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巷の雑誌には、ジューンブライドの特集が組まれている。 香穂子はそれを読みながら、羨ましいと思う。 自分にはもう、吉羅のジューンブライドになるだけの時間は残されてはいない。 それは誰よりも十分過ぎるぐらいに解っているような気がした。 なのに憬れてしかたがない。 今までなら、結婚なんて諦めていたことなのに、それを夢見てしまうのは、心から愛している男性と、ずっと一緒にいるからだ。 それ以外に理由なんてない。 香穂子はそう思いながら、切ない気分になってしまった。 女性向けの雑誌をぼんやりと見る。 つい、ウェディングドレスのページばかりを見てしまう自分がいた。 これを着て、吉羅に傍らに立ちたい。 だが、それが許されないことは知っている。 そんな感情のせめぎあいに、香穂子は苦しくてしょうがなかった。 「ただいま」 吉羅が帰ってきてしまった。 香穂子は直ぐに走って行くと、吉羅を笑顔で迎える。 「おかえりなさい、暁彦さん」 「ただいま、香穂子」 吉羅は香穂子に挨拶をした後、柔らかく触れるだけのキスをしてくれた。 幸せだ。 本当に言葉に出来ないほどに幸せだ。 こんなにも幸せなのだから、もう贅沢なんて言ってはいけない。 香穂子は自分を戒めるように言った。 「今夜は健康に良いように野菜たっぷりのパスタとスープです」 「有り難う」 吉羅は香穂子を優しいまなざしで見つめてくれる。 このまなざしをずっと独占することが出来れば良いのにと思った。 ふと吉羅の視線が、香穂子が広げていた雑誌に行く。 流石にこれには、香穂子は慌てた。 まさにウェディング特集ページが広げられていたから。 実現出来ないことを夢見ていると思われるのが、香穂子は嫌でしょうがなかった。 「どうしたのかね?」 「あ、だらしないなって雑誌を出しっ放しだなんて」 香穂子は誤魔化すように笑うと、手早く雑誌を片付けた。 「直ぐに夕食にしますね」 「ああ。私は着替えて来よう」 「はい」 吉羅は何ごともなかったとばかりに、自室へと行ってしまった。 それを見ながら、香穂子はほんの少しだけホッとした。 吉羅は自室のワードローブで着替えながら、じっと考える。 香穂子が見ていたのは、明らかにウェディング特集のページだった。 香穂子も年頃の女性だ。ジューンブライドに憬れるのは当然だ。 だが雑誌を素早く隠したところを見ると、憬れること、夢見ることに対してはかなりの罪悪感を持っているのだろう。 時間のない自分には許されないことだと。 吉羅にはそれが辛かった。 決して許されないことではない。 香穂子は夢見ても構わないのだ。 手術も可能性がないわけではないのだから。 必ずウェディングドレスを着ることが出来るのではないかと、思わずにはいられなかった。 その時にそばにいるのは、出来たら自分が良いと吉羅は思う。 香穂子を永遠にそばにおきたいからこと、もっともっと生きて欲しいと思っているのだから。 吉羅は、香穂子の美しいウェディングドレス姿を見たいと思う。 香穂子が花嫁になるのが夢であるのと同じで、吉羅もまた香穂子を花嫁にしたいと思っていたのだから。 ならば結婚式のリハーサルをしてしまえば良い。 香穂子を永遠に自分のそばに置けるように。 吉羅は、このことを金澤に相談してみることにした。 キッチンに吉羅が戻ってきて、いつものように一緒に食事をする。 こうしてふたりで食事を取ることが出来るのが嬉しかった。 食事が終わった後は、恒例のヴァイオリン演奏会だ。 香穂子は、なるべく吉羅の耳に、いつまでも自分の音が遺っていますようにと、いつも願いながら弾いていた。 今夜も緩やかに愛し合った後、吉羅は香穂子を腕の中に閉じ込めて寝顔を見つめる。 願わくば。 ずっとこのままで愛を育てていけたら良いのにと、吉羅は思わずにはいられない。 それが可能性が低いことは解ってはいても、吉羅は香穂子を出来る限りそばに置いておきたかった。 香穂子の夢であろうジューンブライド。 何とかしてその夢を叶えてやりたいと、そして自分の夢を叶えたいと、思わずにはいられなかった。 翌日、吉羅は金澤と香穂子の親友である天羽に逢った。 「あなたたちに協力願いたいことがあります」 「何だ? お前さんが協力を願うなんて、どうせロクデモないことなんだろう?」 金澤はいかにも面倒そうに言うが、それがいつも通りのアクションであることを、吉羅は充分過ぎるぐらいに解っている。 「お願いって…何ですか?」 吉羅の願い事が香穂子についてのことであることぐらいは予想がついているのか、天羽は真っ直ぐ吉羅を見た。 「…香穂子のことです。…私は…、香穂子と結婚式を挙げたいと思っています…。時間がないのは百の承知ですし、それにそれを叶えられる保障はないのは解っているつもりです。…ですが、“ジューンブライド”に憬れる香穂子の願いを叶えてやりたいんです。ですから六月中に式を挙げたいと思っています」 「六月中って、もうあまり時間はないじゃないか?」 金澤は眉を顰める。 「解っています。…ですが、香穂子には来年の六月を過ごせる保障はありません。来年の桜すらも見られないと言われていますから…」 吉羅はふたりなら信頼出来ると思い、あえて口にした。 香穂子に最も近いふたりだからこそ、吉羅は言ったのだ。 金澤も天羽も、香穂子の病状の深刻ぶりに神妙な表情で閉口する。 「…確かに見られないだろうな…」 金澤は深々と溜め息を吐くと、前髪をかき上げた。 「先生っ!」 そんなことは考えたくもないとばかりに、天羽は言う。 天羽の気持ちは吉羅にも解る。 だが、これはどうしようもない事実だ。 覆すことが出来るのならばそうしたい。 だが、出来やしないのだ。 「…出来ないのは解っている…。だが奇蹟を信じたい」 魂から出された金澤の言葉に、吉羅も頷いた。 「…だから奇蹟を起こすためにも、香穂子を更に生きたいと思わせるためにも、どうかお願いです。私に協力して頂けませんか?」 「…やる。吉羅さん、協力します…!」 先ずは天羽が力強く宣言をしてくれる。 本当に有り難いと思う。 「有り難う、天羽さん」 「じゃあ…俺も協力するかな。可愛い教え子のためだからな。決して吉羅、お前さんのためではないからな」 「解っていますよ」 吉羅はフッと笑うと。 「先ずは教会ですが、それは心当たりがありますからあたってみます。後、パーティも細やかですが身内やごく親しいひとだけを招いて行いたいと思っています。そちらもまたあたってみます。お二人には細かな準備をお願いしますが、宜しくお願いします」 「解った」 「解りました」 ふたりはしっかりと頷くと、吉羅を見つめる。 吉羅は香穂子のためならどんなことでもしようと思っていた。 先ずは横浜山手教会にあたる。 流石に土日は満杯で、何処にも滑り込ませることは出来なかった。 「平日ですが、大安吉日ですし、晴れの可能性が高いこの日はいかがですか?」 顔を見知った神父が、吉羅に提案をしてくれる。 吉羅は、平日だろうが、香穂子にとって最良の日であればそれで良かった。 「ではその日でお願いします」 「解りました」 神父は深々と頭を下げて笑顔になる。 吉羅もまた、深々と頭を下げた。 ここから奇蹟への挑戦が始まる。 |