*Limited Lovers*


 香穂子に近付けば、また傷ついてしまう。
 ならば踏み込まないほうが良いのではないかと思う。
 誰かに執着をしたくないから、今まで誰とも深い絆を形成したくはなかった。
 だが、日野香穂子は違う。
 どんなに自分を戒めようとしても出来ないのだ。
 香穂子と一緒にいなければ、後悔するような気がした。
 吉羅は、香穂子に逢って、話したくて、自宅のある六本木からみなとみらいに向かうことにした。
 みなとみらいというだけで、何処か解らないというのに、吉羅は宛てなく向かっていた。
 途中の花屋で、カサブランカの花束を買い求める。
 香穂子に似合うような気がしたからだ。
 吉羅はみなとみらいの駐車場に車を入れて、当て所なくみなとみらいを歩く。
 香穂子に逢いたい。
 ただ、それだけだった。

 香穂子はみなとみらいで友人たちと待ち合わせをし、カジュアルダイニングへと向かう。
 貸し切りではないが、誕生日パーティを楽しめるように、親友の天羽が手配してくれていた。
 音楽科の友人たち、そして音楽とは関わりはなくとも香穂子を応援してくれている友人たちが祝ってくれる。
 それだけで嬉しかった。
「では! 日野香穂子の二十歳のバースデーを祝って乾杯!」
 親友天羽の音頭で、乾杯される。
 きらきら輝いている友人たち。
 こうして笑顔を見ているだけで幸せだった。
「…有り難う、みんな。とっても嬉しいよ」
 香穂子は皆に挨拶をして、笑みを零す。
 天羽は泣きそうにしている。
 香穂子の病気について知ている数少ない人物だ。
 だからなのか、本当に泣きそうだった。
 香穂子が躰を壊したのを知ってはいるが、殆どは治ったと思っている。
 真実を言うことが、今は出来なかった。
 バースデープレゼントも様々だ。
 可愛いカップやソーサー、ピアス、そしてウケ狙いの被り物まである。
 香穂子はそれらが本当に嬉しくて、抱き締めたくなった。
「あーっこれ、サマー・ティアラのジュエリーじゃない! ものすごく流行っているんだよー! ちょっと高いラインなんだよねー! ねぇ、カレシに貰った?」
 吉羅からのバースデープレゼントを身に着けたいったせいで、直ぐに目敏く見つけられた。
「カレシではないけれどね」
 香穂子がほんのりと笑みを浮かべると、友人たちは益々囃立てた。
「物凄く綺麗だよねー。香穂子に似合っているよ」
 友人たちに褒めて貰えるのが、香穂子には何よりも嬉しかった。
「…しかし、金やんは遅いなあ。遅れて来るとは言っていたけれど、こんなにも遅れるなんて…」
 天羽が困ったように眉根を寄せている。
 遅いから心配していると同時に、早く逢いたいのだろう。
 金澤のことをほんのりと想っていることを、香穂子は知っていた。
「本当に金澤先生遅いね」
「ったく! このままだと料理が終わっちゃうよー!」
「そうだね。余り気にしなさそうだけれど」
「ちゃんとお祝いして貰うからねー」
 天羽の様子を、香穂子はくすくすと笑いながら見つめる。
 お祝いして貰う、というのは恐らくは会費の支払いもあるのだろう。
 香穂子はにっこりと静かに微笑んでいた。

