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誰が何と言おうと、暁史は吉羅の子供だ。 大切に大切に香穂子が育ててきた子供なのだ。 暁史を見れば、誰でも直ぐに吉羅の子供であることは解るはずだ。 香穂子は唇を噛んだ。 「暁史は暁彦さんの子供です。主人と相談をして、きちんとした対応をさせて頂きます」 息子をそして吉羅を守らなければならない。 香穂子は強く誓うと、凜とした態度を取り続けた。 「…かたくなな態度を取るのね。つまり、私達が言いたいのは、あなたは吉羅家にふさわしい嫁ではないということよ。ただそれだけよ。後、どこの馬の骨か証明が出来ないあなたの息子は、吉羅家の跡取りとしては相応しくないということよ」 全くどうしてそんなにも否定的な言葉を並べ立てることが出来るのだろうかと、香穂子は関心をしてしまう。 そんなことばかりしていたら、さぞかし気持ちはささくれてしまい、疲れてしまうことだろう。 香穂子は呆れ過ぎて、何も言えなかった。 こんなことばかりしていたら面白くないだろうと思う。 香穂子は自分が以前に比べるとかなり強くなったことを感じた。 恐らくは、息子を得ることで、前向きになれたからだろう。 これは香穂子にとっては大きな収穫だった。 「私達親子は何を言われても、もう動揺することはありませんから」 香穂子はキッパリと言い切ると、電話の向こうの相手に釘を刺した。 「…そんな強気でいられるのも何時までかしらね? あなたは知らないでしょう…? 暁彦には既に別の恋人がいることを。あなたも息子も直ぐに捨てられてしまうわよ」 別の恋人。 香穂子は周りがグラつくのを感じる。 今まで、悪意に満ちたことばかりを言ってきたひとだから信じてはいけない。 だが、信じてしまいそうになる。 吉羅に女性の影はいつでもあったのだから。 香穂子は前を向くと、深呼吸をした。 真っ直ぐ前を見て、香穂子は勇気を掻き集めた。 縁をきちんと切らなければ、自分が参ってしまうかもしれないと、香穂子は思った。 「ご用件はそれだけでしょうか? 切らせて頂いても良いですか」 今は毅然とした態度を取るしかない。香穂子はキッパリと言い切った。 「待ちなさい。私の忠告が聞けないというの?」 「忠告ではないのではないでしょうか」 香穂子はクールに言うと、「失礼します」と電話を切った。 電話を切った瞬間、香穂子は溜め息を吐く。 なんてことだろうか。 吉羅とよりを戻した瞬間、また妨害の日々が始まるなんて。 このようなことばかりをして、何が嬉しいのだろうかと香穂子は思った。 冷静にならなければならない。 最後の一言がなければ、充分に冷静でいられたかもしれないが、今はとてもではないが無理だと思った。 「…ママ…」 息子が脚に絡み付いて、心配そうにこちらを見上げている。 本当に可愛い。 息子に妙な心配をかけるわけにはいかない。 香穂子は息子と同じ目線になるよう屈むと、思い切り抱き締めた。 「大丈夫だよ、あきちゃん。本当にママは大丈夫なの。だから心配しないで。あなたのことは、ママが全力で守るからね…。心配しなくても大丈夫だよ…」 香穂子は息子に不安を与えてはならないと、暁史をギュッと抱き締めた。 「ママ、あきちゃんがママをにこちゃんにすーよ」 「有り難う」 息子の言葉が涙が出るぐらいに嬉しくて、香穂子は更にきつく抱き締めた。 息子がいるから頑張ることが出来る。 息子がいるからこそ、前を向くことが出来ると、香穂子は思った。 吉羅には他の女性がいるのだろうか。 二年も離れて暮らしてきたのだから、その可能性はかなりある。 