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吉羅を誰よりも愛している。 気付いてしまえば、ごく簡単な感情でもあった。 土浦をあんなにも好きだと思っていたのに、その想いは友情の延長にあるなんて子供染みた想いだったのかと、香穂子は思わずにはいられない。 吉羅に抱く感情はとても熱くて、ないと死んでしまうのではないかと思う程だ。 こんなに熱情的な女の感情が、よもや自分のなかにハッキリと込み上げてくるなんて、香穂子には信じられないことだった。 吉羅への想いは愛。 土浦への想いは友愛。 その違いを初めて知り、香穂子はうろたえていた。 「日野君、少し落ち着こうか。君が好きなドライブをして、どこかで食事をしよう」 「…はい…」 涙をハンカチで拭って、香穂子は迷いない笑顔で吉羅を見つめた。 吉羅は、香穂子に寄り添うようにして、駐車場まで連れていってくれる。 そばにある吉羅の温もりが、幸せで幸せでしょうがなかった。 吉羅の車に乗り込んで、ドライブが始まる。 香穂子はいつもと同じように、吉羅のハンドルさばきをじっと眺めていた。 香穂子の恋心の舵は切られた。 以前女の想いはタンカー、男の想いは小型船だと聞いたことがある。 女はなかなか方向転換を思い切ることは出来ないが、一旦、思い切ってしまえば、もう後に戻ることはない潔さがあるのだと。 逆に男は直ぐに方向転換をすることが出来るが、また同じ方向に帰ることも出来る。要は舵を切っても、元に戻るのは容易だということだ。 その意味を、香穂子はようやく理解することが出来た。 香穂子の想いは、ようやく吉羅に向かって完全に舵を切られたのだ。 もう戻れない。 いくら吉羅との恋が前途多難であったとしても、もう方向は転換されたのだから。 「日野君、私は走りたい気分なんだが、第三京浜あたりを走っても構わないかね?」 「はい。私、吉羅さんの運転される姿が好きだから、何処を走っても楽しいです」 香穂子が素直に言うと、吉羅はフッと甘い笑みを浮かべた。 一瞬、ドキリとしてしまったが、それは、吉羅が香穂子を子供のように思っているからだと感じた。 温かい視線。だがそこには恋情はない。あるのは兄のような大きな友愛だけなのだ。 胸は苦しいが、土浦を好きでいた頃よりも、甘い感情だ。痛みが痛みで感じない幸せな痛みではある。 それは、少し大人の恋が出来るようになった証なのかもしれない。 「落ち着いてきたようだね」 「はい。理事長のお陰で落ち着きました」 「それは良かった」 吉羅は落ち着いた声で言うと、第三京浜を清々しく走り抜けていく。 「もう逃げるのは止めようと思います。自分の気持ちに素直になりたいって思います。素直になって、土浦君に素直な自分の気持ちを話そうと思っています」 「それは必要だね」 吉羅は静かなトーンで話をすると、少しばかり冷たい表情になった。 土浦と真正面でぶつかって素直な恋心を言い、より甘い関係になるというのだろうか。 吉羅は胃のなかが苦々しい気分になり、顔をしかめた。 一度泣かせた男は、きっとまた同じことをする。 香穂子に切ない顔をさせるのは、絶対に許さない。 吉羅はハンドルを持つ手に力を込めると、前を見つめた。 香穂子がこころから土浦を求めるならば、強引に求めることは出来ない。 だが、いつでもこの腕のなかにいられるように、空けておこう。 それが今表すことが出来る唯一の愛だろうから。 吉羅は、第三京浜を走り抜けながら、浅く呼吸をする。 どうか。香穂子がいつまでも笑顔で幸せでありますように。 第三京浜を走り抜けて、レストランに向かう頃、香穂子は随分と吹っ切れた気分になっていた。 