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下腹部に気怠い痛みを感じる。 それは決して不快なものではなくて、幸せな痛みだ。 大好きなひとが刻んでくれた愛しい痕なのだから当然だ。 目をゆっくりと開けると、吉羅が背中ごと抱き締めてくれていた。 抱擁が心地好くて、躰の前に回された吉羅の腕を、心地好く撫でていく。 「…有り難う…。香穂子、君は素晴らしかったよ…」 吉羅はこころからの愛情が満ちた声で囁くと、香穂子を離さないとばかりに強く抱き締めてくる。 「君は…本当に私の為に作られたのではないかねと思うほどに美しいね…。普段は清純そうな笑顔なのに、こうして私の腕のなかにいる時は、娼婦のように妖艶だ…」 吉羅は香穂子の躰を腕のなかで回転させて、額にキスをくれる。 「…君は私のものだ…」 吉羅は香穂子の頬を撫でながら、顔の周りにキスをくれる。 幸せな甘い行為に、目眩を覚えそうだ。 ベッドからは、眠らない街の夜景がとても美しく見える。 愛するひとの腕のなかで、夜景を見るのが、ずっと香穂子の夢だった。 それが叶ってこんなにも幸せなことはないと思う。 「夜景…綺麗ですね」 「そうだね。だが、私は君のほうがずっと綺麗だと思うがね…」 「…吉羅さん…」 はにかんだ素直な瞳で吉羅を見つめると、再び組み敷かれてしまう。 「…君が欲しい」 吉羅に熱っぽく囁かれると、抵抗することなんて出来ない。 抵抗せずに素直なままで吉羅を受け入れる。 こうして熱い想いを共有出来れば、今はもう何もいらなかった。 吉羅と何度愛し合ったか解らないぐらいに愛を交わした後で、香穂子は心地好い眠りを手にした。 吉羅とこうして抱き合って眠れるのは、なんて幸せなのだろうか。 今夜は最高な気持ちで眠りにつくことが出来る。 それが嬉しかった。 今は何の愁いも苦しみも存在しない。 明日に何が待っていても、乗り越えてゆける気分になる。 それほどに透明で澄み渡った幸せが、香穂子のこころを満たしていた。 朝日が心地好くて、ゆっくりと目が覚めた。 広いベッドにただひとり。 不安になった瞬間、吉羅が姿を現した。 「香穂子」 「吉羅さん…おはようございます」 「おはよう」 香穂子が起き上がろうとすると、吉羅が背中に手を乗せる形で起こしてくれる。 それがとても嬉しい。 「香穂子、朝食が出来ている。シャワーを浴びた後で食べに来ると良い」 「有り難うございます」 香穂子が微笑むと、吉羅は軽く唇に触れるようなキスをくれる。 「私のバスローブだから大きいとは思うが、使いたまえ」 「有り難うございます…」 吉羅に手渡されたバスローブはふんわりと花の香りがして、気持ちが良かった。 香穂子はシーツのなかでもこもことしながら、バスローブを着て、ベッドを出る。 昨日、吉羅に脱がされてしまったランジェリーは綺麗に畳まれ、ワンピースは、ハンガーに吊されていた。 恥ずかしくてつい俯いてしまう。 昨日は、服のことなんて気にする暇なんてなかったからしょうがないのだが。 香穂子はランジェリーとワンピースを抱えて慌ててバスルームに向かい、手早くシャワーを浴びようとして、息を呑む。 情熱的な夜の証が、白い肌に沢山の赤い痕を刻み付けられていた。 恥ずかしくて自分の躰を正視することが出来なくて、香穂子は手早くシャワーを浴びる。 化粧をするにも道具はない。お洒落だって昨日と同じだから出来ない。 結局は昨日と同じスタイルに、すっぴんのままでマンゴーのリップバームを塗っただけだった。 ダイニングに行くと、吉羅がタイミングよく、朝食を準備してくれている。 「有り難うございます」 吉羅は香穂子を抱き寄せると、直ぐに深い角度で唇を奪ってきた。 