17
吉羅と激しく甘く愛し合った後で、ベッドでゆったりと抱き合う。 こうしている時が、香穂子にとっては、一番の幸せだ。 「…夕食を中断してしまったが…、お腹は空いていないかね? 君が欲しい余りに、こうしてしまったが…」 「大丈夫ですよ。本当に…。お腹は空いてはいませんから…」 「…だったら大丈夫だがね…」 吉羅は更に香穂子を抱き寄せてくれると、無防備な背中を優しく撫でてくれた。 そのリズムがとても優しくて、香穂子はうっとりとしてしまう。 「…君を不安にさせないためにも、君をずっと捕まえておくためにも、これは必要なのかもしれないね…」 吉羅はフッといたずらっ子のような笑みを浮かべると、躰を起こして、ベッドサイドにあるチェストの引き出しを開ける。 「今がベストタイミングだと、私は思うからね」 「…吉羅さん…」 吉羅が取り出したのは、紅いヴェルヴェットのジュエリーケース。 それを見た瞬間、香穂子は泣きそうになった。 「これをはめているからと言って…、君の不安が解消されるわけではないことぐらい…、解ってはいるんだが…、誰かに君が私のものだときちんと分からせるためにも、指環は必要だと思ったからね…」 「吉羅さん…」 吉羅の想いが伝わり、幸せの熱さの余りに涙ぐんでしまう。 幸せ過ぎる気分は、こんなにも熱いものなのかと思った。 「泣くのはまだ早いよ…。ちゃんと約束の指に指環をはめさせてくれるね?」 「有り難う…」 香穂子がうっすらと涙を浮かべながら頷くと、吉羅は微笑んでくれた。 「左手を出して貰えるかな?」 「はい」 吉羅に左手を出すと、そっとその手を取ってくれる。それが香穂子には嬉しかった。 神聖な儀式が始まる。 吉羅は、香穂子を抱き起こすと、左手の薬指に約束の指環をはめてくれる。 恐らくは人生で一番嬉しいプレゼント。 これ以上のものはないと、香穂子は思う。 綺麗な輝きを持っている宝石を持った指環だ。デザインも優美で、香穂子はうっとりと見惚れてしまう。 「…有り難うございます…凄く綺麗な指環です。気に入りました…」 「そう言って貰えて嬉しいよ」 「本当に嬉しくって…」 声を詰まらせながら呟くと、吉羅は抱き寄せて慰めてくれる。 「…本当に嬉しくて…」 「君は本当に泣き虫だね…。だけど君のような泣き虫は悪くない…」 吉羅は香穂子を胸に抱き締めると、背中をそっと撫でてくれた。こんなにも嬉しい瞬間は、他にないのではないかと思う。 香穂子は涙ぐみながら、吉羅をしっかりと抱き締めた。 「きちんとした形で付き合えるようになったら、正式に婚約をしよう」 「…吉羅さん…」 まさか、指環に続いてプロポーズもあるなんて、思ってもみなかった。 香穂子は息を呑んだまま、ただ吉羅を見つめることしか出来ない。 「…どうしたのかな? 私のお嬢さん…?」 「…嬉しくて…。まさか、吉羅さんにプロポーズをして貰うなんて、思ってもみなかったから…」 「…君には色々と切ない想いをさせてしまうが…、それでも待っていて欲しい…」 「はい。待ちます」 「有り難う…。後少しだから、心配しなくても良いから」 吉羅は再び香穂子を組み敷くと、愛し始める。 愛に甘く溺れながら、香穂子はゆっくりと目を閉じる。 結局、激しく愛し合ってしまったせいで、ふたりの夕食は随分と遅いものとなってしまった。 正式に吉羅が婚約解消の話し合いをする日、香穂子はスタジオでヴァイオリンの録音に挑んでいた。 気にならないと言えば嘘になる。 だが、より素晴らしいヴァイオリン演奏をするために、集中することにした。 どうか無事に事が進みますように。 結婚することによって、当人や周りの人物が不幸になるというのは、避けたほうが良いのだから。 