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引き止められたとしても、帰るつもりだ。 これ以上はバカバカしい。 香穂子は息をするのが苦しく感じながら、吉羅を見上げた。 「皆さん、私の妻が動揺するようなことは止めて頂きませんか…」 吉羅は意志の強い力が帯びた声で言うと、親戚を睨み付けた。 吉羅がこんなにも厳しい顔をするなんて、香穂子は思ってもみなかった。 今までで一番冷徹で厳しい顔だった。 かつて一緒にいた時には味方になってくれていることは殆どなかったというのに。 今回はきちんと守ってくれる。 吉羅の変化を香穂子は感じ取っていた。 「香穂子を動揺させることは許しません。あなたたちとは金輪際、親戚付き合いは致しません」 吉羅はキッパリと言うと、香穂子と息子を守るように立つ。 「…後悔するわよ」 「後悔は致しません。私は吉羅の家を頼らなくても、やっていけますから」 吉羅の言葉には何の迷いもなかった。 余りにキッパリと言い切ってくれたものだから、香穂子は本当に嬉しい。 「あなたがたの負けですわ。暁彦、よく言いました」 吉羅の母親はにっこりと笑う。 この親戚だとかなり苦労したことだろう。 だが吉羅の母親は毅然とした態度を取っていた。 「…有り難う…」 香穂子がよりそうと、吉羅は僅かに微笑んだだけだった。 「妻と息子が嫌な想いをしていますから、私はこれで失礼致します。もうあなた方にお目にかかることはありません」 吉羅は最期通告を突き付けると、息子を抱き上げて、香穂子の手を握り締めた。 吉羅はそのまま無言で駐車場へと向かう。 「良かったのですか?」 「ずっとこうしたいと思っていたからね。私はいっこうに構わない。彼らと付き合ってもメリットは何もない。デメリットしかない」 吉羅は冷静に分析をすると、香穂子の手を握り締めた。 「すまないね。嫌な想いをさせてしまって…。あのひとたちには、きちんと言いたかったから、今回だけは君を連れていった。嫌な想いをさせてしまってすまない。あのひとたちには、もう嫌な想いはさせないからね」 「…有り難うございます」 吉羅は香穂子の手をギュッと握り締めると、触れるだけのキスをくれる。 「…暁史にも嫌な想いをさせてしまったみたいだね。申し訳ない…」 「大丈夫です」 香穂子は泣きそうな笑顔を吉羅に向けた。 「今夜は三人で何か食べに行こうか。それにお腹が空いてしまったね。暁史も食べられるものがあるレストランにでも行こうか」 「有り難うございます。私もあきちゃんも嬉しいです」 吉羅がこうして気遣ってくれている。 今までにはないことだと、香穂子は思った。 今の吉羅ならば、またやり直すことが出来るだろうか。 香穂子は吉羅との生活にもう一度賭けてみようかと思った。 先ほどまで切なそうにしていた暁史だが、親子水入らずで食事をすることで、機嫌を取り戻していた。 これには香穂子もホッとする。 「改めて両親が逢いたいと言っている。両親しかいないから、今度は嫌な想いはさせないから」 「はい」 吉羅は精一杯の対応をしてくれた。 香穂子はそれが嬉しい。 だが、ひとつ気にかかることもあった。 吉羅と仲睦まじくしていた女性。 それもまた香穂子の切なさの原因だった。 吉羅には女性の陰が絶えない。 ふたりで仲睦まじく暮らしていた時もそうだった。 浮気はしていないとは思ってはいたが、かなりモテる夫であるがゆえに、常に痛い気分になっていた。 自分に自信が全くなかったからに違いないが。 あの女性とはどのような話をしていたのだろうか。 気にすることはない筈なのに、香穂子は気になってしょうがなかった。 吉羅と暁史と安堵をしながらランチを食べる。 ホッとしてリラックスしているのは事実だ。 いつの間にか、かけがえのない家族へと成長していたのだ。 香穂子にとっては愛する家族だ。 これほどまでに愛した家族は他にはいない。 ふたりとも人生にとっては無くてはならない存在なのだ。 暁史はすっかりリラックスして、楽しそうに吉羅に甘えていた。 先ほど感じた苦々しい想いが解消されている。 家族の愛の力は、なんて強いものなのだろうかと思った。 波乱に満ちた1日が終わる。 終わってしまえば、後半は本当に楽しい1日で、もう切なさは消えかけていた。 吉羅は今夜も息子をお風呂に入れてくれた上、世話もしてくれた。 息子が眠った後、吉羅は香穂子を寝室に連れていく。 ふたりきりになると、吉羅は心ごと包み込むように抱き締めてきた。 「今日は済まなかったね。もう君には二度とあのように切ない想いはさせないから…」 吉羅は、香穂子を抱き締めたまま、許しをこうような声で呟く。 「もう二度とあのひとたちには逢うことはないから安心して欲しい」 「はい」 吉羅は以前もさり気なく気遣ってくれてはいたが、今回はそれ以上だった。 香穂子はこんなにも吉羅が味方になってくれたことは今までなかったような気がした。 「香穂子、君が色々と辛い想いをしていたということは…、調べて解った。君はあのひとたちに離婚を迫られていたこともね…。私は、親戚だからという理由で、少し甘かったようだ…」 吉羅は香穂子の頬を柔らかく撫でてくれる。 そこには優しさしかなかった。 吉羅がここまで香穂子に誠実に対応してくれるのは初めてかもしれない。 今度こそやり直すことが出来るだろうか。 香穂子は一縷の希望に縋りたかった。 吉羅はそっと唇を重ねてくる。 香穂子はキスが今まで以上に甘くて、官能的だと感じていた。 愛し合った後、香穂子は愛らしくも丸くなって眠っている。 本当に可愛くて、吉羅はずっと見つめてしまう。 もう二度と自分が原因で香穂子を哀しませたくはない。 吉羅は香穂子をギュッと抱き締めながら、二度と離さないと誓った。 翌朝、香穂子はとても幸せな気分で目覚めた。 ついにっこりとしてしまうほどに幸せだと思う。 吉羅と息子のために手早く朝食を作る。 こうして三人で暮らすのが、やはり一番幸せなのだ。 親子三人でこうして暮らすことが、一番の宝物だ。 香穂子は華やいだ気分で食事を作ると、息子を起こしに行った。 「あきちゃん、起きようか。お父さんと一緒にご飯が食べたいでしょう?」 「うん…」 息子は半分寝ぼけながら、香穂子に抱き着いてきた。 優しいかけがえのない嬉しさが込上げた。 息子の支度を終えると、同じタイミングで、吉羅がダイニングルームにやってきた。 暁史は直ぐに父親に抱き着く。 「暁史、椅子にきちんと座って、朝食を取りなさい」 「…あい…」 暁史はしょうがないとばかりに椅子に座らせて貰うと、茶粥を一生懸命食べ始める。 同じ食事をしている姿は、本当によく似ていると香穂子は思った。 吉羅と暁史。 ふたりをただ見つめているだけで、香穂子は幸せだった。 吉羅を見送って暫くして、電話が鳴り響いた。 吉羅ではないことが直ぐに解った。 「…はい…」 「香穂子さん、私よ」 聞き覚えがある声に、香穂子は息を呑む。 吉羅の叔母だ。 「あなたの子供の暁史は、本当に暁彦の子供なのかしら? きちんと証明をして頂かなければ吉羅家の一員としては認められないですから。それだけはお伝えしておくわ。解ったわね」 香穂子は上手く返事をすることが出来なくて、ただただ話を聞いているだけだった。 |