朝から熱いキスをされて、香穂子はとろりと溶けてしまいそうになる。 一度吉羅に抱かれてしまった躰は、反応しやすくなっていた。 「香穂子、茶粥だが食べなさい」 「はい」 キスなどしなかったかのように言うと、吉羅は食事を始める。 香穂子もその後に、ゆっくりと食事をするしかなかった。 食事の後、流石に片付けは買って出た。 そこまでやって貰うわけにはいかないから。 「君はヴァイオリニストだろう? 指先は大切な筈だろう。違うかね?」 「それはそうなんですけれど…。だけど、私の指先は荒れないですから、ここは私がやります」 「解った。気をつけたまえ」 「はい。有り難うございます」 香穂子は、ほんの少しだけでも、吉羅の手伝いをしたかった。 手早く片付けを済ませると、吉羅から贈られた指環をさり気なくはめる。 偽物の婚約指環ではあるが、それでもはめているだけで、とても心地好く感じられるのは事実だから。 「香穂子、出かけないかね? ショッピングモールにでも」 「はい。嬉しいです」 「君の物を色々と買いたいからね」 「…私のものですか…? あ、あの私のものなんて必要ないとは思いますが…」 「必要だと私が判断したから買いに行くんだ。行くぞ」 吉羅は半ば強引に香穂子の手を握り締めると、自宅から駐車場へと向かう。 車に乗せられると、直ぐに出発をする。 「横浜方面に向かうが、またここには戻ってくるからそのつもりで。君を家に送るのはそれからだ」 吉羅はキッパリと言い切ると、ハンドルを握り締めて横浜方面へと車を走らせた。 車は横浜の有名ショッピングモールの駐車場で停まる。 「ランジェリーショップと、婦人服、靴の店に回る。気に入ったものを買うんだ」 「服なんて必要はないです」 吉羅の言葉に、香穂子は困惑するばかりだ。 「…君にはこれから必要になるはずだ。遠慮はしなくても良いから」 「暁彦さん…」 吉羅は香穂子の手をしっかりと握り締めると、そのまま手を引いてショッピングモールを歩き始めた。 結局は、サマーワンピースと上着を3着、ミュール、ハイヒールを一足ずつ、ランジェリーを5セット、スキンケアセットとファンデーションや最低限のコスメアイテムを買った。 半ば強制的であったため、買うしかないところがあった。 「何だか生活出来そうなぐらいに沢山のものですね。もったいないですよ」 香穂子は、荷物を見て溜め息を吐いてしまう。 「必要なものだからだ。少し待っていてくれ」 「はい」 何かを買い忘れたのか、吉羅が店に入っていく。 こうしてプレゼントしてくれるのは、とても嬉しいが、まさか昨日の罪悪感からではないだろうかと思ってしまう。 それならばこんなにも切ないことはない。 「…あれ? 日野さん?」 声を掛けられて顔を上げると、昨日顔を合わせたピアニストの土浦が立っていた。 「土浦さん」 「…買い物?」 「はい、そうです」 そこまで言ったところで、不穏な影を感じる。 「待たせたね、香穂子」 強引に腰を抱かれてしまい、香穂子は鼓動を速めながら、見上げる。 予想通りに吉羅がいる。 「悪いが彼女は私と一緒だからね。婚約者として、これからの予定に付いてしっかりと話し合う予定だからね」 吉羅は土浦を牽制するように言うと、香穂子を引き寄せる。 「日野…さん、婚約しているのか…」 「ああ。私が彼女の婚約者だ」 吉羅はキッパリと言い切ると、香穂子の腰を抱いて強引に歩いていく。 「土浦さん、またっ!」 香穂子が挨拶をする暇を与えずに、吉羅はどんどん早足で歩いていく。 「よ、良かったんでしょうか!?言い切ってしまって…」 香穂子の戸惑いを受け止めるかのように、吉羅は素早くキスをする。 「構わない。これで君に変な虫は付かない筈だ」 吉羅の言葉は刺々しいのに、香穂子は何処か嬉しかった。 |