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吉羅は車を湘南方面へと走らせてくれる。 いつもと違うところは、ドライブを楽しめるようなコースを走ってくれていることだ。 やっぱりこれはデート? そう思うと、自らドキドキしてきた。 空が澄み切ったブルーで、海は夏色に輝いている。 本当に綺麗で、香穂子は思わずうっとりと見つめてしまう。 「吉羅さん、ものすごく綺麗です! 湘南までドライブなんて、本当に嬉しい!」 「それは良かった。今日行くレストランは、新鮮な魚介を使ったイタリアンが売りのところでね。君も気に入ると思う」 「嬉しいです」 いつも通りだと思っていたら、素敵な場所に連れて行ってくれる。 吉羅とはきちんと付き合っているのだということを知ることが出来て、香穂子は嬉しくてしょうがなかった。 車は南イタリア風の太陽に愛されたロマンティックを現した、とても可愛い建物の前に止まる。 湘南の海が見られて、とてもロマンティックだ。 香穂子は思わずうっとりと見つめてしまった。 「気に入ってくれたかな?」 「はい、勿論です」 「それは良かった」 吉羅はあくまでクールな年上の男性という態度を崩さない。 香穂子にはそれが素敵に映ると同時に、何処か寂しくも映った。 「じゃあ中に入ろうか」 「はい」 吉羅にエスコートをされてレストランに入る。 そこにはロマンティックしかない。 香穂子は、すっかり淑女にでもなった気分だった。 吉羅が予め頼んでおいてくれたランチコースは、湘南近海で捕れた魚介を中心としていた。 「この生シラス本当に美味しいっ!」 香穂子は新鮮な魚介を食べながら、幸せな気分を味わっていた。 「君は本当に美味しそうに食べるね。悪くない」 吉羅は今日初めて笑顔になる。 珍しい吉羅の微笑みに、香穂子は思わず見惚れてしまう。 うっとりと見つめたまま、何もしたくないぐらいだった。 「香穂子、今度、君を私の婚約者としてのお披露目を兼ねて、パーティに連れて行かなければならない。来てくれるね」 「は、はいっ」 パーティ。 その言葉の響きに香穂子はドキドキする。 素敵できらびやかな世界を思い浮かべるからだ。 幼い頃、父親の吉羅家のパーティ準備の仕事に着いていった時、まるで宝石箱をひっくりがえしたようなきらびやかな世界が広がっていて、うっとりと憬れていたのを思い出す。 そのような世界に大好きな吉羅と一緒にいられたら、それこそ幸せ満開になるだろう。 「君には準備が必要だろうから、パーティの日は早目に迎えをやるようにする。パーティに必要なものはこちらで準備をするのでそのつもりで」 「はい」 パーティの準備。 どれほど大それた準備が必要なのだろうか。 香穂子には全く解らない世界だ。 吉羅に任せておいて心配しなくて良いと、香穂子は思った。 桃を使ったとっておきのシャーベットを食べた後、香穂子は思わずにんまりと笑った。 「こんなにも幸せな味って他にないと思います」 香穂子の言葉に、吉羅はフッと笑った。 「君が喜んでくれて私も嬉しいよ」 吉羅の言葉はいつものようにクールさを帯びているというのに、香穂子にとってはとろりとした蜂蜜よりも甘い味のように思えた。 「あら、暁彦さん!」 品のとても良さそうな白いスーツの女性がこちらのテーブルに向かって歩いてくる。 本当にこの店がよく似合うほどに洗練されている。 「ああ、久し振りだね。君も食事なのかな?」 「そうなんです。ここでお逢い出来てとても嬉しかったです。ではまた」 女性はにっこりと笑うと、連れの優雅な女性の元に戻っていった。 「綺麗な方ですね」 「そうだね」 吉羅は感情の全く感じられない声で、あっさりと認めた。 