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羽田へと向かう飛行機の中で、吉羅は感謝せずにはいられなかった。 これで闇の中であっても、一縷の光と希望を感じずにはいられない。 吉羅は本当に感謝しかないと思う。 これ以上の幸いはないのではないかと思わずにはいられなかった。 とにかく香穂子が助かる可能性が出てきたのだ。 いつまでも、吉羅は香穂子をそばに置いておきたかった。 そのためにも、吉羅は前を向いて頑張らなければならないと、思う。 吉羅は、香穂子に奇蹟が起こるのだと、心から信じずにはいられなかった。 翌朝、吉羅は仕事を抜けて、香穂子を迎えに病院へと向かった。 病室に行くと、香穂子は既に着替えて待っていた。 「吉羅さん!」 笑顔でその名前を呼んでくれるのが、吉羅には何よりも嬉しい。 「支度は出来たようだね」 「はい」 香穂子が返事をするタイミングで、母親がやってきた。 母親も、香穂子のリミットが余りないことを知っているからか、吉羅とふたりを切なそうに見た。 「…ふたりに話がありますが、良いですか?」 「はい」 母親は切なそうにふたりを見つめる。 「香穂子、吉羅さん、お父さんもお母さんも、香穂子ともう少し一緒にいたいと思っているの。うちに戻ってくれないかしら…?」 母親の言葉に吉羅は暗い気分になる。 両親の想いは解る。 香穂子と短い時間しか一緒にいられないのであれば、一緒にいたいという気持ちは。 だが吉羅も同じなのだ。 香穂子と一緒にいたい。 これ以上に一緒にいたいと思う相手はいないのだから。 だがこれは香穂子が選ぶことだ。 吉羅や母親が選ぶことじゃない。 吉羅は何も言えずに、ただ香穂子の答えを待った。 香穂子は随分と困っているようで、逡巡するように目を閉じる。 吉羅には、その気持ちが痛いほど解る。 どれを選んでも、香穂子にはベストなのだということを、言い聞かせるしかなかった。 「…お母さん…、…私…わがまま言って良いかな…? やっぱり私…吉羅さんといたいよ…。だけどなるべく、お父さんとお母さんのところに通うから…ね…お願い…」 香穂子は本当に泣きそうな表情で言う。 心から思っていることなのだろう。 吉羅はそれが嬉しいと思うのと同時に、苦しくもあった。 「…私が責任を持って香穂子を家へ送り迎えをします。だから、お願いします。香穂子を私のそばに置いて下さい…」 吉羅はかつてないほどに頭を深々と下げた。 吉羅の苦渋の言葉に、香穂子の母親もまた苦しそうにする。 解ってはいる。 お互いに譲れないラインであることは、だがそこは香穂子の希望を叶えて欲しかった。 母親は深呼吸をした後、目をゆっくりと開ける。 「…解りました…。香穂子を引き続きお願いします…。この子の願いですからしかたがないことです…。この子の願いは、親として何よりも叶えてあげたいものですから…」 母親はもうしょうがないとばかりに笑みを唇に滲ませると、頷いた。 「有り難うございます…!」 吉羅は再び頭を垂れる。 香穂子の母親もまた、深々と頭を下げた。 「この子を宜しくお願いします」 香穂子の母親は、慈愛に溢れた声で言う。切ないからか、その声は何処か震えてしまっていた。 「お母さん、有り難う…」 香穂子は線香花火が膨らんでいくような涙をポロポロと流すと、母親に抱き付いた。 吉羅はその姿を見ながら、ほんの少しだけ胸が痛んだ。 「ではこの子を引き続きお願いします」 「はい」 吉羅は覚悟を決める。 香穂子の両親から大切な命を受け取ったのだ。 それをちゃんと守っていくのが、自分の役割だと思った。 