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吉羅は、香穂子に言われた通りに、息子の躰を洗い、髪も綺麗にしてやる。 子どもの世話というのは、意外にも大変だということを思い知らされる。 香穂子は今までこれをひとりでやってきたのかと思うと、敬服せずにはいられなかった。 躰を洗い終えた後、息子は楽しそうに浴槽に船を浮かべて遊んでいる。 「ちらしゃん、カッコいいでしょ、お船」 「素敵な船だね」 「…うん! ものすごく素敵な船っ…!」 暁愛は自慢げに言うと、一生懸命船を見つめていた。 「ちらしゃん…、これからもじゅっと一緒?」 暁愛は、吉羅を求めるような純粋な瞳で見つめてきた。 「ずっと一緒だ。ママが良いって言ったらね」 「…うん。ママにお願いしゅる」 生真面目な顔をして言う息子が、吉羅は可愛くてしょうがなかった。 この親子3人で暮らしていけたら、これ以上に良いことはないだろう。 吉羅はかけがえのない命をくれた香穂子に、感謝と愛情を抱いていた。 ふたりを二度と離さない。 離れろと言われても、決して離れることは出来ない。 吉羅はふたりがかけがえのない者であることをつくづく感じながら、暁愛との親子のひと時を大切にしていた。 入浴が済み、吉羅は素早くバスローブを羽織り、息子の世話をする。 髪を綺麗に拭いてやったり、躰を丁寧に拭いてやる。 嬉しいのか、そのまま駆け出しそうな息子に目を細めながら、吉羅はかいがいしく世話をした。 バスルームから出て来ると、香穂子が待ってくれている。 「香穂子、君も風呂に入りたまえ」 「有り難うございます」 「ママと今からもう一回入る!」 暁愛は今度は母親が良いとばかりに、大きな声を上げた。 「あきちゃん、明日、一緒に入ろうよ。今夜は吉羅さんと一緒に入ったでしょう?」 「…だけど、ママと入りたい…」 きっともう少しだけ入浴したいのだろう。それは香穂子にも解る。 「遊びたいのかな? だったら髪を乾かしたら遊ぼうか?」 吉羅が視線を暁愛に向けると、緩やかな優しい笑みを浮かべた。 「じゃあ、ちらしゃんと遊ぶ」 「解った。リビングに行こうか」 吉羅が抱き上げると、暁愛は満足とばかりににをまりと笑っていた。 「ありあと」 「吉羅さん…、冷蔵庫の中に、あきちゃんが好きなリンゴジュースが入っていますから、あげて下さいね」 「解った」 香穂子は他人行儀に頭を下げると、バスルームへと入っていった。 「さあ暁愛、リンゴジュースでも飲もうか」 「あい。ありあと」 ふたりでキッチンに行くと、ジュースを片手に遊ぶ。 とても楽しかった。 香穂子はゆっくりとお風呂に入る。 こんなにもゆっくり出来るのは久し振りだ。 いつも暁愛の世話に追われていたのだから、当然と言えば当然なのだが。 ゆっくりと入浴を楽しみ、浴室から出ると、暁愛と吉羅がリビングに座り込んでいた。 「あきちゃん、そろそろおやすみなさいの時間だよ。吉羅さんにおやすみなさいを言いなさい」 「ママ、おっぱい…」 暁愛は眠そうに香穂子にすがりついて来る。 「じゃあお部屋に戻っておっぱいを飲もうか」 「ここが良いー」 今はかなり眠いからか、暁愛はわがままを言ってくる。 子どもらしいわがままだ。 香穂子は思わず微笑む。 「ママ…ヤダ…早くおっぱい…」 「わがまま言わないの。あげるから、部屋に行こう?」 「…ちらしゃんも一緒じゃなきゃ寝ない…」 暁愛は久々にわがままを言う。 滅多とわがままを言うことがない子どもだから、香穂子は困るというよりは、驚いてしまった。 「…あきちゃん…」 困ったように香穂子が言うと、吉羅はクールで何処か鋭い表情をする。 