ならば、香穂子は別れなければならないと考えていた。 別れたら、息子とふたりで暮らしていかなければならない。 その覚悟は既に出来ている。 吉羅がいなくても、今までやってきたのだから。 香穂子はそこまで考えたところで、ハッと気付く。 胸が壊れそうになるぐらいに痛い。 こんなにも痛いとは思いもよらなかった。 香穂子は、後ろ向きの考えを否定するように頭を振ると、暁史を見た。 「あきちゃん、気分転換に甘いおやつでも食べに行こうか? 美味しいロールケーキがあるんだよ」 「あいっ!」 息子に心配をかけてはならない。 人一倍優しい子なのだから。 だから迷惑をかけてはならないと、香穂子は思った。 外出は気分転換にはとても良かった。 息子をバギーカーに乗せて、少しばかり遠出をする。 とっておきのカフェで、とっておきのケーキを食べて紅茶を飲むのだ。 暁史にも食べられるようなスウィーツも用意されていて、香穂子はとても幸せな気分になれた。 暁史とふたりでカフェにいくのは、ちょっとした大冒険だ。 暁史も大好きなようだ。 「ママ、やっぱち、ちゃんぽっぽーはちゃいこーだねっ」 「そうだね。やっぱり散歩は最高だよ」 香穂子は笑顔で言うと、息子の頭を撫でた。 帽子を被って、そのゴムを唇にわざとつけては舐めたり吸ったりしている。 香穂子はその様子を眺めながら、とても優しい気持ちになれた。 「あきちゃん、ダメだよ、そんなことをしたら。汚れてしまうよ?」 「…あい…」 暁史はしょんぼりしたが、また気分を変えて歌を歌い始めた。 「あきちゃんはお歌が大好きだね」 「しゅきっ!」 賑やかな息子が本当に可愛くて、香穂子はまた頭を撫でた。 ふたりでのんびりと散歩をするのが、この2年間の最高の贅沢だった。 フルタイムで働かなければならない以上、香穂子にとっては貴重な時間だ。 今は吉羅がいるから、こうして二人でずっと一緒の時間を取ることが出来る。 香穂子はそれはとても有り難いことだとは思ってはいた。 子供が宝だ。 子供がいれば、香穂子はそれを糧に生きていくことが出来た。 子供を精一杯幸せにするために頑張ってきたのだ。 子供が笑顔でいるためにも、香穂子は最大限努力をするつもりだ。これからもずっと。 自分のことも頑張って、更に子供のことも頑張る。 そうやって後悔なく生きていきたかった。 香穂子は随分と気持ちが収まってくるのを感じながら、軽く呼吸をした。 「あきちゃん、楽しいね」 「うんっ! とーしゃいたらもっちょ」 息子の言葉に、香穂子は胸を突かれた。 こんなにも父親を慕っているのかと思い知らされる。 確かに吉羅はかなり良い父親だと言っても過言ではないのだから。 「…そうだね。今度はお父さんと一緒に、みんなで来ようか」 「あいっ!」 息子の笑顔に香穂子は癒されて、フッと笑った。 カフェから出た後、香穂子はのんびりと都心を散歩する。 都心にある緑を見ると、香穂子はホッとした。 ぶらぶらと楽しみながら歩いていると、高級ショコラブティックの前に差し掛かる、 高級チョコレートを少し食べるだけで魔法のように幸せになれる。 香穂子は少しショーウィンドウを覗いてみることにした。 「…あ…」 香穂子が覗き込むタイミングで、買い物をしている男性が見えた。 その横顔は、吉羅暁彦、そのひとだった。 香穂子は視界がグラグラと揺れるのを感じる。 吉羅の横に仲睦まじくいるのはとても綺麗な女性だった。 逃げなければならない。 香穂子は咄嗟に思い、バギーカーを押すと、慌てて見えなくなる位置まで走った。 「とーしゃん?」 「違うよ、あきちゃん。違うんだよ」 香穂子は見えなくなる位置で立ち止まる。 涙がポロポロと零れ落ちてきた。 |