「食事が終わったら、少し海辺に向かおうか?」 「…はいっ…!」 香穂子は、春の麗らかな海を楽しむのが嬉しくて、満面の笑顔を浮かべた。 少しだけ車を走らせて、海岸に近い駐車場に車を停める。 春の海はとても穏やかでのんびりしている。 香穂子は早速海岸に出ると、のんびりと走り出した。 「今の時期はこうして気持ち良く過ごせるので嬉しいです」 「そうだね」 香穂子がステップを踏むように軽やかにしていると、吉羅は見守るように見つめてくれている。 小さい頃と同じような視線だ。 あくまで吉羅は兄のような視点でしか香穂子を見てはくれない。 それは香穂子にとってはひじょうに切ない。 小さな頃から吉羅に恋をして、その想いを育んで生きてきた。 だからこそ吉羅にはひとりの女性として見て貰いたいという思いは、強くあった。 だからこそ温かな保護者のようなまなざしは、チクチクと痛いのだ。 吉羅が香穂子を選んだ理由も気にかかる。 小さな頃から見守っていたからその延長で選んだのだろうか。 きちんとした理由の説明がないから、香穂子は余計に辛くなる。 どうか。 理由はごくシンプルで良い。 好きだから。 香穂子が断れない理由もまさにそれなのだ。 好きだから。 ただそれだけだ。 吉羅とこうしてふたりで過ごせるのは嬉しい。 香穂子は、吉羅を見上げると幸せな気分で微笑んだ。 「小さい時もよくこうして遊んで下さったのが、すごく嬉しかったです。いつも吉羅さんの後ばかりをついて歩いていたから」 「そうだね」 吉羅は静かに言うと、香穂子の手をそっと握り締めてくれた。それが嬉しい。 「こうしていると小さな頃のことを思い出します。本当に切ないぐらいに嬉しかった…」 「香穂子」 吉羅は名前を呼んでくれると、手をギュッと握り締めてくれた。 幸せ過ぎて泣きそうになる。 香穂子は吉羅の手をギュッと握り締めた。 「君は小さな小さな妹だったからね」 吉羅は懐かしそうに笑う。 愛してくれているから、ああやって婚約者の宣言をしてくれたのだろうか。 それならばどんなにか嬉しいのに。 香穂子は吉羅に訊こうかと思った。 だが、怖くて訊けない。 訊いてしまったところで、この時間が消えてなくなってしまったら、それこそ切なくてしょうがないからだ。 香穂子は勇気を出すことが出来なかった。 「香穂子、このままドライブをして、夕食も一緒にしないかね?」 夕食に誘われたことが嬉しくて、香穂子は思わず笑顔になる。 「はい、喜んで」 「では行こうか。夜は懐石料理が良いかもしれないね。やはり、昼はイタリアンだからね」 「…あ、有り難うございます」 吉羅の気遣いが嬉しくて、香穂子は益々笑顔になった。 吉羅と湘南から都内までドライブを楽しむ。 ベイブリッジを渡った時は本当に楽しくて、香穂子はまるで小さな子どものように燥いでしまった。 やがて都内の情緒溢れる街に入り、その一角にある懐石料理店へと入った。 有名店だったので香穂子はほんのりと緊張したが、食事自体はかなり美味しかった。 「香穂子、私との婚約は承諾してくれるのかね?」 吉羅に満を持したように言われて、香穂子は目を見開く。 心は決まってはいる。 だが、不安はおさまりそうにはない。 そのせめぎあいで香穂子は黙り込む。 「…婚約解消を君がしたければ、理由は不問で認めるようにする。いかがかな? この条件は?」 香穂子は目を閉じる。 そこまでして、婚約をしたいと言ってくれている。 ならば答は決まったようなものだ。 「解りました、吉羅さんと婚約します」 香穂子の宣言に、吉羅は静かに頷く。 「左手を出してくれないかね」 「はい」 香穂子が左手を出すと、吉羅は大きなダイヤモンドの指環を、薬指にはめる。 これで後戻りは出来なかった。 |