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もう吉羅とは離れられない。 抱き締められながら、香穂子はつくづくそれを感じていた。 何も言わなくても、こうして抱き合っているだけで、今は幸せでしょうがない。 こんなにも幸福な瞬間は、暁愛を出産した時以来感じていないことだった。 「…次の子どもが欲しいね。暁愛にも兄弟が必要だ」 「…そうですね…」 今は素直に吉羅の子どもが欲しいと言える。 「一人っ子よりは、沢山の兄弟がいるほうが良いからね。賑やかなのは嫌いじゃないから」 「私も賑やかなのは大好きです」 ふたりで顔を見合わせると、ふと微笑んでしまう。 こんなにも温かくて幸せな瞬間は他にないのではないかと思った。 「…朝までこうして君を抱き締めていたいが、構わないかね?」 「あきちゃんが目覚める直前に戻らなければ泣くかもしれません」 香穂子もそうしたいのは山々なのだが、暁愛のことを考えると難しい。 「暁愛には、部屋でひとりで眠ることに馴れて貰わなければね」 吉羅もしょうがないとばかりに苦笑いを浮かべている。 「そうですね…。まだ小さいから、ひとりは大変でしょうけれど。…だけど、私も明け方までは一緒にいたいです…」 「じゃあこうしていよう…。これからもずっとこうして一緒にいよう」 「…はい」 吉羅の腕に抱き寄せられて、香穂子は夢見るようなひとときを過ごす。 幸せな疲労に、香穂子はいつの間にか眠りに落ちていた。 余りにも安心していたからか、香穂子はぐっすりと眠ってしまっていた。 子どもが泣く声にハッとして目を覚ました。 時間は朝の6時。 休みだから慌てることはないが、息子の探す声に、香穂子は素早く衣服を着て部屋から出た。 「あきちゃんっ!」 香穂子が名前を呼ぶと、暁愛は泣きやみこちらに振り返る。 「ママ!」 香穂子の姿を見てホッとしたのか、暁愛はその胸に飛び込んで来た。 「ママ、ママっ!」 「ごめんね、あきちゃん…」 香穂子は息子をギュッと抱き締めると、宥めるように背中を撫でた。 「ママ、おっぱい…」 「うん」 香穂子は暁愛を抱き寄せると、授乳を始めた。 まだまだ小さいのに、聞き分けよく我慢してくれていたから、その反動が出ているのだろう。 香穂子より少し遅れて、吉羅もやって来た。 「落ち着いたかね?」 「少しだけ…。おっぱいはあきちゃんの精神安定剤みたいなものですから、恐らくは落ち着くと思います」 「有り難う」 吉羅はふたりごと引き寄せるようにそっと肩を抱いてくれた。 こうしていると本当の意味で家族なのだろうと思う。 愛情でしっかりと結ばれているのが解った。 「ちらしゃん…」 暁愛は吉羅の存在に気付いたのか、ゆっくりとおっぱいを外して微笑む。 「みんなでいっちょに」 「一緒に寝ようか。三人で」 「あい…」 うとうととし始めた暁愛に、慈しみ溢れるまなざしを向けると、吉羅は香穂子に手を差し延べた。 「私が抱こう。私たちももう少し眠ったほうが良いだろうからね」 「そうですね」 含みのあるまなざしを向けられて、香穂子ははにかみながら頷いた。 吉羅は息子を抱き上げると、香穂子たちがいつも使っている寝室へと向かう。 ここはダブルベッドだから三人で十分に眠ることが出来る。 「流石にあちらは拙いと思ってね。私たちが愛し合った痕跡が残っているからね」 「…そうですね」 香穂子もか苦笑いを浮かべた。 暁愛をベッドの中央に寝かせて、ふたりは川の字になる。 息子を挟んで、ふたりは見つめあった。 「本当にこの子は可愛いね。世界一の息子だと思っているよ。