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「見た目は女優よりも美しく、気品が溢れているかもしれないけれど、中身は世界で一番我が儘な女王様ですもの。冷徹な吉羅暁彦が選ぶ筈はないですわね」 「そうですわね。あの方は何事においてもシビアですからね。家の力を借りずに、自分の力でビジネスを成功させて来た方ですものね。それに対して、彼女は家の力でここまで生きてきたですからね。彼女側は、吉羅さんに圧力をかけたり、色々としたみたいだけれど、ダメだったみたいだけれど」 噂話を聞きながら、香穂子は胸が重い気分になるのを感じた。 「婚約は絶好の逃げる口実ですわね。あれだけ若いお相手だと、カモフラージュであることがバレてしまいますわね」 「そうですわね」 ふたりの会話を聞きながら、吉羅は自分のことを都合が良い相手としか思ってはいなかったのではないかと、香穂子は思わずにはいられなかった。 ふたりの会話が終わるまで、香穂子はなかなか出ずらかった。 「吉羅さんって恋人がいらっしゃったんじゃなくて?」 「ええ。だけどそのひととは婚約することが出来ない事情があるとかって聞いたわよ」 「へえ」 あくまでも噂話だ。 それ以上でも以下でもない。 香穂子はそう信じるしかないと思った。 女性たちが行ってしまった後、香穂子はとぼとぼと吉羅の元に戻った。 「何をしていたのかね?」 吉羅は目をスッと細めて、険悪そうにこちらを見つめている。 それが痛い。 「少し気分が悪かったので…。ですが、もう大丈夫です」 「帰るぞ」 「はい」 吉羅はかなり機嫌が悪くなっている。 いつもはかなり冷静沈着だというのに、今日に限ってはかなり険悪な雰囲気をむき出しにしている。 香穂子は、その雰囲気に心の中で溜め息を吐きながら、吉羅に着いていった。 ホテルの駐車場から、家へと向かう。 吉羅はかなりご機嫌がよろしくない。 こんなにも機嫌が悪い吉羅は、今まで見たことはないと香穂子は思った。 「今日は付き合わせて済まなかった」 「あ、大丈夫です」 「殆ど食べなかったからお腹が空いただろう?」 「有り難うございます。軽く食べたいとは思いますが、家でお茶漬けで構わないかなとは思っています」 「だったらこの近くに軽く食べさせてくれる和食の店がある。そこに行こうか」 「はい」 香穂子は浮かない笑顔で言うと、吉羅に頷いた。 あの女性から逃げるために、カモフラージュとして自分を使ったのだろうか。 そうだとしたら、これはこれで切ない。 相手は誰でも良かったということになってしまうような気がしたから。 吉羅は静かなままで何も話さない。 いつも通りだ。 昔からよく話すタイプではないから、それはそれで慣れてはいる。 だが、今夜のような時はなるべくなら話して欲しかった。 吉羅が連れていってくれたのは、品がある和食の店だった。 敷居がそれほど高い雰囲気ではない、感じの良い店だった。 消化が良いようにと、吉羅は鯛の刺身を使ったお茶漬けセットを注文してくれる。 先ほどよりはかなりホッとした。 「少しだけだが緊張は解けたようだね」 「…はい。吉羅さんには申し訳ありませんが、慣れていないので、かなり緊張してしまいました」 「そうだね。余り楽しめる雰囲気ではないからね」 吉羅は苦笑いを浮かべると、香穂子を見た。 「吉羅さんでもそう思われるんですか?」 「そうだ。おかしいかね?」 「いいえ」 吉羅も同じように感じてくれているのが香穂子は嬉しくて、思わず微笑んだ。 香穂子は鯛の刺身を使ったお茶漬けを楽しみながら、吉羅と気持ちが共有出来るのが嬉しい。 