とても清々しくて気持ちが良い。 傍らに吉羅がいてくれるだけで、こんなにも幸せだとは思わなかった。 「もうすぐレストランだ」 「はい。楽しみです。理事長のチョイスはいつも素敵だから」 「期待に添えると良いがね」 「期待以上ですよ。きっと」 吉羅の車が静かに停まる。 「降りずに待ちたまえ」 「はい」 吉羅は先にシートベルトを外すと外に出て、ドアを開けた。 「どうぞお嬢さん」 「有り難うございます」 香穂子は頭を下げて礼をすると、シートベルトを外して車から降り立った。 吉羅は香穂子に合わせて歩き始める。 「何だかとっても嬉しいです。有り難うございます」 「喜んでもらえたらそれで良いよ」 香穂子は笑顔を見せながら頷いた。 レストランの食事は信じられないぐらいに美味しくて、香穂子は笑みを零していた。 人間腹を括ってしまうと、今までの悩んだ日々は何だったのかとすら思ってしまう。 楽しいひとときは直ぐに終わり、レストランを出る頃には、切ない気分になってしまっていた。 また時計を巻き直して、同じ時間を繰り返し堪能したいとすら思う。 香穂子がしょんぼりとしていると、吉羅は怪訝そうにこちらを見つめてきた。 「どうしたのかね?」 「何でもありません…」 誤魔化すことしか出来なくて、香穂子はほんの少しだけ視線を逸らせた。 「さて、うちまで送ろう」 「はい。解りました」 香穂子は小さく溜め息を吐くと、車に乗り込む。 吉羅は運転席に腰を下ろすと、香穂子の自宅まで車を走らせてくれた。 翌日、腹を括らなければならない運命の瞬間がやってきた。 香穂子はいつもよりも気合いをこころに閉じ込めて、学院へと向かう。 友人としての付き合いしかもう出来ない。 だからこそお互いのためにも、別れを決意しなければならないのだ。 香穂子は覚悟を決めて、土浦のいる教室に逢いに行くことにした。 昨日のことがあるから、顔を見るのはかなり切ない。だが、ここは覚悟を決めなければならないのだ。 呼び出しをすると土浦は直ぐに出てきてくれた。少しばかりの気まずさを残して。 「梁太郎くん、今日のお昼少しだけ時間を貰っても構わないかな…?」 「…ああ。少しだけなら」 土浦もまた気まずいのか香穂子から目を逸らそうとしていた。 「解った…。余り時間は取れないけれど、それで構わないのであれば…」 「…うん。有り難う。少しで充分だから」 「解った」 土浦は承諾してくれると、直ぐに自分の席に戻っていってしまった。 この態度が総てを表しているのだろう。 香穂子は軽く溜め息を吐くと、教室へと戻っていった。 土浦との約束の時間。香穂子が胃が痛くて苦しくなる。 だが伝えなければならない。 どのようなことがあっても土浦には伝えなければならないのだ。 香穂子が待っていると、土浦がゆっくりと近付いてきた。 流石にこれは緊張してしまう。 「…土浦くん」 「待たせたな。話はなんだ? 出来たら手短に頼む」 「…あ、あの…」 香穂子がしどろもどろしていると、土浦は近付いてきた。 「話は何だ?」 土浦の声に浅い呼吸をした後で、香穂子は澄んだ瞳で土浦を見つめた。 「…土浦くん…あの…」 香穂子は心臓がひっくり返ってしまった。 「…土浦くん、このままじゃ駄目だと…、思うんだ…。ね、友人に戻った方が良いような気がするんだ…。私たち…。そのほうがが良い様気がする 「香穂…っ」 土浦は驚きの余りに息を呑んでいた。 「…それは別れるってことかよ…?」 土浦の声が、一瞬、嗄れる。 明らかにショックなようだった。 だが、香穂子の決意は変わらない。 「…もう苦しいんだよ。だから土浦くんを自由にしたいんだよ…」 香穂子の切なる言葉に、土浦は俯いていた。 |