こうして甘えてくれるだけで、一生分の親孝行をして貰ったような気分になるよ」 「はい」 「香穂子…」 吉羅は優しく甘く響く声で名前を呼ぶと、香穂子を愛しげに見つめてくれる。 「この子を素直な子どもに育ててくれてどうも有り難う。君がきちんと教育をしてくれたから、あのように素晴らしい子どもに育ってくれたんだよ」 「嬉しいです…。そうおっしゃって貰って。だけど、本当にあきちゃんは育てやすい子です。生まれてからずっと親孝行なんですよ」 香穂子は息子の寝顔に目を細めながら呟くと、吉羅も頷いた。 「これからは、君を抱いた後で、三人で川の字になるのが良いようだね」 「そうですね」 香穂子は頷くと、吉羅にくすりと微笑んだ。 「親子水入らずで、ゆっくりとあと暫くは眠ろうか」 「そうですね」 香穂子が頷くと、吉羅は眩しそうに頷き返してくれた。 それが香穂子には嬉しくてしょうがなかった。 三人でうつらうつらと気持ち良い空間を漂いながら、香穂子は目を醒めた。 再び眠り始めてから二時間ほど経過したことを、ベッドサイドの時計が知らせてくれる。 そろそろ起きてゆっくりと朝食の準備をしてやりたい。 大切なふたりには美味しい食事を食べて貰いたいからだ。 香穂子が身仕度を始めると、吉羅が僅かに躰を起こした。 「まだゆっくりとしていても良いんじゃないかね?」 「食事を作ろうかと思っているんですよ。出来たら起こしますから、後少しだけ眠っていて下さいね」 「だったら暁愛とふたりでゆっくりと眠っていることにしよう」 「はい」 香穂子がにっこりと微笑むと、吉羅に引き寄せられて唇に甘いキスを受ける。 こんなにも愛しい行為は他にないのではないかと思った。 「頼んだよ。支度が終わったら、呼びに来て欲しい」 「解りました」 香穂子は吉羅に愛情を込めて微笑むと、ダイニングへと向かった。 朝食を作り終えてふたりを呼びに行くと、仲良く眠っているのが見えた。 とても愛らしくて、香穂子は思わずくすりと笑った。 ふたりは本当によく似た親子だ。 じっと見つめているのが幸せに思える。 飽きずに見ていると、吉羅が香穂子の視線に気付いたようだった。 「どうしたのかね?」 柔らかな笑顔に、香穂子は眩しい笑みを向ける。 「暁彦さんとあきちゃんは、やっぱり親子だと思っていたんです。本当によく似ています」 「私にはそれはとても嬉しい言葉だね。母親である君にそう言ってもらえるのは。とても嬉しく思うよ」 「私も嬉しいです。ふたりが本当に似ていることが確認出来て」 幸福が表情に宿るように、香穂子はにっこりと微笑む。 吉羅は香穂子の手をそっと取ると、自分へと引き寄せてきた。 羽根のようなキスをされて、香穂子幸せがこころを覆い尽くしていくのを感じた。 はにかんでいると、吉羅が嬉しそうに微笑んでくる。からかい半分、甘さが半分といった形だ。 「…暁彦さん…朝ご飯が出来ました」 「有り難う。暁愛と一緒に食べようかな」 暁愛の睫毛が揺れて、起きる気配が感じられる。 「…ママ…?」 「あきちゃん、起きたのかな?」 眠そうに目を開ける息子に、香穂子はにっこりと笑いかける。 「ママ、ごはん…」 「ごはんが出来ているよ。顔を洗って服に着替えたら、食べようか」 「…うん…」 香穂子は息子を抱き上げてベッドから下ろすと、洗面所へと連れていった。 先ずは顔を蒸しタオルで拭いてやり、髪をとかして綺麗にしてやる。 歯磨きだけはご飯の後だ。 息子をダイニングに連れていった後で、食事を始める。 本物の家族が揃った朝食。 なんて素敵な響きなのかと思う。 吉羅と暁愛を見ているだけで、幸せな気分になる。 この幸せがいつまでも続きますように。 当たり前のことなのだと思わないように。 香穂子はこころから思った。 |