香穂子は気分良く、食事をした。 こうして夜遅くに吉羅と食事をしていると、本当に恋人同士になったかのようで嬉しい。 香穂子はこの幸せを噛み締める余りに、つい笑みが零れ落ちる。 「香穂子、君はやはり素直に笑っていたほうが良い」 吉羅に低い優しい声で言われて、香穂子は嬉しさの余りに微笑んだ。 「有り難うございます」 香穂子が笑顔で言うと、吉羅もフッと笑ってくれた。 その笑顔に、香穂子はうっとりとしてしまう。 まるで愛されているように思えた。 食事をし終わった後で、吉羅と再び車に乗り込む。 「今日は有り難う。お陰で助かったよ」 「吉羅さん、私こそ有り難うございました」 香穂子が丁寧に礼を言うと、吉羅は子供の頃と同じように髪をさらりと撫でてくれた。 優しいそのリズムが嬉しいようで切ない。 香穂子は吉羅にはにかんだ笑みしか浮かべられなかった。 車はゆっくりと香穂子を自宅へと運んでくれる。 「そういえば、君は小さな頃、ドライブが好きだったね」 「大好きです。今も。だけど、吉羅さんの運転のドライブが大好きなんですよ。子供の頃からそうでした」 「…だったら、少し遠回りをしてドライブをするかね」 「良いんですか!?」 「ああ。構わないよ」 「有り難うございます!」 もう少し吉羅のそばにいたかったから、香穂子は嬉しくてしょうがない。 香穂子は笑顔で吉羅を見ると、車窓と彼を交互に見た。 「車窓と私と君は忙しく見ているね。私を見なくても大丈夫だろう?」 「吉羅さんを見ていたいんです。私は。小さい頃、吉羅さんの運転を見るのが大好きなんですよ」 吉羅はフッと笑ったが、その笑みがとても魅力的だった。 吉羅に婚約宣言をして貰ったからこそ、こうして一緒にいられる。 それはある意味ラッキーだったのかもしれない。 嘘かもしれない。 本当の意味で愛されてはいないのかもしれない。 だがそれでも、香穂子は吉羅にこうして一緒にいられることが嬉しくてしょうがなかった。 「…嬉しいです。こうして吉羅さんと一緒にいることが」 「私も嬉しくて思うよ。婚約者としてはこうしているのが、当然ではないかね?」 「有り難うございます。私…こうして吉羅さんと一緒にいられることを小さな頃から夢見ていましたから、すごく嬉しいです…。婚約者としてこうしていられることが嬉しいです。吉羅さんが…、どのような理由で私を選 んで下さったのかは分かりませんが、すごく嬉しいですです…。…どのような理由でも」 香穂子はさり気なく言ったが、吉羅は黙ったままだった。 気を悪くするようなことを言ってしまっただろうか。 それだけが気掛かりだ。 「…吉羅さん」 名前を呼んでも吉羅は反応してくれない。 吉羅の車が不意に方向を変える。 香穂子の家の方向ではない方向に明らかに走っている。 「吉羅さん…、あの、明らかにうちの方向ではないんですが…」 香穂子が恐る恐る訊いてみると、吉羅は静かに口を開く。 「…香穂子、私が君と婚約をしたいと思ったのは、君だからだ。それ以外の理由はない」 吉羅は淡々とした声で言う。真直ぐ前を見ているというのに、吉羅はまるで香穂子を見ているかのようだった。 「私の自宅に向かっている。ひとりで暮らしている場所だ」 吉羅の自宅に向かっている。 その事実を知った瞬間、香穂子は急に鼓動が激しくなっていくのを感じる。 「…香穂子、私は文字通り、君を婚約者にしたい。構わないかね?」 吉羅の言葉に、香穂子は鼓動が停まってしまうかもしれないと感じた。 吉羅のものになる。 気持ちは考えなくても解る。 それで完全に吉羅の婚約者になれるのなら、それで構わない。いずれは通ることだ。 香穂子は静かに頷くしかなかった。 |