*Love Afair*

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 吉羅の家の近くには、気軽に買い物が出来るようなスーパーはなく、高級食材を扱っているスーパーしかない。
 香穂子が作る料理と言えば、手早く作る事が出来るカジュアルなものばかりなので、気後れをしてしまう。
 結局は、キムチとササミのカイワレ乗せや、鯵の干物ととろろを合わせたご飯、カボチャの煮物といった、ごく 自然なものになってしまう。
 昨日、吉羅と食べたディナーとは、かなりの違いがある。
 それでも香穂子はこちらの食事のほうが落ち着いて出来た。
 総てを準備し終えたが、つい吉羅の分も用意をしてしまう。
 吉羅が何も食べずに仕事から疲れて帰ってきた時のための備えだった。
 吉羅が食べなければ、明日の夕飯に回せば良いと、香穂子は思った。
 食事を始めようとして、不意に携帯電話が鳴り響いた。
 出ると、吉羅だった。
「暁彦さん」
「仕事が早く終わってね、今から帰ろうと思うが、食事は済ましたのかね?」
「今から食べるよう準備をしたところです」
「そうか。私も何かデリバリーをして来ようかと思う」
「だったら、暁彦さんの分がありますからいかがですか? 夜食程度のものしかありませんが…」
「それで構わないよ。では、夕食は頼んだよ」
「はい。気をつけて帰ってきて下さいね」
「有り難う」
 香穂子は電話を切ると華やいだ気分になっていた。
 やはり吉羅と過ごすことが出来る時間は、香穂子にとっては最も幸せな時間だ。
 吉羅とふたりでいられるだけで、本当に幸せだ。
 こうして大好きな男性を待つと言う行為は、香穂子にとっては最高に幸せな時間だった。
 暫くして、吉羅が帰ってきた。
 結婚するということは、こういうことなのだろうか。
 少し気分が華やぐ。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 ただこうして挨拶をするだけで、心がとても満たされる。
 香穂子が笑顔で答えると、吉羅の指先が頬に触れる。
 愛を貰ったような気分になる。
「お疲れのところ、簡単なもので申し訳がないのですが、鯵を使ったとろろだとか、キムチを使った小鉢とカボチャの煮物と、簡単なカレースープだけなので…」
 我ながら本当に統一感がないメニューだと思う。
「疲れている時は、手の込んだものは逆に必要はないよ。有り難う」
 吉羅は優しく言うと、着替えるために自室へと行ってしまった。
 香穂子はそれを見送った後、吉羅のために夕食の最後の仕上げに掛かった。
 夕食をセッティング出来たところで、吉羅がダイニングにやってきた。
 コンパクトな食卓で、ふたりは食事をする。
 自分では大好きなメニューを集めたつもりではあるが、それが吉羅の口に合うとは限らない。
 吉羅はいつでも高級食材と触れる機会が多いのだから。
 いつもよりも山芋や鯵の開きはかなり良いものを使ってはいるが、それでも吉羅の口に合うとは限らない。
 香穂子はドキドキしながら、吉羅の食事する姿を見つめていた。
 自分では、いつもよりもかなり美味しいとは思う。
 それは間違ない。
 ただ単に、食材が良いということもあるのかもしれないのだが。
 吉羅は表情も変えずに淡々と食事をしている。
 美味しいと思っているねか、不味いと思っているのか、そのあたりも全く解らなかった。
 香穂子が食べ終わると、吉羅も食べ終わった。
 だが、香穂子が一番美味しいと思っていた、酒のつまみのようなキムチのあえものだけは残している。
 香穂子が片付けようとすると、吉羅はそれを止める。
「お酒を少しだけ飲もうと思ってね。置いておいてくれないかね?」
「はい」
 吉羅が意外に気に入ってくれているかもしれない。
 香穂子にとっては嬉しいことだった。
