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吉羅とふたりで部屋に通される。 大きなダブルベッドと、ソファがある。 正直、ソファがあったのは助かった。 「夕食はご用意出来ますから、ゆっくりされて下さいね」 「はい。有り難うございます」 香穂子は丁寧に礼を言うと、女性はにっこりと微笑んでくれた。 それが嬉しくて、しょうがなかった。 ふたりきりになると、吉羅は荷物を置いて窓の外を眺める。 「災難だったね。お互いに」 「そうですね。だけど、こうして凌げるところも見つかりましたから」 香穂子は吉羅に小首を傾げて微笑むと、ゆっくりと頷いてくれた。 「そうだね。私も君が前向きに考える子で助かったよ。こんな状況でパニックになられては困るからね」 「そうですね」 パニックになったところでしょうがない。 どうにもならないのだから。 「暫くゆっくりとすると良い。仮眠の感覚で休んで、明日は六時にはここを出なければならないからね」 吉羅の言葉に、香穂子は頷く。 明日はきっと朝まで眠れそうにないだろうと、思いながら。 ペンションのダイニングスペースで夕食を頂く。 美味しそうな夕食に、香穂子のこころは和んだ。 「こちらは本当に美味しそうなものばかりで嬉しいです。野菜が多いのも魅力的です」 「ここは美味しい食事を提供してくれるんだ。私はかなり気に入っていて、この村でコンサートを企画する時は、泊まらせて貰っている」 ペンションの雰囲気も温かくて、しかも瀟洒な感じがする。 じっくりとゆっくりと出来る雰囲気も素敵だと、香穂子は思った。 「良い雰囲気ですね。私もこの雰囲気が大好きです」 「気に入ってくれて何よりだ」 香穂子は頷くと、吉羅に促されるままに食事を取る。 美味しい食事に、バスに置いてけぼりになったり、こうして嵐に遭ってしまったことも、総てが吹き飛ぶような気がした。 「…本当に美味しいです。きっと新鮮だからですよね」 「そうだね。新鮮だからだろうね」 吉羅は落ち着いた雰囲気で頷くと、香穂子を見つめた。 「日野君、昨日の演奏は悪くなかった。なかなかだったと私も思うよ」 「有り難うございます」 「音が持つ雰囲気は良いが、技術的には物足りない。まだまだ精進が必要だね」 吉羅は冷静に香穂子にきっぱりと言い、静かに見つめてくる。 「はい、技術を磨いて頑張ります」 「君のこれからの活躍を楽しみにしている。また私が君をコンサートに呼びたくなるように、頑張ってくれたまえ」 「…解りました」 まだまだなのは自分でもよく解っている。だからこそ、香穂子は更に頑張らなければならないと思う。 香穂子はより頑張る決意を固めると、唇を噛み締めた。 食事の後、デザートが運ばれてきて、ゆっくりとそれを楽しむ。 ここは食べることを楽しんでしまえば良い。 香穂子はにこにこ笑いながら、食事を楽しんだ。 先程まで冷たい表情をしていた吉羅が、不意に笑みを浮かべる。 「日野君、君はとても美味しそうに食べるね」 「へ、変でしょうかっ!?」 「…いや。好ましいと思ってね」 吉羅はフッと微笑むと、香穂子を見つめる。このようなまなざしで見つめられたら、緊張してしょうがなかった。 吉羅のような大人の雰囲気の男に見つめられるだけで、ドキドキとときめきが高まっていくのを感じた。 デザートを食べ終わると、吉羅は立ち上がる。 「行こうか」 「はいっ」 急にふたりきりになることを意識してしまい、香穂子は緊張の余りに、ぎこちなく返事をしてしまった。 こんなにも甘く緊張してしまうのは初めてかもしれない。 吉羅の後を着いていきながら、香穂子は背筋を伸ばしてカチコチになった。 