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返事を知るのが怖い。 「それは出来ない」なんて言われたら、その場に崩れ落ちてしまうだろう。 香穂子が鼓動を早めながら吉羅の反応を待っていると、握り締める手に力を込めてきた。 「…良いのかね…?」 「…はい…。今夜だけは…私の吉羅さんになって下さい」 声も躰も震えてしまう。 だが、吉羅に愛を伝えるチャンスはもう今夜しかないのだ。 「…解った…」 吉羅は立ち上がると、香穂子に立つように促す。 「…行こうか…。今夜の君は私の女だ」 「…はい」 吉羅もまた香穂子の男なのだ。 吉羅は素早く会計を済ませると、店を出て、直ぐさま携帯電話を取り出した。 「吉羅です。急で申し訳ないんだが、今夜、スイート一室、用意出来ませんか?」 吉羅の会話を聴きながら、心臓が激しく揺れるのを感じる。 「はい。空いていますか。では、直ぐにそちらに参りますから、一室空けておいて下さい。お願いします」 吉羅は携帯電話を切ると、香穂子を引き寄せる。 「部屋が空いているそうだ。行こうか。何か軽食をルームサービスで頼むと良い」 「…はい…」 香穂子は甘い緊張の余り、耳まで真っ赤にさせながらそっと頷いた。 吉羅は、香穂子を本当にこころから愛する者であるかのように扱ってくれる。 ずっとこうしてエスコートして貰うことを夢見ていた。 それが今、叶ったのだ。 吉羅が連れていってくれたホテルは、横浜でも有数の高級ホテル。 フロントで名前を告げると、支配人自ら案内してくれた。 こんなにも高級なホテルで、しかもスィートルームなんて泊まったことがなくて、香穂子は緊張してしまう。 支配人の目があるにも関わらず、吉羅は香穂子の手を握り締めたまま離れなかった。 「ではごゆっくりおやすみ下さい。ルームサービスをすぐお持ち致しますので」 「お願いします」 支配人が深々と礼をして立ち去った後で、吉羅は香穂子を優しい瞳で見つめてくる。 「後戻りは出来ないよ。構わないんだね?」 「…はい」 吉羅に頬を撫でられるだけで、全身が疼くのを感じる。 甘い感覚に、香穂子は背筋を震わせた。 直ぐにルームサービスの軽食が運ばれ、テーブルに並べられる。 だが食欲は余り湧かなかった。 それよりも緊張と吉羅への欲望が強い。 ホテルスタッフが姿を消した途端に、吉羅は香穂子を抱き寄せてきた。 「…香穂子…」 初めて名前を呼ばれて、胸がキュンと切ないぐらいに痛くなる。 吉羅の親指が香穂子の唇を官能的になぞった。 背中がゾクリとするほどに感じる。 思わず熱い吐息を唇から零すと、吉羅は顔を近付けてきた。 ずっと夢見てきた吉羅とのキスに、夢見心地のままで目を閉じた。 唇が重なる。 しっとりと唇を吸い上げられて、初めて感じる快楽に、躰が震えてしまった。 舌が口腔内へと入り込んだかと思うと、はい回って愛撫してくる。 くすぐられるだけで、立ってはいられなくなる程に感じていた。 吉羅のキスが深くなる。 香穂子の総てを奪い去ってしまうほどに荒々しくなり、激しく求めてくる。 こんなにも欲してくれて、香穂子は嬉しくてしょうがなかった。 こんなにも激しく求められて、女冥利に尽きるとすら思う。 唇が腫れ上がる程に吸い上げられ、口角を噛まれる。 刺激と快楽が交互にやってきて、香穂子を支配した。 ようやく唇を離されて、吉羅の胸に抱き寄せられても、香穂子はまだぼんやりとしていた。 快楽と刺激の余韻に酔っ払ってしまう。 「…香穂子…」 吉羅は官能的な掠れた声で香穂子の名前を呼ぶと、髪を何度も撫で付けてくる。 「…キスは、初めてなのか…?」 