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「これで婚約は成立だが、正式に結納を交わすつもりでいる」 「…はい…。解りました」 ダイヤモンドの指環。 女の子ならば一度は憬れたことがある宝石だ。誰もが、この宝石を愛する男性から貰いたいと思っている。 それが叶ったのだ。 こんなにも嬉しいことは他にはない。 「有り難うございます。ずっと大切にします」 香穂子は何度も手を翳しながら、ダイヤモンドの美しさをじっくりと見つめる。 愛するひとからの至上最高のプレゼント。 それには間違いなかった。 「香穂子、有り難う」 「私こそ有り難うございます」 香穂子は吉羅に何度も微笑みかける。 愛されている。 その確信があるような気がする。 愛する男性にプロポーズをされた以上、こんなにも幸せなことはなかった。 「さて、食事の続きをしようか」 「はい」 香穂子は運ばれてくる懐石料理に幸せを見出しながら、笑顔で味わっていた。 車で自宅まで送ってくれ、紳士的に分かれる。 「ではパーティの件、頼んだよ」 「はい。有り難うございます」 香穂子は吉羅の車が見えなくなるまで見送った後、自宅に入った。 このままダンスをしてしまいそうになる。 一晩中踊りあかしたいぐらいだ。 香穂子は天にも昇るような幸せを噛み締めていた。 吉羅とパーティに出席をする日、香穂子は午前中から美容室に来ていた。 ここでヘアスタイルを整えて、エステを受けるのだ。 今まで行ったことのないようなサロンに連れていかれて、香穂子は戸惑いを隠しきられなかった。エステは 本当に気持ちが良かったし、髪に久し振りにハサミを入れてサラサラにメンテナンスをして貰った。 それはとても嬉しい。 吉羅と同じパーティに出席をするのだから、出来るならば最高に綺麗になっていたかった。 エステと髪を整えた後、吉羅と軽い昼食を取り、今度はドレスに着替えてヘアメイクをする。 ヴァイオリンのコンサートに出演するのにもここまではしないというのに、流石は吉羅暁彦だ。徹底している。 吉羅は完璧に香穂子を作り込んでくれている。 恥をかかないためには、それぐらいはやらなければならないのだろうと香穂子は思った。 吉羅暁彦には完璧過ぎる美女が似合うのだから。 いくら足掻いても自分ではそこまでは出来ないと思っている。 だが、少しでも美しい女性になりたかった。 ハイヒールを履いて、香穂子の変身は完了になる。 以前見たクラシカルな映画と同じように、変身させて貰い、香穂子は夢を見ているような気分になった。 鏡で変身した姿を見せられて、香穂子は息を呑む。 まるで自分だとは信じられないぐらいに綺麗にして貰えた。 「誰が何と言おうともあなたはとても綺麗だわ。自信を持って!」 「はいっ…!」 ヘアメイク担当の女性の言葉に背中を押されて、香穂子は貴婦人のように背筋をピンと伸ばした。 バッグを持たされて、香穂子は静かに吉羅がいる場所に歩いていく。 ドキドキしながら歩く。 大丈夫だ。 私は綺麗なのだから。 吉羅暁彦と釣り合う存在なのだから。 香穂子は自分にそう言い聞かせて、吉羅の元へと向かった。 「吉羅さんお待たせ致しました」 香穂子がはにかんだ笑みを浮かべながら吉羅に近付くと。じっと値踏みをするように見つめられた。 「香穂子、準備は出来たようだね」 「はい…出来ました」 「では行こうか」 吉羅はいつもよりもクールな雰囲気で香穂子を見つめてくる。 せめて綺麗だと言って欲しかった。 せめて笑顔を浮かべて欲しかった。 だが吉羅は何の反応も示してはくれない。 こちらが泣きたくなるぐらいに吉羅はクールだった。 褒められたいだなんて、贅沢なのだろうか。 大好きな男性に褒められたら、もっともっと綺麗になれるような気がするのに。 吉羅は香穂子をエスコートするように、さり気なく腰を抱く。 しっかりと腰を引き寄せられて、香穂子は喉がからからになってしまうぐらいにドキドキした。 吉羅の顔をまともに見ることが出来なくて、香穂子は俯いてしまう。 吉羅は何も言わずにただ香穂子をエスコートしてくれる。 あくまでビジネスライクだ。 吉羅に車に乗せられ、パーティ会場に向かう。 車に乗っているだけでかなり緊張した。 はたして吉羅とバランスが取れていると見て貰えるのだろうか。 香穂子は不安な気持ちで車に揺られていた。 車は外資系の高級ホテルの駐車場に入っていく。 「着いたよ」 「…はい…」 吉羅に言われて、香穂子は背筋を伸ばす。 これから戦場に行くのだ。 香穂子にとってはきつい戦場になるのは間違いがなかった。 まるできらびやかな宝石箱に放り込まれた気分だ。 香穂子は浅く呼吸をしながら、緊張を躰から漲らせている。 きらびやかな宝石箱のような世界。 だがそこは、楽しくてキラキラとした世界ではなかった。 虚構の輝き。 軽薄に笑う軽蔑するような視線が飛び交っているようにも見える。 「私が着いている。気にしないように」 「はい…」 吉羅のそばだけが、守られる聖域のように思える。 それ以外は邪悪にしか感じなかった。 吉羅が新人で幼馴染みのヴァイオリニストと婚約をした話を、既に知っている者たちが多く、表面上は穏やかに受け入れて貰った。 香穂子はなるべく吉羅から離れないようにする。 離れてしまえば、この会場で遭難してしまいそうだったから。 一通り挨拶を終えたところで、一際美しい女性がこちらにやってくるのが見えた。 女優やモデルを圧巻してしまうような、息を呑んでそのまま停めてしまいそうになる美しさだ。 しかも吉羅だけを真直ぐ見つめてこちらへとやってくる。 「…こんばんは、暁彦さん」 「こんばんは」 このように素晴らしい美女にも拘らず、吉羅はいつもよりもクールな雰囲気を崩さない。 「婚約されたと伺いました。先ずはおめでとうございます」 「有り難う」 吉羅は普段通り全く変わらないが、香穂子は女の雰囲気におろおろとしてしまう。 何処か険悪な雰囲気がある。 だが、その険悪さは自分に向けられているように見える。 「またゆっくりとお話をしたいものですわね。では…」 女はちらりと香穂子を見ると、鼻で笑うかのような失礼な笑みを浮かべる。 綺麗な雰囲気に最も似つかわしくなく、最も似つかわしいような気がした。 何だか後味が悪い。 苦々しい気分だ。 ちらりと吉羅を見ると、余り気にはしていないようだった。 パーティの間中、香穂子は吉羅からは離れないように務めた。 離れてしまったら、このまま辛いことになるのは解っていたからだ。 本当に胃が痛くなるような雰囲気だ。 正確には、香穂子に向けられている嫉妬の嵐が、そのような気分にさせているのかもしれない。 「香穂子、疲れてはいないかね」 「少し。慣れていない雰囲気だからでしょうか…?」 「そうだね。それはあるかもしれないね」 吉羅は落ち着いた声で言うと、香穂子をより守るようにそばに着いてくれた。 ようやくパーティが終わり、香穂子はようやく一息を吐く。 帰り間際に化粧室に向かうと、噂話をしている女性がいた。 「吉羅さんの婚約者は、随分とお若いこと。幼馴染みらしいけれど」 「あの財閥オーナーの娘との縁談を避けるためだという噂よ」 「そうでしょうね。あのままだったら結婚させられそうな雰囲気だったから」 女性たちの言葉に、香穂子は心臓が止まりそうになった。 |