*追憶*

11


 吉羅とは覚悟を決めてきちんと話し合わなければならない。
 香穂子はレストランで向かい合わせに座ると、背筋を整え、臨戦態勢を整えた。
「この子はハンバーグで良いかね? 君はしっかりと食べなければならないから、フィレステーキのコースを食べると良いよ」
「有り難うございます」
 こうして気遣ってくれるのは、とても嬉しい。
 短い間付き合っていた時も、さり気ない気遣いはくれた。
 だが、その気遣いを覆してしまうほどの出来事があり、総てが消え去ってしまったが。
 思い出しただけで眉間にしわが刻まれる。
「ママ、だいじょぶ?」
 息子が母親のただならぬ雰囲気を察したのか、心配そうに見つめてきた。
「大丈夫だよ、あきちゃん。ママ、もう平気だから」
 子どもを不安にさせてしまったと香穂子は反省しながら、柔らかな笑みを零した。
「よかったあ!」
 息子がにっこりと笑い、香穂子も思わず微笑んでしまった。
 ふたりの様子を吉羅がじっと見ているのを感じる。
 明らかに羨ましそうにしていたのが、少しだけ胸に突き刺さった。
 吉羅も既に息子を愛してくれている。
 それは香穂子にとってはかなり嬉しい。
 息子を慈しんでくれるのは、本当に感謝する。
 だが、いつか飽きてしまうような気がして切ない。
 香穂子がかつてそうであったように。
 吉羅を父親として慕っていたら、捨てられた時の傷がかなり大きくなってしまうだろうから。
 香穂子はそれも不安で、吉羅には余り近付いて欲しくはなかった。
 やがてハンバーグがやってきて、香穂子は息子のために綺麗に切って与える。
「あきちゃん、美味しそうなものがいっぱいあるけれど、どれが良いのかな?」
「こえ!」
 暁愛が指を指したのは、やはりハンバーグだ。
「…ハンバーグばっかり食べていたら、あきちゃんはちゃんと大きくなれないよ。ハンバーグも良いけど、よいこはちゃんと野菜を食べるんだよ」
「…解った」
 エンドウマメの焼いたものを渋々指差す息子に笑いながら、香穂子は食事をさせる。
「香穂子、君も食べなさい。君こそしっかりと栄養を取らなければならないだろう?」
「有り難うございます。あきちゃんとシェアをしながら食べますね」
 香穂子が僅かに笑うと、吉羅もまたフッと微笑む。
「…君はやはり良い母親のようだね。以前も良い母親になると思っていたが、予想通りになったようだ」
 吉羅は遠い過去に想いを馳せるように呟くと、香穂子を愛しげに微笑む。
 こんな笑みを浮かべられたら、蕩けてしまいそうになる。
 このまま吉羅に総てを預けたくなる。
 それは出来ないだろうが。
「休まる暇がないのではないかね? プロのナニーを雇うことが出来るが…どうするかね?」
「必要ありません。この子はずっと私のそばで育ててきたから、私が出来る時はそばにいてあげたいんです。いつも、仕事の間は、この子を預けてばかりですから、せめてこうしている場合は、見てあげたいんです」
 息子の話をすると、つい穏やかな気持ちになる。
 この二年間、香穂子には息子しかいなかった。
 息子以外は存在しなかったのだ。
 お互いに頼り寄り添って生きてきたから、誰よりも大切な存在だった。
 吉羅は、香穂子が息子の話をしている間は、とても穏やかな表情になる。
 見守ってくれているようなまなざしだ。
 いつか。
 このような状態ではなく吉羅が父親になる時には、恐らくはとても良い父親になるだろう。
 勿論、その子の母親は香穂子ではないだろう。それが少しだけ切ないだけ。
「私が代わろうか?」
「大丈夫ですよ。久し振りだから…こうやってお世話してあげたいんです」
 病気になってしまったおかげで、息子には随分と苦労を掛けてしまったから、もっと世話をしてあげたいぐらいだ。最も、これで埋め合わせが出来るとは思ってはいないが。
「君はまだ完全に復活はしていない。ちゃんと、病気の療養をしながら、出来る範囲で世話をするんだ。ナニーが必要ならきちんと手配をする」
「…有り難うございます。だけど…私…この子の世話をしてあげたいんですよ」
 香穂子の硬い決意に吉羅は静かに頷くと、食事を続けた。
「あきちゃん、お肉食べる?」
「たべう」
「そう。じゃあ食べようか」
 香穂子は細くした肉を暁愛に与える。
 こうして美味しそうに食べる息子を見るとホッとした。
 吉羅がふたりを包み込むように見つめてくれているのが嬉しい。
 その甘いまなざしがいつまでも続けば良いのにと思わずにはいられなかった。

