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香穂子は、久々の快楽にたゆたゆと漂いながら、ゆっくりと瞳を開けた。 目の前には、心から愛する男性がいる。 ずっとずっと抱かれたかった。 吉羅以外には考えられなかった。 香穂子は満ち足りた幸せを感じていた。 目を開けると、吉羅が顔のラインを撫でてくる。 なんて甘くて素晴らしい行為なのだろうか。 香穂子はうっとりとした。 奇蹟のように子供を得ることが出来た行為。 また、吉羅の子供が欲しいと思ってしまう。 愛しているからに他ならない。 吉羅も、いつもの厳しさからは想像出来ないほどに優しいまなざしをしていた。 「…暁史の下の子供も欲しいからね。これからは…また、以前と同じように君は私と一緒に眠るんだ…」 香穂子はまた答えられなかった。 愛しているから一緒に眠るというのなら嬉しい。 だが、吉羅が子供が欲しいから一緒に眠るというのは、また違う発想だ。 吉羅との再会と一緒に暮らすことをずっと夢見ていた。 だが、こんな風に夢を見ていたわけではなかった。 吉羅がきちんと「ずっと愛していた。今も愛している」と言って、よりを戻すのならば、それで良いと思っていた。 そうなれば一番幸せだと。 なのに今回は、吉羅は子供を自分のそばに置くために、よりを戻そうとしているとしか思えなかった。 そして、香穂子はあくまで子供を産む女としか見ていないような気になる。 だが、吉羅の子供が欲しいとも思う。 暁史を産んだ時に、香穂子は吉羅の子供がもう産めないと思って泣いたのだから。 吉羅の子供は産みたい。 だがそれはあくまで、吉羅と魂の底から愛し合っていればの話だ。 建前の為に、仲良いふりをして生きていくのは、香穂子には堪えられないことだった。 「…香穂子…、どうしたのかね?」 香穂子が何も答えないせいか、吉羅は抱き締めたまま顔を覗き込んでくる。 「…暁彦さん…、私…」 不安でしょうがない。 まな同じようになるのではないかと思う。 両親は、よりを戻すことを喜んでくれるだろうから、今度は出て行くことが難しくなる。 香穂子は切なく暗い気分で、吉羅を見た。 「…香穂子、不安にならなくて良いんだ…」 香穂子がつい表情に出してしまったからか、吉羅は抱き締めてあやすように背中を撫でてくれた。 「…暁彦さん…。また…同じことになるような気がするんです…」 「そんなことは起こらないから、君は心配しなくて良い…。これからはずっと家族一緒に暮らして行くんだから」 香穂子はまた返事が出来なかった。 本当にずっと一緒に愛し合って暮らせるのならば、これ以上素敵なことはないのにと、香穂子は思った。 「もう何も心配することはないんだ…」 吉羅は何度も言ってくれる。 その言葉を信じたいのに、深くは信じることが出来なくなっている。 吉羅に離婚を言い渡されて、息子がいたから何とか生き長らえてきたのだ。 それをもう繰り返したくはなかった。 なのにどうしてこんなにも吉羅が愛しいのだろうか。 香穂子は強く感じずにはいられなかった。 いつの間にか香穂子は疲れ果てたのか、眠ってしまった。 吉羅は香穂子の寝顔を見つめながら、純粋な幸せを感じずにはいられない。 このままずっと離したくはない。 だが、香穂子は離れていってしまうような気がしてたまらなかった。 香穂子が離れてしまうなんて、堪えられやしないのだから。 まだ、傷付いた心を抱いているのは解っている。 香穂子がズタズタに傷付くようなことをしたのだから当然だ。 あれからもう一度信用を得ようとしても、かなり難しいのは解っている。 あの切なそうにしている香穂子の顔を、吉羅は忘れられなかった。 吉羅のことを完全には信用したくはないと言っているように思えた。 信用されなくて当然のことをしたのは解っている。 吉羅は、それが悔やんでも悔やみ切れなかった。 吉羅のことを恨んでいるのは当然だろう。 だが、どうしても吉羅はやり直して、離したくはなかった。 愛している。 本当にこれ以上はないと言えるぐらいに愛している。 だが、吉羅はそれを上手く香穂子に伝えることが出来ない。 折角、神様から与えられた大きなチャンスだというのに。 香穂子を以前よりも幸せにしてやりたい。 そうすれば自分も幸せになれると、吉羅は解っていた。 上手く愛を伝えられたら良いのに。 「…香穂子…」 吉羅は甘くその名前を囁くと、香穂子を抱き締めた。 「…愛している…。君だけを…」 夢の中にいて聞こえないのは解ってはいたが、吉羅は精一杯甘く囁いた。 吉羅に「愛している」と甘く囁かれる夢を見た。 香穂子は幸せで幸せでしょうがなくて、つい笑みを浮かべた。 本当になんて幸せな夢なのだろうかと思ってしまう。 不意に子供が泣く声で目が覚めた。 「暁史!」 吉羅の声が聞こえて慌てて躰を起こすと、吉羅がベッドルームから出るのが見えた。 香穂子も直ぐにベッドから出ようとしたが、裸だったために慌ててパジャマを着るはめになった。 パジャマを着終わる頃には、既に息子は泣きやんでいた。 そっと廊下に出ると、吉羅が暁史を抱き上げている。 「大丈夫だ、暁史。お父さんがいるからね」 「…とーしゃん…?」 暁史はー父親がどのような存在なのかを全く解ってはいない。 だが本能で感じているのだろう。 吉羅に甘えるように抱かれていた。 「さびちかった…」 「もう大丈夫だ。こうしてお父さんがいるから。ほら、君の大好きなママもきたよ」 吉羅が優しい声で言い聞かせると、暁史は、香穂子に視線を向けた。 「まま…」 「ママがいるからね。もう安心だよ」 「ママ、抱っこ」 香穂子の顔を見るなり、暁史は手を伸して来る。 その姿が可愛くてしょうがなくて、香穂子はそっと手を伸した。 「あきちゃん、こっちへおいで」 「はい」 暁史は香穂子に抱っこされると、安心したように笑顔になった。 「どうやら世界で一番君が好きのようだね」 「ずっとふたりで生きてきましたから」 香穂子は息子を更に抱き寄せた。 吉羅の表情を見ると、強張っているのが解る。 年月には勝てないと思っているのだろう。 「暁史、ははもうお父さんも一緒にいるから、今までよりも寂しくなくなる」 「…あい…。いっちょ」 暁史は無意識なのだろう。 香穂子と吉羅の手を交互に握りあいながら、にっこりと笑った。 子供の無邪気な表情にはやはり勝てないと香穂子は思った。 こんなに甘い瞬間は他にはないと思った。 「もう少し眠る時間はあるかと思うよ…。ゆっくり眠ろうか」 吉羅の言葉に、暁史は笑顔で頷いた。 三人はそれぞれ笑顔になる。 こうしていると結束の強い家族に思えてくるのだから不思議だ。 吉羅と暁史と三人。 香穂子にとっては夢見ていた理想の家族だった。 ずっと三人で一緒にいる。 吉羅と、もう一度やり直せるのだったら、もう一度やり直したい。 香穂子はそう思わずにはいられない。 夢見ていた家族が出来るのならば、それが理想だった。 吉羅は、とても誠実なところをみせてくれている。 今度こそは信じられるだろうか。 今度は失敗することなく、三人で暮らしていけるだろうか。 香穂子は、見極めるように吉羅を見る。 父親としては合格点どころか、それ以上だ。 だったら、夫としては? そこが一番引っ掛かっていた。 |