*背伸びをしても*


 吉羅には美しい恋人がいる。

 パトロンだから、両親が気に入っているから、保護しなければならないから。

 そんな理由で、吉羅に選んで欲しくない。

 香穂子は、現実と吉羅の本当の気持ちを受け入れようと決めた。

 愛しているから、吉羅には素晴らしい愛をつかんで欲しい。

 義理や保護欲のための愛なんて必要ない。

 香穂子は胸がナイフで抉られてしまうのではないかと思いながらも、決断を受け入れることにした。

 最初で最後のデート。

 だからこそ、想い出に残るものにしたかった。

 

 素晴らしいデートにするために、香穂子は思いきりおしゃれにして、綺麗になろうと思った。

 今日が香穂子の恋の卒業式。

 ずっと一方通行だった恋の。

 香穂子は、卒業式に相応しい麗しのスタイルをして、デートに行く。

「まあ、香穂子ちゃん!なんて素晴らしいの!綺麗ね。これだと、暁彦も惚れ直すと思うわよ!」

 吉羅の母は、香穂子をうっとりと見つめながら、賞賛してくれる。

 香穂子は素直に嬉しいと思う。

 吉羅を産んでくれたひと。

 だからこそ嬉しいのだ。

 だが、肝心の吉羅はそこまでは言わないだろう。

 それどころか、“大したことがない”と、思ってしまうかもしれない。

 恐らくはそうだろう。

 吉羅には、今まで良くしてくれたことをきちんと感謝をしよう。

 そして、本当にひとりで大丈夫なのだということを、キチンと誠実に伝えようと思った。

「本当に今日の香穂子ちゃんは綺麗だわ……。透明感があって、キラキラしていて……」

「ありがとうございます」

 香穂子は笑顔で答えると、真っ直ぐ吉羅の母を見つめた。

「香穂子ちゃんは、もう大人の女性なのね……。今日は、本当に大人っぽくて綺麗だわ……」

 香穂子は、吉羅の母の言葉をとても嬉しく思っていた。

 香穂子はフッと笑みを浮かべる。

「暁彦もうかうかしていられないわね。あなたは本当に綺麗だもの!うかうかなんてしていないかもしれないけれどね!」

 吉羅の母はくすりと微笑むと、香穂子の肩にそっと手を置いた。

「あなたは自信を持って大丈夫なのよ。それだけは思っていてね」

「ありがとうございます」

 吉羅の母に、太鼓判を押して貰えるのは、とても嬉しかった。

「では、お出掛けします」

「ええ、いってらっしゃい」

 吉羅の母に見送られて、香穂子は吉羅が役員を務める会社へと向かった。

 

 吉羅は役員を務める会社に向かうと、秘書に来客があるから少し待つようにと言われた。

 待っていると、先日、吉羅と一緒にいるところを見かけた、あの美しい大人の女性を見かけた。

 直ぐに解る。

 来客は彼女なのだ。

 彼女がいたから、香穂子を、待たせたのだろう。

 胸が苦しくて息が出来ないぐらいだったが、香穂子は何とか堪えた。

 今日でスッパリと諦めるつもりだから、吉羅がどのような選択をしてもしょうがないと思った。

 女性が一瞬、こちらをじっと見つめたような気がした。

 香穂子は見つめてしまうだけで、自分とは余りにも違うことを思い知らされたような気持ちになった。

「日野様、吉羅取締が空きましたので、お会いすると。こちらへどうぞ」

「ありがとうございます」

 秘書に案内されて、香穂子は吉羅の部屋へと向かった。

「日野様です」

「入ってくれ」

 香穂子が吉羅の部屋に入ると、鋭い視線が投げ掛けられてきた。

 香穂子を厳しく見つめる瞳。

 きっと吉羅のお眼鏡にはかなわなかったのだろう。

 しょうがない。

 最後だけでも、吉羅に認めて貰いたかった。

 だがそれは、見果てぬ夢になってしまった。

 仕方がなかった。

 秘書が部屋から出たあと、香穂子は落ち着かない気分になる。

「直ぐに準備をするから、待っていてくれたまえ。今夜は君が望むようなデートをしようか」

「ありがとうございます」

 香穂子はつい寂しい笑顔を吉羅に向けてしまう。

 これが最初で最後のデートだから、今はロマンティックに集中しようと、香穂子は思った。

 吉羅を、こうして待つのも、これが最後だろうから、一瞬を大切にしようと、香穂子は思った。

「さあ、お待たせしたね。行こうか」

「はい」

 先程まで吉羅は冷たい眼差しだったが、今は香穂子の恋人であるということを証明してくれるような、温かな眼差しだった。

 香穂子はその眼差しを受け取りながら、静かな笑顔を浮かべた。

 今だけは、吉羅は香穂子だけのものだから。

 吉羅の部屋を出ようとしたところで、手を握られた。

 いきなりのことでドキドキしながら香穂子が吉羅を見上げると、フッととっておきの笑みを浮かべてくれる。

「デート、するんだからね」

「はい、ありがとうございます」

 しっかりと手を握りしめられて、香穂子は心臓が飛び出してしまうのではないかと思った。

 こんなに激しく緊張するなんて、思ってもみないことだった。

 緊張とはいっても、甘い蜂蜜のようなものだから、ロマンティックではあったのだが。

 しっかりと手を繋いでいると、本当に吉羅とは恋人同士なのではないかという錯覚を覚えてしまう。

 香穂子にとってはロマンティックな錯覚ではあったが。

 吉羅とふたりで、愛し合う恋人たちのように手を繋いで、駐車場へと向かう。

 デートとしては、最高の滑り出しだ。

 これぞ甘い。

 甘いシーンが初めてだったから、香穂子の幸せなときめきは頂点に達する。

 こうして大好きなひとにエスコートをされるのが、何よりも嬉しかった。

 吉羅の愛車フェラーリの前に来ると、助手席を開けてエスコートしてくれる。

「どうぞ、お嬢さん」

「ありがとうございます」

 たった一度だけでも、こうして夢のようなデートが出来るのが嬉しかった。

 今だけ。

 今だけだから。

 今は吉羅の恋人気分でいさせて欲しかった。

 吉羅は運転席に乗り込むと、直ぐに車を発進させる。

「今日は、君を待たせるのではなく、君を迎えにゆくべきだったね」

 吉羅は感情なく呟く。ひょっとしたら吉羅は、あの女性とふたりきりでもう少しいたかったのかもしれない。

 香穂子は、複雑な気持ちになった。

「私は吉羅さんのところへ行けて、嬉しかったです」

 香穂子はこれが吉羅のところに行くのも最後だから、ある意味良かったと思った。

「理事長室だったら良かったのだが、あいにく今日に限ってこちらで仕事だったからね。今度は理事長室か、迎えに行こう」

 吉羅の言葉に香穂子は曖昧に笑うことしか出来ない。

 こんなにも優しくしないで欲しい。

 変な期待をしてしまうから。

 香穂子は切なく思った。



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