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吉羅に連れられて病院へと向かう。 課題は山積かもしれないが、とりあえずは第一歩を歩み出した。 誤解ばかりをしていたふたりにとっては本当の意味で、初めの第一歩なのだと、改めて思わずにはいられなかった。 今までは、お互いに誤解ばかりをしてきたから、今度こそはコミュニケーションを取っていかなければならない。 吉羅は息子を後部座席にセットをしたチャイルドシートに乗せて、香穂子を助手席に乗せる。 吉羅は本当に香穂子の躰を心配してくれている。 それは有り難かった。 車の運転中も、事あるごとに手を握り締めてきた。 本当にこころから心配してくれているようだった。 「気分が悪くなったら言うんだ。今は…平気なのかね?」 「大丈夫ですよ、本当に。有り難うございます。波があるので、今は大丈夫な時のようです」 「ああ」 吉羅はそう言うと、香穂子を静かに抱き寄せた。 香穂子は幸せな気分になる。 吉羅と試行錯誤を繰返しながら、再び一緒に暮らし始めて三か月が過ぎようとしている。 様々なことがあったが、やはり幸せだと、香穂子は認める。 吉羅とは一緒に暮らすようになってから、肉体は結ばれてはいても、心は本当の意味で結ばれてはいなかった。 香穂子は、今、ようやく本当の意味で夫婦になったような気がした。 精神的にも肉体的にも結ばれている。 これが理想的な形だと、香穂子は思った。 吉羅は時折、心配そうに香穂子を見る。 「本当に大丈夫かね?」 「大丈夫ですよ。だから余り心配されないで下さいね」 「…ああ…」 いくら言っても吉羅にはひょっとすると通じないかもしれない。 心配そうな表情がそれを表していた。 不意にまた気分が悪くなる。 口を押さえると、吉羅は本当に切なそうに溜め息を吐いた。 「…本当に大丈夫なのかね?」 「大丈夫です…。重病ではないはずですよ」 「…本当のところは医師に訊かなければ解らないだろう…」 吉羅は溜め息を吐く。 香穂子は、ある事実に思い当たる。 吉羅と一緒に暮らし始めて三か月。 躰で再び愛し合うようになってからも三か月だということだ。 夫婦だから、当然の如く予防措置は施さない。 赤ちゃんが出来難い躰だと思っていたが、本当はそうではないかもしれないと、香穂子は思った。 恐らくは、吉羅の子供を身籠もっているのだろう。 ふたりにとっては二人目の子供ということになる。 香穂子は、甘い幸せな予感を覚えた。 病院に到着し、吉羅は息子の手を引いて、香穂子に付き添ってくれる。 内科に向かおうとする吉羅に、香穂子は産婦人科を指示した。 「…恐らくは二重手間になると思うので…」 「二重手間?」 「…はい。こちらに行きなさいと言われるかと思いますから…」 香穂子がにっこりと微笑むと、吉羅は神経質そうに眉を顰めた。 「香穂子、婦人科関係で悪いところがあるのかね!?」 吉羅は完全に病気だと思い込んでしまっている。 「診察を受けてきますね」 香穂子が落ち着いた風に言うと、吉羅は些かうろたえるように頷いた。 香穂子は診察前に尿検査をしてから、診察室へと入った。 恐らくは予想通りだろう。 吉羅の子供を身籠もっているのだろう。 吉羅は本当におろおろとしているようだった。 検査と診察の結果、予想通りに妊娠中していることを告げられた。 吉羅の子供を再び身籠もることはないと思っていたから、それは嬉しかった。 「有り難うございました」 香穂子は頭を下げ、病室から出た。 待合で待っている吉羅と息子に向かって、香穂子はゆっくりと歩いていく。 「どうだったね?」 