ぎこちないキスに、流石に吉羅も解ったのだろう。香穂子はコクリと小さく頷いた。 吉羅はそれを聴くなり、抱き締める腕に力を込める。 「…成人して…キスもまだなんて…笑ってしまうでしょう?」 「いいや…。私はとても嬉しく思っているよ」 吉羅は香穂子を愛しげに触れると、頬や鼻の頭に甘くて軽いキスをする。 「…君が欲しいんだ…。誰よりも欲しいんだ…」 吉羅は熱情的な声で囁くと、香穂子の耳朶を甘く噛んだ。 「…あっ…」 このまま吉羅の腕のなかで腰を抜かしてしまいそうになるぐらいに甘くて、香穂子は吉羅の首に腕を回した。 そのまま軽々と抱き上げられて、香穂子は少しだけ焦りを感じる。 「あ、あのっ!」 「何かね?」 「シャワーを浴びたいんです…」 どうしてもシャワーを浴びたかった。 今日は練習とリハーサルで相当汗をかいてしまったせいで、恥ずかしくてしょうがなかった。 「…しょうがないね…。進路を変更してバスルームに行こうか…」 「…お願いします…」 最初で最後の愛の交わりだからこそ、綺麗な状態で磨き掛けておきたかった。 「君が出たら、私もシャワーを浴びるとしよう」 「…はい…。有り難うございます」 吉羅は香穂子を抱き上げたままで進路を変更すると、バスルームへと向かう。 恥ずかしくて吉羅の顔をまともに見ることが出来なかった。 「さてとゆっくりお風呂に入ると良い」 「…有り難うございます」 香穂子が礼を言うと、吉羅は薄く笑った。 パウダールームで下ろされると、吉羅は静かに出て行ってくれる。 香穂子はひとりになると敏感な肌が肌の内側を敏感に震わせているのが解る。 香穂子は緊張と同時に衣服を脱ぎ捨てると、浴室へと入ったいった。 躰と髪を念入りに洗う。 吉羅には最高の状態で触れて欲しかった。 滑らかな肌に磨きあげた。 のぼせてしまうのではないかと自分でも思いながらも、なかなか浴槽から出ることが出来なくなっていた。 不意に浴室をノックされて、香穂子は躰を固くする。 「…のぼせていないかね?」 「大丈夫です…。余り長いと湯中りしてまいますから、早目に浴室から出ますね…」 「もう充分だと、私は思うがね」 吉羅は苦笑いを浮かべながら、香穂子に声を掛ける。 「もうすぐ出ますから…」 「ああ」 吉羅は頷くと、パウダールームから出てくれた。 香穂子は流石に限界だと思い、浴槽から出て、パウダールームへと移る。 幸せな緊張にふわふわとしながら、バスローブに身を纏った。 この肌に吉羅の香りが刻まれるかと思うと、緊張してしまう。 勇気を掻き集めてパウダールームを出ると、吉羅が美しく振り返った。 琥珀色に輝く照明に映し出された吉羅は、息を呑む程に美しい。 のぼせたようにぼんやりと見つめていると、吉羅がスッと瞳を細めたまま近付いてきた。 鼓動が激しく高まる。 吉羅は香穂子の前で立ち止まると、洗いざらしの髪に触れてくる。 「…待っていてくれ…」 いつものような何処か硬い口調ではなく、吉羅の口調には愛が溢れている。 「…はい」 頬を赤らめながら返事をすると、吉羅は香穂子の頬を柔らかく触れてくれた。 吉羅がバスルームに消えた後、香穂子はソファに小さくなって腰を下ろす。 目の前にある美味しそうなフルーツに手を伸ばすと、そっと口づけた。 甘酸っぱい香りがしてドキドキする。 香穂子は浅く呼吸をしながら、吉羅を待った。 世界で一番愛しいひと。 そのひとのものになれるのだ。たとえ一夜限りであったとしても。 喜びと切なさが交差して胸が痛い。 香穂子は喉を鳴らしながら、待ち続けた。 パウダールームのドアが開き、振り返る。 吉羅が香穂子を艶やかなまなざしで捕らえたまま、近付いて来る。 次の瞬間、軽々と抱き上げられていた。 |