*追憶*

15


「夕食が出来ました。最高の食材だけれど…、腕が伴っていなくてごめんなさい…」
 香穂子が声を掛けると、吉羅と息子がダイニングテーブルにやってきた。
 ふたりが並んでいると、本当によく似ていると思う。
 こんなにも似ているふたりは他にいない。
 香穂子の愛するふたりだ。
 吉羅は息子を椅子に座らせてくれた後、自分も腰を掛ける。
 ふたりの前に食事を置いた後、香穂子はようやく椅子に掛けた。
 三人揃っていただきますをした後、食事を始める。
 こうしていると完璧な家族のように思える。
 この幸せが手に入れば良いのにと思いながら、香穂子はふたりの様子を見た。
「あきちゃん、ご飯を食べようか?」
「ご飯!ママのごあんだいしゅきっ!」
 息子には子ども向けの味付けをしたものを食べさせる。野菜も型抜きをしておいた。
「ニンジンさんもしっかりと食べないとダメだよ」
「ニンジンさん…ちらい…」
「良い子はね、ニンジンをちゃんと食べるんだよ。そうしたらあきちゃん、大きくなれるよ」
「…ニンジンは食べるんだ。しっかりと食べたら、私のように大きくなれるよ。君ならね」
 吉羅の言葉に、香穂子は心臓が停まるのではないかと思う。
 吉羅の血をこんなにも色濃く受け継いでいるのだから、恐らく長身になるだろう。
「おじちゃみたく大きくなう」
「そうだね。君なら大きくなれるよ」
「うん! ママ! ニンジン食べう」
 香穂子は複雑な気分で笑いながら、息子にニンジンを食べさせてやった。
「美味しい?」
「美味ちいっ!」
「良かった」
 ニンジンを嬉しそうに食べる息子に微笑みながら、香穂子は自分の食事を合間にする。
 吉羅はゆっくりと黙って食べていたが、そのまなざしは優しいものだった。
 かつて香穂子には向けてくれたことがない種類の笑みだった。
 やはり、血を分けた子どもは、誰よりも愛しいのだろう。たとえ母親が誰であろうとも。
 香穂子は愛しそうに見つめる吉羅を、好ましくも切なくも思っていた。
「今度、三人で水族館にでも行こうかと、彼と話していたんだよ」
 吉羅と暁愛はすっかり打ち解けたようで、顔を見合わせて微笑みあっている。
 ふたりは、香穂子が想像しているよりも早く打ち解けている。それは拙い。
 暁愛が吉羅を慕うことは余りにも危険だ。
 吉羅が突然いなくなってしまったら、恐らくはショックで息子はかなり傷付くだろう。
 それとも、それを利用して暁愛を取り上げられてしまったら?
 それだけは嫌だ。
 暁愛がいなければ生きてはいけないだろうから。
 香穂子が複雑に考えていると、ふと吉羅が見つめてきた。
「…香穂子、どうかね? この週末は私も休みだからね。みんなで水族館に行こうか」
「ママ! しゅいぞっかんに行くーっ!」
 暁愛は、すっかりその気になってしまっている。
 ここで駄目だと言えば、息子はかなりショックを受けるだろう。
 それをきっかけに、吉羅と更なる絆を深めるかもしれない。
 それならば、認めるしかないと思う。
 香穂子は袋小路に追い詰められた気分になりながら、目を閉じた。
 苦々しい想いが胸を過ぎった。
「…解りました。暁愛も楽しみにしていますから…、行きましょう…。水族館へ」
 香穂子が頷くと、吉羅は何処かホッとしたように微笑んでくれた。
「しゅいぞっかんー!」
 暁愛は本当に嬉しそうに叫ぶと、香穂子に抱き付いてきた。
 水族館なんて連れて行きたくても、入場券の高さ故に行けなかった。
 子どもが無料で見られる施設で、しかも香穂子の入場券が高くないところしか行けなかった。
「初めて水族館に行くから、とっても嬉しいようですよ」
「…そうか。それは良かった」
 吉羅は、無邪気に笑う息子に目を細めていた。

