穂子の希望を叶えて欲しかった。
 母親は深呼吸をした後、目をゆっくりと開ける。
「…解りました…。香穂子を引き続きお願いします…。この子の願いですからしかたがないことです…。この子の願いは、親として何よりも叶えてあげたいものですから…」
 母親はもうしょうがないとばかりに笑みを唇に滲ませると、頷いた。
「有り難うございます…!」
 吉羅は再び頭を垂れる。
 香穂子の母親もまた、深々と頭を下げた。
「この子を宜しくお願いします」
 香穂子の母親は、慈愛に溢れた声で言う。切ないからか、その声は何処か震えてしまっていた。
「お母さん、有り難う…」
 香穂子は線香花火が膨らんでいくような涙をポロポロと流すと、母親に抱き付いた。
 吉羅はその姿を見ながら、ほんの少しだけ胸が痛んだ。
「ではこの子を引き続きお願いします」
「はい」
 吉羅は覚悟を決める。
 香穂子の両親から大切な命を受け取ったのだ。
 それをちゃんと守っていくのが、自分の役割だと思った。

「家まで送ります」
「有り難う」
 退院の手続きを済ませた後、三人で車に乗って自宅に向かう。
 先ずは、香穂子の自宅だ。
 そこで母親を降ろした。
「お母さん、なるべく家には顔を出すから…」
「そうしてね。あなたを待っているからね」
「有り難う」
 香穂子は何度も母親に手を振って、別れを惜しんだ。
 吉羅は香穂子を気遣うように見る。
「大丈夫かね?」
「大丈夫です…。本当に有り難うございます。私のわがままを聞いて下さって有り難うございます…」
 香穂子は半分涙が滲んだ声で呟くと、吉羅を見た。
「こちらこそ有り難う…。そばにいてくれて」
 吉羅は香穂子の手を思い切り握り締めると、放したくない想いをそこに込めた。
「戻ったら、仕事に戻らなければならない。済まないが…」
「解っています。お仕事をしっかりと頑張って下さいね」
「…有り難う」
 吉羅は香穂子の言葉が嬉しくて、つい微笑みを零していた。

 家に着いて香穂子を部屋へと連れていく。
「今夜は余り無理をしないほうが良い。ゆっくりと眠っていなさい…」
「有り難うございます」
 吉羅は香穂子をベッドルームに連れて行き、そこのベッドで寝かせる。
「今夜は早目に帰って来るから。それまではゆっくりとしていると良い」
「有り難う」
 香穂子はホッとしたように礼を言うと、静かにベッドに潜り込んだ。

 香穂子は一眠りをした後で、ゆっくりとベッドから起き出した。
 本当は両親の元にいるのが一番良いことなのは解ってはいるが、どうしても出来なかった。
 吉羅のそばが一番良いのだ。
 それ以上に香穂子の楽園はあり得ないと思う。
 吉羅との生活はそれほど香穂にとっては嬉しいことだった。
 短いかもしれない。
 一緒にいられるのは。
 だが、吉羅を愛している気持ちを止めることは出来ない。
 香穂子は両親にもなるべく逢いに行こうと思う。
 残りの日々が少ないことは解ってはいる。
 だからこそ悔いがないように生きたかった。
 香穂子はのんびりとしながら、吉羅の帰りを待つ。
 健康な躰で、吉羅を待ってあげたかったと、香穂子はつくづく思う。
 ずっと病気を受け入れてきたと思っていたのに、何処か受け入れることが出来ない自分がいることを、香 穂子はうっすらと気付いていた。
 不意に携帯電話が鳴り響き、香穂子は直ぐさま手に取る。
 吉羅だ。
 ほんのりとドキドキしながら香穂子は電話に出た。
「…はい、香穂子です」
「私だ。香穂子、食事に行こう。今からむかえに行くから準備をしておいてくれないかね?」
「嬉しいです。着替えて待っていますね」
「では後ほど」
 吉羅と一緒に食事が出来るのが嬉しくて、香穂子はつい笑みを浮かべてしまう。
 吉羅に釣り合うように出来るだけお洒落をしたいと思う。
 それほど時間が無いのは解っているから、出来る限りのことをすることにした。
 香穂子がシャワーを浴びて、クラシカルなワンピースに着替えた頃、吉羅が家に戻ってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま。では行こうか」
「お疲れではないですか?」
 吉羅が帰って来てすぐは可哀相だと思い、香穂子は眉を寄せた。
「…大丈夫だ。君を見ているだけで疲れは吹き飛ぶからね」
 吉羅の言葉に香穂子もつい笑顔になった。
 吉羅にエスコートされて、自宅近くのミッドタウンの中にある高級レストランへと向かう。
 こうしていると本当に夢を見ているようだ。
 吉羅とこうしてレストランで食事をするのが、とても幸せを感じる。
 香穂子はのんびりとした気分で、食事を楽しんだ。
「こうしていられるだけで、物凄く幸せです。有り難うございます」
「私もだ」
 幸せに浸っていると、ふたりの幸せを崩すような刺が現れる。
「暁彦さん、こんにちは」
 ふたりの空気が凍て付いた。



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