「私は後ろを向いているから、授乳をしてあげなさい」 「ちらしゃんが側にいないとダメ」 暁愛と吉羅の絆は、一気に深まっている。 もう、どんなことをしてもふたりのこころは離れないのではないかと思う。 流石は親子だ。 暁愛は吉羅の手を離さないとばかりにしっかりと握り締めているのに、香穂子に授乳をねだっている。 ずっと甘えたかったのを我慢していたからだろう。 それが香穂子には痛いほどによく解った。 「私の手を離せないかな?」 「…いやっ!」 「…困ったね…」 吉羅は困惑しているような表情を浮かべながら息子を見ている。 恐らくは見たくもないものを見せられるのが嫌なのだろう。 香穂子が溜め息を吐くと、暁愛を引き寄せる。 「あきちゃん、吉羅さんを困らせてはいけないよ」 「…困る…?」 暁愛が小首を傾げて吉羅に問うと、困ったような複雑な笑みを浮かべた。 「私は困らないよ。本当に困るのはママじゃないかな?」 「…ママ、困る…?」 息子に愛らしく言われてもしまうと、香穂子はかなり弱かった。 「…解ったよ…。じゃあねおっぱいあげるから…」 香穂子は観念すると、横にいる吉羅を見た。 「…少しの間だけ、目を瞑っていて頂けませんか?」 「解った」 吉羅が目を瞑っている間、香穂子は息子を抱いて授乳を始める。 安心したようにおっぱいを吸い始めた。 「…吉羅さん…、目を開けて構いません…」 「ああ」 吉羅はゆっくりと目を開けると、一瞬、眩しそうに目をすがめた。 本当に美しいと思った。 こんなにも美しくて清らかな風景は、他にないのではないかと吉羅は思う。 純粋に綺麗だと思った。 もっと見つめていたい。 ふたりを側に置いて、じっと見つめていられれば良いのにと、思わずにはいられない。 ふたりごと抱き締めたくなり、吉羅はふたりを包みこむように柔らかく抱き寄せた。 「…あっ…」 香穂子の唇から甘い声が滲む。 吉羅の奥深くに閉じ込めていた激情が、蘇る。 香穂子と別れてからずっと閉じ込めていた感情だった。 神聖で決して冒してはならない存在であると同時に、吉羅を誰よりも引きつける存在だ。 香穂子は、戸惑っていたようだが、直ぐにこころを吉羅に預けてくれた。 それが嬉しい。 吉羅は、ずっとこうしていられたらどれほど良いかと、思わずにはいられなかった。 吉羅の男らしい腕に抱かれている。 母子ごと包み込むように。 こんなにも優しく静かに愛情溢れて抱き締められるなんて、思ってもみないことだった。 香穂子は、最初こそは緊張をしたものの、直ぐに胸を熱くするような温かな愛情に、総てを託した。 大いなる愛。 まさにこの言葉がぴったりだろう。 香穂子は、柔らかな光に包み込まれるような幸福を感じながら、吉羅にこころを預けた。 吉羅と再会をして初めての感情なのかもしれない。 香穂子は泣きたくなるぐらいの幸せに包まれて、息子の髪を柔らかく撫でた。 暫くは柔らかな幸せだった。 だが、吉羅の熱い想いを感じ始める。 大きな愛と熱情が同時に香穂子のこころに降りてきた。 熱くて、そしてかけがえのない感情が、こころを満たしてくる。 ふたつの想いは、相反するもので同居することが出来ない筈なのに、何故だか上手く作用している。 以前に感じた熱い恋情よりも、更に深くて大きいそして燃え盛るような暑さを持った感情。 ひとを愛する感情がステップアップするような感覚だった。 吉羅と抱き合いたい。 ふたりだけの時間を持ちたい。 決して流されてはならない種類の感情に、香穂子は飲み込まれそうになった。 もう傷つきたくはない。 なのに恋は、愛は、香穂子にそれ以上のものを求めていた。 |