 夕食の後は、甘い甘いプリンをデザートに出す。
 暁愛が大好きなものだ。
「ママのプリンだいしゅきっ」
「有り難う」
 プリンに生クリームとフルーツを乗せたシンプルなものだ。
 吉羅が甘いものは余り食べないことは知ってはいたが、ここは一緒のものを出すことにした。
 プリンを息子に食べさせながら、香穂子は吉羅をちらりと見た。
「…君はこうやって息子を育てて来たんだね」
 しみじみと言われて、香穂子はドキリとする。
「…そうです。余り贅沢はさせては上げられなかったですから、せめておやつぐらいは美味しいものをと、手作りしていました」
「この子は幸せだね。こんなに素直に育った理由が解るような気がするよ」
 吉羅は何処か羨ましそうに言うと、暁愛の頭を柔らかく撫でた。
 本当の親子だから、絵になる。
 完璧なふたりだ。
 少なくとも香穂子にとってふたりは完璧な組み合わせのような気がした。
 お腹がいっぱいになったのか、暁愛は眠ってしまった。
 香穂子がソファベッドに息子を寝かすのを見つめた後、吉羅はそっとその横に立った。
 こんなにも素直な子供に育ててくれた香穂子には感謝以外の言葉は出て来なかった。
「…有り難う…」
「え…?」
「彼を…。暁愛を産んでいてくれて…。こんなにも素直に育ててくれて…。私は…、本当に感謝しているよ」
「…吉羅さん…」
 香穂子は何処か困惑するように吉羅を見つめると、切ない光を宿した瞳で見つめてきた。
 取られるとでも思っているのだろう。
 そんなことはあり得ないというのに。
 香穂子から息子を取り上げることなんて出来ない。
 それよりも、香穂子ごと欲しいと思う。
 三人で家族になれば、これほどまでに幸せなことはないだろう。
 だからこそ、香穂子にはきちんと解って貰わなければならない。
 吉羅がふたりごと欲しいということを。
「…香穂子、結婚しないか…? 暁愛も認知をする」
 香穂子は青天の霹靂とばかりに目を見開いた後、静かに吉羅を見た。
「…子供がいるからといって、無理に結婚することはありませんし…。私と暁愛はずっとふたりで来ました。だからこれからもふたりで生きていきます」
 ふたりで生きてきた。
 これほど重い言葉は他にないと吉羅は思う。そして吉羅にとっては辛い言葉でもある。
「…これからは三人で生きて行かないか? 君たちと生きていきたいんだよ」
「…吉羅さん」
 香穂子は唇を噛み締める。
「…私たちは…、ずっとふたりで苦楽をともにしてきました。だから今更…」
 香穂子が苦々しく言うと、吉羅は厳しいまなざしになる。
 解ってはいる。
 香穂子がかたくなになるのは。あの別離は、吉羅側に非があったのだから。
 香穂子の言葉の重さを受け取るものの、かなり切ない気分だった。
 だがここは辛抱強く香穂子を説得してゆくつもりだ。
「…私たちが結婚すれば、経済的にも、精神的にも、暁愛の安定をはかることが出来ると思うが、違うかね?」
「…吉羅さん…」
 香穂子は、それが一理あると認めているのだろう、俯いてしまっている。
 香穂子の気持ちを必ずこちらに向かせてみせる。たとえどのようなことをしてでもだ。
 吉羅は香穂子と対峙するように見つめる。
「香穂子。私は君達ふたりを必ず手に入れてみせる。ふたり揃ってだ。ふたりがきちんと揃わなければー私には意味のないことなんだからね」
「…暁彦さん…」
 香穂子は苦しさと切なさを滲ませた瞳を吉羅に向けて来る。
 吉羅は、香穂子の瞳に、かつてと同じように甘くて愛に満ちた光で満たしたかった。
 ふたりが深く愛し合っていた、あの柔らかな時間と同じように。


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