 吉羅がみなとみらいを歩いていると、見覚えのある顔を見掛けた。
 少し近付いてみると、やはり金澤だ。
 ひょっとすると、香穂子のいる場所を知っているのかもしれない。
 吉羅は早足になって近付いた。
「金澤さん」
 吉羅が声を掛けると、良いタイミングで金澤が振り返った。
「おう、吉羅じゃないか」
「今からどちらに向かわれるんですか…?」
 吉羅は直ぐに香穂子のところに行くのだと思った。
「…ああ。生徒のバースデーパーティがあってな。それに呼ばれているんだ。今まで仕事だったから、俺は遅れての参加なんだがな」
「そうですか…」
 吉羅は軽く深呼吸をすると金澤を見る。
「金澤さん、そのバースデーパーティは、ひょっとして日野香穂子のものですか…?」
 吉羅が言うと、金澤は困ったような表情をした。
「確かにそうだが…。お前さんに嘘を吐いてもしょうがないから言うが…」
「どちらの店ですか?」
 吉羅は間髪を入れずに言う。
「…お前さんもバースデーパーティに乱入するつもりか…?」
「そこまでは考えてはいませんでしたが、ただ、日野君に逢いたいだけですよ」
「ほぉー、お前さんにしてはかなり珍しいな。誰かに執着するなんてことは、今までなかったのにな。それだけ日野の魅了はお前さんにとっては凄いことだろうな」
 金澤はそう言った後で、フッと目を伏せる。
「教えてやりたいが…、どうしたものかとな…」
 金澤が苦悩していることは、吉羅にも解ってはいる。
 だが、それでも香穂子には逢いたかった。
 吉羅が引く気はないのだということをまなざしで金澤を威嚇するように見据えた。
「しょうがない…。今から日野たちがパーティをしているところに行く。着いてこい」
 金澤は溜め息を吐くと、吉羅に着いて来るようにと首を動かした。
「…お前さん…、日野を哀しませるようなことはするなよ…。お前さん自身も余り日野に深入りしないほうが良い。今度こそ…いや…何でもない…」
 金澤は言葉に苦悩を滲ませながら呟いた。
 おそらくは、香穂子の病気のことを言っているのだろう。
 香穂子の病気が一体何かは、吉羅には解らない。
 こうしてヴァイオリン活動をしている以上は、それほど酷くはないかもしれないが、それでも無理は出来ないのだろう。
 吉羅は香穂子の病気がどの程度の物なのか、何となく知りたくはなかった。
 それが自分自身でもどうしてなのかは、分からずにいた。
 金澤に着いて行くと、吉羅が普段は行かないようなカジュアルなダイニングにたどり着いた。
 みんなでわいわいするには良さそうなところだ。
 吉羅は店に入るなり、直ぐに香穂子が何処にいるかを見つけることが出来た。
 香穂子は何処にいてもまるでプリズムのように輝いている。
 吉羅にはそう感じられた。

 空気がほんの一瞬華やいだような気がして、香穂子は入口を見た。すると、吉羅暁彦が金澤と共に立っているのが見えた。
 吉羅は見事なまでに美しいカサブランカの花束を持っている。
 その姿に、香穂子は鼓動を高めずにはいられなかった。
 金澤に連絡を取って、わざわざ来てくれたのだろうか。
 これ以上嬉しいことなんてないのにと思う。
 諦めなければならない立場なのに、つい夢を見てしまう。
 吉羅のそばにいて過ごすことが出来ると。
 それが夢のまた夢であることぐらいは、香穂子にも解る。
 だが、夢を見ずにはいられなくなる。
 吉羅と最後まで一緒にいられることを。
 こんなにも夢を見せてくれる男性は他にいないと思っている。
 香穂子は、胸が切ないぐらいに高まるのを感じた。
 吉羅は金澤と共にこちらに向かって歩いてくる。
「香穂子、あんたの知り合い?」
 天羽が驚いたように見つめてくる。
「うん。知り合いなんだ…」
 香穂子はほんのりと頬を赤らめながら、天羽に頷いてみせた。
「そうなんだ」
 天羽は感心するようにこちらを見ている。
「金やん! 遅かったじゃんっ! もう、殆どご飯は終わっているよっ! ご飯は全部残してあるけれど」
「ああ。有り難うな」
 金澤は自分の席に座ったが、吉羅は香穂子の前に立ち、カサブランカの花束を差し出してくれる。
「改めて誕生日おめでとう、日野君」
 香穂子はカサブランカの花束を受け取りながら、ただ頷いていた。



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