 吉羅は、幻の焼酎と呼ばれているものをグラスに注いで、一杯だけ嗜むように飲む。
「家で食事をすると、こうして少しだけアルコールを嗜めるのが良いね。外だとどうしても車に乗るから飲めないからね」
 吉羅は幸せそうな優しい笑顔を浮かべる。
 香穂子には嬉しい笑みだった。
「君は飲まないのかね?」
「私はアルコールが苦手なんですよ。だけど、こうして一緒にいてお付き合いします。オレンジジュースでですが」
 香穂子がくすりと笑いながら言うと、吉羅はフッと微笑んで頷く。
「それで十分だよ。奥さん」
 吉羅の笑顔と言葉の甘さに、香穂子はこのまま埋もれてしまいたくなった。
 こんなにも甘い吉羅を見ていると、幸せで胸がいっぱいになっとしまう。
 このひとときも、香穂子にとっては最も幸せな時間だった。
 やはり吉羅と一緒に暮らすと決めて良かったと思う。
 吉羅と一緒に暮らすと、こんなにも充実した幸せが巡ってくるのかと思った。
 ふたりでただ同じ空間にいて、同じ想いで飲む。
 それはとても大切なことなのだと、香穂子はようやく気付くことが出来た。
 吉羅とふたりで楽しい時間を過ごした後、食事の後片付けと、お風呂の準備をする。
 総ては吉羅が用意してくれたマニュアルを見れば、簡単なことだった。
 この家の設備に慣れてしまえば、最早、必要のないことだろうと思う。
 香穂子の片付けも、吉羅はさり気なくサポートをしてくれたので、かなり助かった。
 吉羅は、やはり理想的な旦那様ではないだろうかと、香穂子は思った。
 だから自分自身も理想的なお嫁様にならなければならないと思う。
 吉羅とちゃんと釣り合いが取れるような。
 それが香穂子の願いだった。
 片付けが終わった後、吉羅はお風呂に入る。
 香穂子はその間、のんびりとすることが出来た。
 こんな生活なら、ずっとしていたい。
 幸せを絵に描いたようだ。
 香穂子はふと、この後のことを考えた。
 昨日は疲れているからと、気を遣っていただけだとしたら…。
 考えるだけで、顔が熱くなった。
 吉羅がお風呂から上がると、クールに香穂子に声を掛けてくる。
「香穂子、風呂に入りたまえ。私は仕事をする」
「はい。ご苦労様です」
 吉羅のまなざしを見ると、完全に仕事モードに切り替わってしまっている。
 とても逞しいと思うのと同時に、少しだけ寂しくなった。
 香穂子は、バスルームに入り、ゆったりとする。
 正確に言うと、ゆったりとしているというよりは、もやもやとして落ち着けないのが正解だった。
 肉体的な疲れをリセットすると、香穂子はバスルームを片付けて、出た。
 流石は吉羅の家だ。
 バスルームには清潔に保てるような設備が沢山ある。
 片付け終わると、吉羅はそのタイミングにミネラルウォーターを飲むために、ダイニングへと出て来ていた。
「お風呂は済んだのかね?」
「はい。有り難うございます」
 吉羅は頷くと、あくまでクールなまなざしで香穂子を見た。
「私はもう少しだけ仕事を済ませてから、眠るよ。おやすみ」
「おやすみなさい…」
 香穂子が見送ると、吉羅は再び仕事に籠ってしまった。
 何だか寂しくなる。
 吉羅と一緒に過ごせないことへの落胆が大きい。
 香穂子も吉羅のものになる準備が出来ているかと言われれば、確かに出来てはいない。
 だが、香穂子は、名実ともに吉羅の妻になっても構わないと思った。
「複雑だよね、私って…」
 香穂子はひとりごちると、溜め息を軽く吐いた。
 本当に複雑怪奇な恋心だ。
 香穂子はしんみりと思う。
 吉羅のことが好きでしょうがない気持ちは、もう止められはしない。
 それは本当だ。
 香穂子は、吉羅と本当に愛し合う日が来れば良いのにと、思わずにはいられなかった。



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