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吉羅がプレゼントしてくれたカサブランカの花束は、清々しい香りがした。 こんなにも甘くて素敵な香りは初めてかもしれない。 人生最高の花束だと思った。 香穂子は笑顔を輝かせながら、吉羅を見つめる。 「有り難うございます。嬉しいです」 香穂子が花の香りを楽しみながら言うと、吉羅はフッと微笑んでくれた。 普段はクールな男性が穏やかに微笑むと、なんて甘いのだろうかと香穂子は思う。 とびきり美味しいスウィーツよりも甘いような気がした。 香穂子が花を楽しんでいるとデザートが配られる。 「ケーキ!」 香穂子が声を上げると、誰もが“ハッピーバースデー”と歌ってくれた。 本当になんて温かなバースデーパーティなのだろうかと、香穂子は思った。 「…有り難う、みんな…」 半分涙が出そうになるのを感じながら、香穂子は笑顔でバースデーケーキを見た。 キャンドルが揺らめいている。 なんて綺麗なのだろうかと思うのと同時に、このキャンドルの炎はスペシャルだと思った。 皆にキャンドルの炎を吹き消すように催促されて、香穂子は一気に吹き消した。 皆が温かな拍手をしてくれて、香穂子は幸せでしょうがなかった。 キャンドルの炎を吹き消す香穂子の横顔は本当に美しくて、吉羅はうっとりと見つめていた。 香穂子に魅了されずにはいられなくなる。 こんなにもときめきをくれるのは、香穂子だけだ。 今のところは。 今までにない感情を吉羅に抱かせてくれる。 それが嬉しかった。 香穂子は祝われて本当に嬉しそうだ。 輝いていると言っても良い。 吉羅は香穂子をただじっと見つめることしか出来なかった。 楽しくてキラキラと輝いている時間はなんて短いのだろうかと香穂子は思う。 パーティはお開きになり、香穂子は友人たちに精一杯の「有り難う」を言う。 何度「有り難う」と言っても足りないだろう。 それほどに嬉しかった。 「日野君、その荷物なら大変だろう。私は車だ。送っていく」 吉羅はクールに申し出てくれる。 香穂子はそれが嬉しくてしょうがなくて、つい笑顔になった。 「有り難うございます。ではお願いします」 香穂子の言葉に、吉羅は静かに頷いてくれた。 吉羅は香穂子の荷物を殆ど持ってくれる。 その紳士ぶりがとても嬉しい。 「有り難うございます。パーティに来て下さったことはとても嬉しかったです」 「香穂子、私は…、あれで終わらせたくなかったからね…」 「…私は…、あれで終わらせても良かったと思っていました。あなたとは綺麗な想い出で終わりたかった…。…だけど…、今は…、もうすこしだけ夢を見させて貰いたいと思っています…」 香穂子は素直に自分の気持ちを言う。 香穂子は穏やかでいて少し切ない気分を抱きながら、吉羅を見た。 「…期間限定で…お付き合いしませんか…? お互いに別れなければならない事項が起きた時まで…。あなたなら…私のことを気に入らなくなるまで…」 香穂子は切ない苦しさを抱いてはいたが、なるべくそれを吉羅に見せないように、カラリと笑った。 「…それで君は良いのかね…?」 吉羅は訝しげに言う。その瞳は少し厳しかった。 「…はい…。私にも…条件がありますから…」 香穂子はなるべく素直な明るさを滲ませて言う。 「君の条件とは…?」 「…私があなたから消えるまで。今はそれしか言えない…。最長は一年まで。それ以降は考えられないから」 「…香穂子…」 本当の事を今は言いたくはない。 笑顔で吉羅の前から消えたかったから。 「…それで本当に構わないのかね…?」 吉羅の声が揺れる。 「はい。勿論です」 香穂子は笑顔で答えると、しっかりと頷いた。 「ではその契約を呑もう」 「はい。では、契約成立だ」 「解りました」 しっかりと握手すると、香穂子は笑顔になった。 「有り難うございます。私のわがままを聞いて下さって有り難うございます」 「香穂子…」 吉羅が複雑な気分になっているのが解ったが、香穂子は黙っていた。 「…では、行こうか。うちまで送ろう」 「はい」 香穂子は頷くと、吉羅に着いていく。 これで良いのだ。 それだけだ。 最後は笑顔で「有り難う」と言って別れられたら良いと思う。 香穂子は久し振りの笑顔になった。 香穂子を送った後、吉羅は六本木まで車を走らせる。 香穂子と切れなくて良かったと、吉羅は思う。 とにもかくにも、逢う事が出来ることに感謝だ。 いつまで一緒にいるかは解らないが、吉羅にとっては最高の条件を出してくれた。 このような条件を出す女は初めてだ。 香穂子はどうしてあのような条件を出したのだろうか。 病気であること以外は解らない。 深刻なのかそうではないのか。 だが、病気の本当のところを訊いてはならないと、吉羅は解っていた。 香穂子が一番言いたくはない部分なのだろう。 お互いにひとを深く愛する事が出来ない。 それを互いに分かり合う、良い関係なのかもしれないと、吉羅は思っていた。 吉羅と期間限定の恋人同士になる。 それが一番良い方法のように、香穂子には思えた。 お互いに傷つかなくて良いのだから。 香穂子はこの時間を楽しむ事に決めた。 今夜はふたりで夜景を見ながらのドライブを楽しむ。 香穂子にとっては最高に楽しい時間だ。 大好きな吉羅暁彦といられるのだから当然だ。 吉羅の車に乗り込んで、横浜の風景をしっかりとこの目に焼き付けておきたかった。 「やっぱり、横浜の風景は大好きです。綺麗なのと同時にとても癒されるんです」 「そうだね。私も横浜出身だから、ここの夜景は何処よりも美しいと思うよ」 吉羅の言葉に香穂子はつい笑顔になる。 吉羅は夜景が綺麗に見えて、しかもゆったりと出来るレストランに連れていってくれた。 「ここは凄いですね。古いロマンティックと新しいモダンが一度に見られるなんて…」 「ああ。ここは横浜の過去と未来が見られるとっておきの場所だ。気に入ったかね…?」 「はいっ! とても」 こんなにもロマンティックで美しい風景が見られるなんて、なんて素晴らしいことなのだろうか。 香穂子がうっとりとしていると、吉羅がフッと笑った。 「…君をここに連れてきて良かったよ。そんなに喜んで貰えると、私も嬉しい」 「有り難うございます。私も嬉しいです。だってとっておきの夜景ですよ? こんなにも綺麗な夜景は他にはないですから」 香穂子がはにかんで笑うと、吉羅もまた優しい笑みを浮かべてくれた。 「…ねえ、吉羅さん…。吉羅さんは…、最後の瞬間ににどの風景み見たいと思いますか? 私は…、やっぱり横浜の風景が見てみたいと思います…。そして出来たら…、あなたの笑顔でしょうか…。きっと一生忘れないと思います」 香穂子は夜景を見つめながら、さり気なく呟いた。 「私は…」 吉羅は静かに口を開いたものの、直ぐに閉じる。 「…そうだね…。私は思い浮かばないね…。そんなことを考えたことがないからかな…」 吉羅は静かで深みのある声で呟く。何処か困惑しているようにも思えた。 「…あ、美味しいご飯もやってきました! 食べましょう!」 香穂子はそこでわざと話を中断する。 今はそのようなことを考えるのは止めよう。 だが、これだけは言える。 明日、消えて無くなったとしても、一縷の後悔はないということ。 それだけは絶対だと、香穂子は思った。 |