*Love Afair*

12


 香穂子のヴァイオリンにも、良いところが沢山あると言って貰っているような気がして、とても嬉しい。
 香穂子は、吉羅の褒めてくれた部分をより伸していこうと思った。
 食事をしながら、香穂子は少しゆったりとした気分で月森のヴァイオリンを聴くことが出来た。
 本当にそれは成長した証なのかもしれない。

 月森のコンサートが終わり、レストランでは割れんばかりの拍手が響き渡る。
 それを聴きながら、香穂子は気持ちが引き締まる。
 今度は、自分がこの会場に足を運んで下さる観客に、演奏で答えなければならないのだ。
 香穂子を背筋を糺すと、顔つきを真剣にさせた。
 良いレストランコンサートにしなければならない。
 その為にも、自分の良さをしっかりと伸していかなければならないと、香穂子はこころから思った。
「良いコンサートでした。とても勉強になったと思います」
「そうだね」
 吉羅は頷くと、香穂子を見つめた。
「本当に勉強になりました。そして、暁彦さんがおっしゃってくれたことを励みに、そこを伸ばすように頑張りますね」
「ああ」
 吉羅は軽く頷くと、テーブルから立ち上がり、香穂子の手をギュッと握り締めた。
「有り難うございます」
 吉羅は香穂子が自分の妻であることを堂々と宣言するかのように、手を握り締めてくる。
 それはとても嬉しい。
 ふたりでレストランを出ようとしたところで、月森が静かにやってきた。
 ちらりと、結ばれた吉羅と香穂子の手を見た後で、一瞬、苦々しい笑顔を浮かべた。
「今日はご夫妻共々、コンサートに来て下さいまして、有り難うございます」
「こちらこそ、招待して頂いて、有り難うございます。妻と共に感謝しています」
 吉羅はあくまで大人の男の静かな落ち着きをちらつかせながら、落ち着いた雰囲気で言う。
「月森さん、素晴らしい演奏でした。とても勉強になりました」
 香穂子は月森に率直な気持ちで礼を言うと、頭を深々と下げた。
「…こちらこそ。来週の君のコンサートには、是非、行かせてもらいます。楽しみにしていますから」
「有り難うございます!」
 月森に来て貰うのは、かなりドキドキしてしまう。
 緊張して、どうしようもなくなるだろう。
 月森のヴァイオリンを見る目は、かなり厳しいと聞いていたからだ。
 香穂子は、気を引き締めて頑張らなければならないと、改めて思った。
「…では、私たちはこれで」
 吉羅は香穂子を引き寄せると、半ば強引に躰を引き寄せてくる。
 その強さが嬉しかったが、それを素直に口に出すことは出来なかった。
「では、また、月森さん」
「来週に…」
 月森に見送られて、香穂子はレストランを後にした。
 レストランを出てから、また吉羅の機嫌が悪い。
 レストランでは、人目があるから、あくまでスマートに対応をしていたのだろうかと、香穂子は思った。
 車に乗り込んだ途端、吉羅は香穂子を抱きすくめてきた。
 その強さに息をすることが出来ない。
 くらくらするほど苦しいのに、どうしてこんなにも幸せなのだろうかと、香穂子は思った。
 吉羅は息を乱しながら、香穂子に唇を重ねてくる。
 熱いキスに全身が蕩けてしまいそうになった。
 何度も深いキスをされて、呼吸を支配されてしまう。それでも、香穂子は幸せでしょうがなかった。
 ようやく唇が外されて、お互いに潤んだ瞳で見つめ合う。
「…暁彦さん…」
 香穂子がその名前を呼ぶと、吉羅は唇に軽くキスをしてくれた。
「…帰ろう…。このままキスを続けていたら、君が欲しくなりすぎて、おかしくなる…」
 吉羅は掠れた声で艶やかに呟くと、ハンドルを握り締めた。
 車が静かに動き始める。
 うっとりし過ぎて、幸せな気分になる。
 香穂子は、こんなにも幸せなことは、他にはないのではないかと、改めて思った。
 吉羅に求められている。
 それ以外に自分の心や魂が求めるものはないと、香穂子は思う。
 本当に吉羅を愛している。
 これほどまでに愛することが出来るひとは、他にはいないように思えた。