吉羅が心配そうにするものだから、香穂子はその手をしっかりと取った。 そのまま吉羅の手を、自分のお腹にあてがう。 「赤ちゃんが出来ました」 香穂子がシンプルに微笑むと、吉羅は驚いていた。 「それは本当かね!?」 一瞬、吉羅は目をスッと細めた。 不快そうに見え、香穂子は切なくなる。 二人目はいらないのだろうか。 そう思った瞬間、吉羅に抱き寄せられた。 「……!」 「有り難う…、香穂子…」 吉羅に抱き寄せられて、香穂子は心臓が飛び跳ねた。 同時に、言葉には出来ないほどの嬉しい想いが、躰の奥底から込み上げてきた。 「…二人目はとても嬉しくて思うよ。有り難う、香穂子…」 吉羅がずっと抱き締めたままでいるものだから、じっと暁史が見つめている。 「とーしゃん…は…、ママがだいちゅき!」 暁史に無邪気に言われて、香穂子も吉羅も紅くなった。 吉羅は照れ臭そうにフッと笑うと、息子を抱き上げた。 「そうだよ。お父さんはママが大好きだ」 吉羅が機嫌良さそうに笑うと、暁史は本当に心から嬉しそうに笑った。 「ママのことが大好きなのは、お前も同じだね」 香穂子は恥ずかしさと嬉しさに、はにかみながら笑った。 病院を出た後、役所に行き母子手帳を交付してもらう。 吉羅は本当に嬉しそうに手帳を眺めている。 香穂子は、やはり吉羅と一緒にこのままずっといたいと思った。 吉羅がいれば、それだけで本当に幸せな気分になれるのだから。 親子で幸せな気分で帰宅をしたタイミングで、忌々しい吉羅一族の伯母が美しい女性を連れてやってきた。 香穂子は玄関先に出て困惑する。 この人達は何処まで邪魔をしたいと思っているのだろうか。 本当に頭が痛い。 「あなたにお話があってね。吉羅家としては最期通告ですわ」 キリリとしたまなざしは狡猾で、香穂子はそれに呑まれないように踏ん張った。 「吉羅家の本家の嫁だとは、あなたを認めるわけにはいかないのよ」 ピシャリと言われてたが、香穂子は黙っていた。 すると、香穂子がいつまで経っても玄関先から帰って来ないことを心配してか、吉羅がやってきた。 「…やはりあなたが来たんですか…」 吉羅はうんざりとしたかのように、伯母を見つめる。 伯母は、吉羅が家にいることに驚いているかのようだった。 「…暁彦…」 吉羅は、誰もが威嚇されて震え上がるだろう厳しいまなざしを向けてくる。 そのまなざしは、本当に厳しかった。 「…あなた方が、香穂子が子供の生めない躰だと思わせるために、様々な工作をしていたことは既に解っています」 「そ、そんなこと…っ!?」 「調べあげるのに二年以上かかりましたよ。香穂子は子供の出来難い躰でも何でもありません。彼女は健康そのものですから…。彼女は現にこうして私の子供を産みました。そこがあなた方の見当違いだったようですね…」 吉羅は静かに言うと、伯母を見据えるようなまなざしを向けた。 「私は今まで自力でビジネスをしてきました。ですから吉羅家と縁を切っても構わない。遺産なんて必要とはしません。愛する妻と子供たちが幸せに暮らせたら、私はそれで構わないのです」 吉羅は淡々と言うと、伯母を見据えた。 「今後、一切、私の家族には手出しは無用です。それは弁護士を通じて、本日、お話がある筈です。私の家族を愚弄し翻弄することは、これ以上許しません」 吉羅はキッパリと言い放つ。 吉羅の言葉が心に染み渡ってくる。 嬉しくて香穂子は胸の奥から涙が零れ落ちてくるのを感じた。 こんなにも切なくて苦しい想いは他にないのではないかと、香穂子は思った。 吉羅に愛されている。 ずっとずっと愛されていた。 その事実に、香穂子は涙が零れ落ちる。 こんなにも有り難うと思えることはなかった。 |