「家まで送ります」 「有り難う」 退院の手続きを済ませた後、三人で車に乗って自宅に向かう。 先ずは、香穂子の自宅だ。 そこで母親を降ろした。 「お母さん、なるべく家には顔を出すから…」 「そうしてね。あなたを待っているからね」 「有り難う」 香穂子は何度も母親に手を振って、別れを惜しんだ。 吉羅は香穂子を気遣うように見る。 「大丈夫かね?」 「大丈夫です…。本当に有り難うございます。私のわがままを聞いて下さって有り難うございます…」 香穂子は半分涙が滲んだ声で呟くと、吉羅を見た。 「こちらこそ有り難う…。そばにいてくれて」 吉羅は香穂子の手を思い切り握り締めると、放したくない想いをそこに込めた。 「戻ったら、仕事に戻らなければならない。済まないが…」 「解っています。お仕事をしっかりと頑張って下さいね」 「…有り難う」 吉羅は香穂子の言葉が嬉しくて、つい微笑みを零していた。 家に着いて香穂子を部屋へと連れていく。 「今夜は余り無理をしないほうが良い。ゆっくりと眠っていなさい…」 「有り難うございます」 吉羅は香穂子をベッドルームに連れて行き、そこのベッドで寝かせる。 「今夜は早目に帰って来るから。それまではゆっくりとしていると良い」 「有り難う」 香穂子はホッとしたように礼を言うと、静かにベッドに潜り込んだ。 香穂子は一眠りをした後で、ゆっくりとベッドから起き出した。 本当は両親の元にいるのが一番良いことなのは解ってはいるが、どうしても出来なかった。 吉羅のそばが一番良いのだ。 それ以上に香穂子の楽園はあり得ないと思う。 吉羅との生活はそれほど香穂にとっては嬉しいことだった。 短いかもしれない。 一緒にいられるのは。 だが、吉羅を愛している気持ちを止めることは出来ない。 香穂子は両親にもなるべく逢いに行こうと思う。 残りの日々が少ないことは解ってはいる。 だからこそ悔いがないように生きたかった。 香穂子はのんびりとしながら、吉羅の帰りを待つ。 健康な躰で、吉羅を待ってあげたかったと、香穂子はつくづく思う。 ずっと病気を受け入れてきたと思っていたのに、何処か受け入れることが出来ない自分がいることを、香 穂子はうっすらと気付いていた。 不意に携帯電話が鳴り響き、香穂子は直ぐさま手に取る。 吉羅だ。 ほんのりとドキドキしながら香穂子は電話に出た。 「…はい、香穂子です」 「私だ。香穂子、食事に行こう。今からむかえに行くから準備をしておいてくれないかね?」 「嬉しいです。着替えて待っていますね」 「では後ほど」 吉羅と一緒に食事が出来るのが嬉しくて、香穂子はつい笑みを浮かべてしまう。 吉羅に釣り合うように出来るだけお洒落をしたいと思う。 それほど時間が無いのは解っているから、出来る限りのことをすることにした。 香穂子がシャワーを浴びて、クラシカルなワンピースに着替えた頃、吉羅が家に戻ってきた。 「おかえりなさい」 「ただいま。では行こうか」 「お疲れではないですか?」 吉羅が帰って来てすぐは可哀相だと思い、香穂子は眉を寄せた。 「…大丈夫だ。君を見ているだけで疲れは吹き飛ぶからね」 吉羅の言葉に香穂子もつい笑顔になった。 吉羅にエスコートされて、自宅近くのミッドタウンの中にある高級レストランへと向かう。 こうしていると本当に夢を見ているようだ。 吉羅とこうしてレストランで食事をするのが、とても幸せを感じる。 香穂子はのんびりとした気分で、食事を楽しんだ。 「こうしていられるだけで、物凄く幸せです。有り難うございます」 「私もだ」 幸せに浸っていると、ふたりの幸せを崩すような刺が現れる。 「暁彦さん、こんにちは」 ふたりの空気が凍て付いた。 |