部屋に入ると、吉羅はソファに座る。 「…私はこのソファを使うから、日野君、君はこちらのベッドを使いたまえ」 「ソファで大丈夫ですっ! わ、私、吉羅さんに比べたら小さいですし、車を運転して下さるのは吉羅さんですから」 香穂子がわたわたと言うと、吉羅は溜め息を軽く吐く。 「解った。ではベッドを使わせて貰うが、君は明日も仕事だろう? しっかりと頑張らなければならないからね。休むんだ、しっかり」 「…はい」 香穂子は頷くと、吉羅から毛布を受け取る。 「私は車の中でも眠れますから。ソファで十分ですよ」 「もし、ソファの寝心地が悪いならば、いつでも言いたまえ。直ぐにでも、交換するから」 「解りました」 香穂子はしっかりと頷く。 吉羅は、色々と考えを巡らせながら、気遣ってくれる。 それが香穂子には嬉しくてしょうがなかった。 「シャワーを浴びて来なさい、日野君。ゆっくりして疲れを取るんだ」 「有り難うございます。ではお言葉に甘えてお先に」 「ああ」 香穂子は一礼をすると、バスルームに入る。 バスルームでゆっくりと疲れを癒すことにした。 シャワーを浴びていると、肌が敏感になって緊張してくるのが解る。 息が上手く出来ないほどに緊張している。 香穂子は呼吸を浅くしながら、敏感過ぎる肌を丁寧に洗う。 肌が何かを求めているのが解る。 だがそれは思い過ごしだと自分で思うようにするしかなかった。 用意されていたパジャマに着替えて、香穂子は背筋を緩やかに伸ばす。 こうして意識をしなければ、このまま緊張でおかしくなってしまいそうだ。 香穂子は呼吸を整えると、何度も目を閉じた。 バスルームから出ると、吉羅が小さなノートパソコンを使って、仕事をしている姿が見えた。 香穂子はその姿を見つめながら、鼓動が更に早くなるのを感じる。 本当に吉羅が働いている姿は、とてつもなく魅力的に見える。うっとりと見つめてしまいそうだ。 「…日野君、入り終わったのかね?」 「…はい」 「だったら、私も入ってくるとしようか」 吉羅は静かに言うと、バスルームに消えていく。 また緊張の度合いがひどくなる。 香穂子は、バスルームに消えた吉羅をいつまでも見つめながら、緊張の余りに唇を震わせていた。 ひとり膝を抱えて、ソファに乗る。 こんなにドキドキばかりしていると、いつか死んでしまうんじゃないかと思ってしまう。 香穂子は吉羅の存在感を強く感じながら、じっとしていた。 外の嵐が随分とひどくなってきた。 香穂子は嵐の酷さに眉を顰めながら、更に躰を小さくさせる。 子どもの頃から、嵐は嫌いだ。 こんなに嫌なものは他にない。 香穂子は酷くなる嵐と、吉羅に反応をして震えてしまう自分の鼓動が、嫌でしょうがなかった。 吉羅が浴室から出る頃、嵐は最高潮だった。 香穂子は震えながら躰を小さくさせて、毛布を被ってじっとしている。 「…日野君、どうしたのかね!?」 吉羅の心配そうな声に僅かに顔を上げると、直ぐ近くに意識をしているひとの顔があった。 「…あ、あの…、吉羅さん…」 「…日野君、どうしたのかね?」 「嵐が…苦手で…」 香穂子が素直に言うと、吉羅は柔らかく頷いてくれた。 「余り嵐が得意ではないんだね? 君は…」 「…そうなんです…」 吉羅はまるで小さな女の子を見るようなまなざしで香穂子を見ると、ギュッと抱き締めてくる。 「……!」 まさか抱き締められるとは思わなかった。 緊張している筈なのに、抱き締められて背中を撫でられると、落ち着いてくる。 「嵐は明日の朝には止む…。だから…安心するんだ…」 「…はい…。吉羅さん…」 吉羅の声が子守歌のように、ゆっくりとこころに浸透するのが解った。 |