香穂子は、吉羅たちの話し合いが上手くいくようにと願いを込めて、ヴァイオリンを奏でた。 吉羅は弁護士同伴のもと、婚約者の父親と弁護士、そして婚約者自身と話し合うことにした。 婚約者の父親が経営をする会社ビルの応接室で対面をする。 吉羅が部屋に入ると、直ぐ後に、婚約者と弁護士、そして父親が姿を現した。 弁護士は何処かで見た事があるが、思い出せなかった。 「ご無沙汰しております」 吉羅が深々と頭を下げると、父親もまた深々と頭を下げた。 かたくななイメージがあった婚約者の父親は、吉羅の顔を見るなり、もう一度頭を下げた。 「…私は…君達に謝らなければならないね…」 しみじみと父親は言うと、吉羅と娘、そして弁護士を見渡した。 吉羅はそこでハッとする。 弁護士は、彼女と一緒にいた男だった。 「君達の気持ちを考えずに、婚約を押し進めてしまって申し訳がないと思っている…。吉羅君、君には特にすまなかたね…。今回、娘から話を聞いて、私はようやく目が覚めたんだよ。政略的な結婚なんて、今の時代では無意味だ。それをようやく気付いたんだよ。このふたりが教えてくれたんだよ…。愛し合っているふたりを引き裂いたうえでの結婚は、決して赦されるものではないと思うよ」 吉羅は、婚約者の父親をじっと見つめる。 娘が恋人の弁護士と共に、一生懸命説得をしたとのだという。 「…お互い様だということだ…。披露宴の招待状は…、刷り直すことにしたよ。娘と彼の名前でね。君にも 是非とも出席して欲しい。君の恋人と共にね…」 「有り難うございます」 吉羅は深々と頭を下げた後、婚約者だった彼女と恋人を見つめる。透明感のある顔立ちが、とても輝いて見えた。 「…私たち、吉羅さんには本当に感謝しています。あなたの大切な方を大切にして下さいね。有り難うございました」 もう一度頭を下げられてしまい、吉羅は恐縮してしまった。 「お互いに同意のうえでの婚約解消ですから。責任はどちらにもないということで、宜しいですね」 「有り難う…」 吉羅はふたりに深々と頭を下げる。 香穂子に出会わなければ、この重苦しい結婚をしなければならなかった。 お互いに責めることもなく、綺麗に解消することが出来たのは、何より嬉しかった。 吉羅はもう一度礼を言った後で、部屋を出る。 その瞬間、背中に羽根が生えた気分だった。 早く香穂子に逢いたい。 早く逢って、このことを報告したかった。 香穂子は吉羅との待ち合わせ場所であるオープンカフェで、ロイヤルミルクティーを飲みながらー静かに待っていた。 吉羅の話し合いが上手くいっているのだろうかと、半ば心配していた。 だが自分でやることは、何もないのだから、こうしてこの場所でじっとしているしかなかった。 ミルクティーの飲み干す頃、香穂子の眼前に、吉羅のシルエットが見えた。 いつもよりも心なしか早歩きのような気がする。 香穂子は思わず微笑む。 恐らくは良い知らせを持ってきてくれたに違いない。 香穂子が立ち上がるタイミングで、吉羅が目の前にやってくる。 吉羅はいきなり香穂子を抱き締めて軽く躰を宙に浮かせると、くるくると回転させてくる。 こんなことを吉羅がするとは思わなかったので、香穂子は思わず目を見張った。 それは勿論、嬉しい驚きであったのだが。 「総てが解決をして上手くいった」 「良かった!」 香穂子は笑みを浮かべると、ここが何処か構う事なく吉羅を抱き締めた。 「これからはふたりで堂々と幸せになろう」 「はい」 香穂子は吉羅に頷くと、今までで一番の笑顔を浮かべる。 偶然で始まった恋は運命の恋。 吉羅とふたり、幸せを噛み締めながら、新しい一歩を踏み出した。 |