 車は直ぐに自宅に到着し、吉羅は奪うように香穂子の手を握り締めてエレベーターへと乗り込む。
 何も言わない。
 だが、お互いの気持ちは解っている。
 ふたりは自宅に入ると、直ぐに熱っぽいまなざしで見つめ合う。
「…君が欲しい…」
「…私もあなたが欲しいです…」
 吉羅は香穂子をいきなりリビングのフローリングに押し倒すと、そのまま激しく愛し始めた。

 愛し合った後、ふたりは半ば放心状態で見つめ合う。
 それは満たされた放心とも言えた。
「済まなかったね…。こんなところで抱いてしまって…」
「…大丈夫です…。幸せで嬉しいですから…」
 香穂子の言葉に、吉羅はフッと優しい笑みを浮かべてくれる。
 素直に嬉しかった。
「有り難う。素直に嬉しいと思うよ…。香穂子、シワになるのが嫌かもしれないが、片付けるよりもベッドで君が欲しい…」
「はい…。ふたりで片付けたらあっという間ですよ」
「そう奥さんが言ってくれるのなら、心強いね…」
「暁彦さん…」
 吉羅は香穂子を抱き上げると、ベッドルームへと向かった。

 翌日から、自分のコンサートに向けてのチャレンジが始まる。
 香穂子は、より充実した気分で、練習を重ねる。
 吉羅に聴いて貰いたい。
 褒めて貰いたい。
 ただそれだけで、香穂子は前向きに頑張っている。
 今の一番の心の支えは、吉羅が毎晩のようにヴァイオリンを聴いてくれることだった。
 吉羅にヴァイオリンを聴いて貰えることが、香穂子にとっては最も幸せなことのひとつだった。
 今夜も夕食の後、吉羅にヴァイオリンを聴いて貰う。
 吉羅は、元々はヴァイオリンを志していたこともあり、香穂子にとっては手強い観客ではある。
 いつも静かに聴いてはくれるが、シビアな評価もしてくるのだ。
 “君を愛す”を演奏した後、香穂子は恐る恐る吉羅を見た。
「…技術的には少しずつではあるが進歩している。それは確かだ。解釈は流石だと思っているがね。そこは君の強みだ。それは大いに伸ばすべきだとは思う。だが、だからっいって、技術面を伸ばさなくて良いというわけではないからね」
「…はい」
 吉羅は本当に厳しい批評家だと思う。
 だが的確なので、香穂子も反論が出来ないのは本当のところだ。
「更に精進して頑張ります。暁彦さん、有り難うございました」
 香穂子が頭を深々と下げた後、顔を上げると吉羅が頬を撫で付けた。
「頑張ることは結構だが、体調には充分に留意するように。ヴァイオリニストは芸術家だが、その資本は躰だからね。頑張りたまえ」
「有り難うございます」
 吉羅の気遣いは本当に嬉しい。
 香穂子が一番心配をして欲しいひとなのだから。
 吉羅は、香穂子を見つめてフッと微笑むと、優しいキスをくれる。
 本当に幸せで幸せでしかたがなかった。

 吉羅に支えられて、リハーサルと練習は進む。
 本番の前日、香穂子はレストランで入念なリハーサルに挑んでいた。
 吉羅に気に入って貰いたいわ
 ただそれだけだ。
 そう思ってしまうぐらいに、香穂子は吉羅を愛していた。
 一曲リハーサルを終えた時だった。
 拍手がレストランにこだまする。
 顔を上げると、そこには月森がいた。
「君はかなりのスピードで上達しているね。驚いてしまうほどに」
「有り難うございます。主人のおかげかもしれません」
 香穂子の言葉に、月森が苦笑いをしたのは言うまでもなかった。



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