 いつもなら眠っていてもおかしくない時間なのに、暁愛は起きている。しかも興奮していて、楽しそうに訳の解らない歌を歌っていた。
 部屋に入ると、息子は香穂子にしがみついて甘えてきた。
「ママ、おっぱい」
「あきちゃん…」
 一応離乳はしているが、時々、こうしてお乳を欲しがることがある。
 甘えたい時は特にだ。
 香穂子は息子を抱き上げると、吉羅に背を向けた。
「…君と少しだけ話をしたいから、待っていよう」
 吉羅の言葉に香穂子は頷く。
 吉羅がこのまま帰らないのは解っていたから。
「…解りました。少しだけお待ち下さい」
「ああ」
 香穂子は息子を抱いままソファに座ると、隠れるように授乳を始めた。

 息子に授乳をする香穂子は、とても美しく見えた。
 息を飲む程に綺麗だ。
 見るつもりはなかったが、つい横目で見てしまう。
 官能的な気持ちは一切なく、本当に美しく思えた。
 こんなにも清らかで美しい女は他にいない。
 香穂子以外には。
 我が子に授乳する香穂子の姿を見るだけで、嬉しくてしょうがなかった。
 香穂子は暫く息子に授乳をした後、眠ったのかそっとソファの上に小さな暁愛を寝かせた。
 きちんとワンピースを整えてから、香穂子は振り返った。
「吉羅さんお待たせしました」
 香穂子は静かに言うと、吉羅と向き合った。
「では、話をしようか」
「そうですね」
 香穂子は先ほどの慈愛に満ちた表情から、一気に厳しい顔になる。
 戦闘モードに突入したのだと、吉羅は悟った。

 闘わなければならない。吉羅と。
 暁愛を取り上げられたらどうしようかと思いながら、香穂子は吉羅と向かい合わせに腰を掛けた。
「…香穂子…、君は私がもう何を訊きたいかは解っているね?」
 吉羅は口元で指先を組むと、じっと香穂子を見つめてくる。
 いつものような鋭さはなく、何処か柔らかで静かなまなざしだった。
「…あの子は私の子どもだ…。それな間違いないね…?」
 吉羅の確信に満ちた声に、香穂子は上手く頷くことが出来ない。
 吉羅の子ども以外に考えられない。
 だが、それを認めてしまえば、暁愛から引き離されるような気がして、素直に頷くことが出来なかった。
「…あれほど似ているんだ。どんな誤魔化しも利かない」
 吉羅はキッパリ言い、香穂子を追い詰めるように見つめてきた。
 嘘は吐けない。
 あれほどまでに暁愛の姿が、血縁を肯定しているのだから。
 香穂子は深呼吸をすると、吉羅を見た。
「…あなたの子どもじゃないわ…」
「嘘を吐いても無駄だ」
 吉羅は香穂子を威嚇するように見つめてくる。
 それが嫌で堪らない。
「調べれば解ることだ。私はDNA鑑定も辞さないつもりだがね」
 吉羅ならば、高価なDNA検査も簡単にやってのけるだろう。
 だから香穂子はわざと言った。
「生物学上はあなたが父親ですが、暁愛は生まれてきた時から、親は私しかいませんから」
 香穂子の言葉に吉羅は苦痛そうに顔を歪めた。


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