*One More Chance*

12


 香穂子が暁史を引き受けて、世話をしてくれる。
 やはり手慣れている。
 息子の躰に素早くベビーパウダーをはたき、素早くおむつをつける。
 暁史はおむつ一丁で走り回っていた。
「あきちゃん、おむつ一丁で恥ずかし、恥ずかしだよっ」
 香穂子が言うと、”恥ずかし、恥ずかし“のところで、暁史は可愛らしく踊った。
 その姿がまた愛らしい。
「あきちゃん、パジャマを着るよ」
 香穂子は息子を捕まえると、素早くパジャマを着せた。
「湯上りのリンゴジュースを飲もうか」
 香穂子が出したリンゴジュースを美味しそうに飲む姿が可愛かった。
「お風呂に入ってきますから、あきちゃんをお願いします」
「ああ。解ったよ」
 吉羅が返事をすると、香穂子はバスルームへと向かった。
 息子とふたりでのんびりと過ごす。
 吉羅はミネラルウォーターを飲みながら、息子が楽しそうにしているのを見ていた。
 賑やかで幸せ過ぎる光景だ。
 今までこのような幸せを自分が手に入れるなんて、吉羅は一度も思ったことはなかった。
 だが手に入れると、なんと幸せなのだろうかと思う。
「暁史、今夜は楽しかったかな?」
 吉羅が声を掛けると、息子は何度も頷いた。
 本当に可愛い。
 香穂子を手放したこと。それが悔やまれる。
 あの時に、香穂子を慰めてやっていたら、こんなことにはならなかった。
 香穂子としても辛かったのだろう。
 不意に携帯電話が鳴り響き、吉羅は出る。
 実家からだった。
「暁彦です」
「暁彦。香穂子ちゃんと孫を明後日連れてくることは出来ないかしら? あなたたちに皆が逢いたがっているの」
 母親の言葉に、吉羅は一瞬黙り込んだ。
 香穂子が、吉羅の家族以外の親戚とは上手くいっていなかったのは知っている。
 両親に逢わせるのならばともかく、他の親戚に逢わせるのは嫌だった。
 香穂子を追い込んでいた親戚とは、話すらしたくはなかったし、逢わせたくはなかった。
「…父さんと母さんだけなら構わないですが…」
「それがどこから聞き付けたか、逢いたいと言っているのよ…。何かあれば…、私たちが香穂子ちゃんを守りますから…」
 母親の言葉に吉羅は迷う。
 母親と香穂子は仲が良かった。
 実の母娘だと思うほどに。
 ずっと香穂子と吉羅の復縁を願っていたのだ。
 再び暮らすようになったことや、実は別居中にふたりの間に子供が出来ていたことも、きちんと話した。
 両親はかなりの喜びようだったが、香穂子の気持ちが落ち着くまでは、逢わせることが出来ないと伝えておいたのだ。
 実家に行く。
 しかも親戚に逢う。
 香穂子には重いことには間違ない。
 吉羅は溜め息を吐く。
 今は、香穂子の気持ちが落ち着くのを待ちたい段階だった。
 もう離したくはない。
 吉羅はを強く思う。
 あれほど後悔をしたことは、他にはないのだから。
 だが、暁史を“お披露目”しなければ、異論が出るのは解っていた。
 決ってしまった以上は、もうそうするしかなかった。
 香穂子が風呂から上がってくる間、吉羅はどう切り出そうかを考える。
「とーしゃ」
 足元から暁史に呼ばれて、吉羅は視線を向ける。
「どうしたのかな?」
 ジュースの入ったグラスを差し出したところを見ると、お代わりをねだっているのだろう。
「暁史、お代わりは駄目だ。その代わりに、麦茶を飲みなさい。歯磨きもしないといけないからね」
 暁史はしょんぼりとしてしまう。それがまた可愛い。
「ママといっちょ…」
「しょうがないよ。ママもお父さんも君の親だからね。言うことは同じだよ」
 吉羅はグラスを受け取ると、それを手早く片付けた。
「もうすぐママがお風呂から出てくるから、歯磨きだ」
 歯磨きは余り好きではないらしくて、暁史は俯いてしまった。
 その様子を見つめながら、吉羅は苦笑いを浮かべた。
 香穂子がバスルームから出て来て直ぐに、息子のところに向かった。
「歯磨きしようか。その後に絵本を読んであげるからね」
「…あい」
 かなり歯磨きは嫌なのか、いやいや返事をしている。
 それがまた可愛かった。
 香穂子が手慣れた感じで歯を磨いている。
 その間、暁史は、大好きな“レオレオざむらい”のぬいぐるみを握り締めていた。
 ようやく歯磨きが終わり、部屋へと向かう。
 吉羅も一緒に着いていった。
「あきちゃん、昨日の続きを読もうね」
 香穂子は、有名なトラがバターになる楽しい絵本を読んだ。
 最後まで読み終えると、暁史は安心して眠ってしまった。
 本を読んで貰っている間、暁史はじっと吉羅の手を握り締めていた。
「…眠ったね…」
「…はい…」
 香穂子も優しいまなざしになる。
 吉羅はそっと息子の手を離すと、今度は香穂子の手を強く握り締めた。
「香穂子、次は私たちの時間だ…」
「…はい…」
 ギュッと手を握り締めると、吉羅は寝室へと香穂子を誘った。

 吉羅と抱き合って、熱を交換しあう。
 それはまるで愛しい気持ちをお互いに交換するように思えた。
 吉羅に抱き締められて、香穂子は小さくなって寄り添う。
 こうしてベッドを共にしていると、本当に幸せな気持ちになる。
 このひと時だけはかけがえのない時間だった。
「暁彦さん…」
 香穂子が名前を呼ぶと、更に抱き寄せてくれる。
「…香穂子、両親が暁史に逢いたいと言っている…」
 吉羅の両親には好ましい印象しかない。
 吉羅の両親も孫の存在を知れば逢いたいと思うだろう。
「…ご両親になら…」
 香穂子は素直に頷いた。
「…私たちに子供がいることが…、親戚にもバレてしまってね…。彼らも逢いたいと…。一度はお披露目を しなければならないんだよ…」
 親戚。
 その言葉に香穂子はびくりとしてしまう。
 吉羅との別居に追い込んだひとたち。
 香穂子を見下すようにいつも見つめ、ただの“跡継ぎ製造マシーン”としての価値しか見てくれなかったひとたち。
 香穂子が子供が出来難い躰だと知ると、追い出しにかかったのだ。
 正直、そんなひとたちとはもう逢いたくはなかった。
 総ての細胞が拒否をする。
 香穂子は拒否反応に躰を震わせた。
「…暁彦さん…、あの方達とはどうしてもお会いしたくはありません…」
 香穂子の気持ちを解っているからか、吉羅は頷いた。
「…解っている…。私もあのひとたちを全く良く思ってはいない…。何か言ってきたら、私が君を守るから心配しなくて良い…。あの時は…、君を一緒に追い込む側に回ってしまったことは、とても後悔しているんだよ…」
「…解っています…」
 香穂子はしょんぼりとしながら、吉羅を真っ直ぐ見つめた。
「…一度はお披露目をしなければならない…。すまないが…、一度だけ我慢をしてくれ…」
 吉羅は静かに言うと、香穂子を力強く抱き締めてくれた。
 以前はこうして上手く守ってはくれなかった。
 少しは変わったのだろうか。
 吉羅が良い方向に変わってくれたのならば、こんなにも嬉しいことはないのに。
「…解りました…」
 香穂子はこれは賭けだと思う。
 吉羅を見極めるための。
 ここで誠実さを感じられたのならば、吉羅を信じて着いていっても良いのかもしれないと、香穂子は思った。
「有り難う、香穂子…」
 吉羅は香穂子を甘い抱擁で満たしてくれる。
 正直、重くて嫌だ。
 だが、吉羅がいれば乗り越えられるのではないかと、香穂子は思った。
 吉羅が誠実ならば。
 最後の賭けだ。
 香穂子はそう強く思った。



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