*夏の夜の出来事*

4


 香穂子がぎこちなくもキスを受け入れてくれたのが、嬉しくてしょうがなかった。
 吉羅はシートに香穂子の華奢で柔らかな躰を押し付けて、夢中になってキスを貪る。
 いつもなら、香穂子以外の相手ならば、キスなんて冷静に対処することができるのに、今は欲望が勝ってコントロールが出来ない。
 吉羅は、香穂子の総てが欲しくて堪らなくて、激しいキスを何度も浴びせた。
 唇を離した後、香穂子の潤んで熱っぽい瞳が向けられる。
 そんな瞳で見つめられてしまったら、愛しさに歯止めがかからなくなる。
 このまま香穂子を奪い去りたい。
 自分だけのものにしたい。
 わがままな激情がこころを激しく満たすのを感じた。
 吉羅は香穂子を抱き寄せると、その背中をゆっくりと撫でる。
 香穂子の躰は蜜だ。
 引き締まるべき場所は引き締まり、豊かに柔らかであるべき場所は、想像以上に甘いラインを描いている。
 香穂子は吉羅の胸にそっと頬を寄せてくれている。
 まるで離れたくないとばかりに。
 その仕草が色っぽく、また初々しくもある。
 男が、いや、吉羅が求めているもの総てを、香穂子は持ち合わせている。
 それが吉羅にはたまらない。
「…日野君…、夜景が綺麗に見られるラウンジに行くかね?」
「…こうしてふたりきりでいたいと言うのは、わがままですか?」
 香穂子の言葉に、吉羅の決意は固まる。
「…ふたりだけで過ごせる場所に行こうか? 異存はないかね?」
「…はい、ありません」
 香穂子は考えることなく答えてくれる。
 あのような激しいキスを受け入れた時から、香穂子の決意は決っていたのだろう。
「…少し連絡を入れる。待っていてくれたまえ」
 吉羅は、みなとみらい地区にある行きつけの高級外資系ホテルに連絡を入れる。
 ジュニアスィートなら空いていることを確認し、直ぐに予約を入れた。
「行こうか」
「はい」
 はにかんではいるが華やいだ香穂子の柔らかい笑みを見ていると、こちらまでが幸せになる。
 吉羅は、フッと微笑むとハンドルを強く握り締めた。

 自分でも随分と大それたことをしたと思いながら、香穂子は吉羅の横に小さくなって座っていた。
 吉羅といつか肉体的も精神的にも結ばれたいと思っていた。
 それがとうとうロマンティックに叶うのだ。
 大好きで大好きで大好きでたまらないひと。
 何度“大好き”を重ねても、気持ちを表現することが出来ないぐらいに大好きなひとだ。
 香穂子は緊張しながらも、嬉しくてしょうがない。
 だが不安がないわけではない。
 吉羅が、夢中になってくれるのだろうか。
 抱かれることで、逆に嫌われはしないのかと、そんなことばかりを考えてしまう。
 それほどまでに吉羅を愛してしまっている。
 愛故の怯えだ。
 香穂子が固くなりながらも笑っていると、信号待ちで車を停めた時に、吉羅が手を握り締めてきた。
「香穂子、緊張しているのか?」
「…緊張…しています。だけど嬉しいですから。これは嬉しい緊張なんです」
 香穂子は、精一杯自分の言葉で気持ちを伝える。
 すると吉羅は、手を強く握り、その温もりで香穂子に自分の想いを伝えてくれた。
 車は、香穂子もよく知っている外資系ホテルの駐車場に吸い込まれていく。
 いよいよ、吉羅のものになるのだ。
 だが、一夜限りの真夏の恋にはしたくはなかった。
 ずっと吉羅のそばにいられるような、そんな関係を築きたかった。

 早々にチェックインを済ませて、特別フロアへと案内される。
 香穂子は、今までに経験したことのないフロアに、シンデレラのような気分を味わっていた。
 ジュニアスィートの中に入るなり、吉羅が抱き寄せてくる。
 車内よりも激しい抱擁に息が出来なくなる。
 だが、こんなにも幸せなことは他にないと思った。
「…香穂子…」
 吉羅の低い艶のある声で囁かれると、恋に素直になれる。
 本当に大好きであることを、素直に伝えることが出来た。
「理事長…大好きです…」
 香穂子が囁くと、吉羅はフッと何処か困ったような笑みを浮かべる。
 吉羅には子どものような感情を抱いていると思われたのだろうか。
そ れだと切ない。
こ のような恋心は、吉羅にとっては迷惑な話なのだろうか。
 一瞬で様々なことを考えて泣きそうになっていると、吉羅の大きな手のひらが、香穂子の頬を包み込んだ。
「…香穂子…、こんな時の呼び名に“理事長”は無粋過ぎないかね…? 私たちは今プライベートな立場でここにいる。理事長と生徒なんて…、公的な建て前だけで充分じゃないかね? 今は、ただの男と女だから」
「…はい。吉羅さん…」
「吉羅さんという呼び方もここでは相応しくないだろう…?」
 吉羅は香穂子の髪を柔らかく撫でながら、今までで一番甘い声で囁いてくれた。
「…なんて呼べば…」
「…暁彦…」
「…え?」
 驚いて吉羅を見上げる香穂子を、どんな甘いチョコレートよりも甘い瞳で見つめてくる。
 こんなまなざしで見つめられたら、それこそとろとろに蕩けてしまいそうだ。
「…暁彦だ、香穂子。君にはそう呼んで欲しいんだ。君だけにそう呼んで欲しい…」
「暁彦さん…」
 香穂子が掠れた声で心細く呟くと、吉羅はそれでは満足出来ないとばかりに、額をつけて香穂子を捕らえてくる。
 本当に心臓が幾つあっても足りない。
 吉羅のために心臓を幾つも用意しておかなければならないではないか。
「…もっと堂々と呼んでくれて良いんだ。むしろ堂々と呼んで欲しい」
「…暁彦さん…」
 吉羅の名前を呼ぶだけでドキドキしてしまうというのに、堂々となんて出来る筈がない。
「駄目」
「…あ、もうっ! ドキドキして上手く言えませんっ!」
 香穂子が恥ずかしさと恨めしさを滲ませて言うと、吉羅は何処か意地悪な笑みを浮かべた。
「…では、おしおきだな」
「え!? お、おしおきですか!?」
「そう。とっておきのおしおきだ」
 香穂子が焦っていると、吉羅は妖艶に微笑み、黙らせるかのように香穂子にしっとりとしたキスをしてくる。
 頭のなかがぼんやりとしてしまうほどのキスに、香穂子の脚は力が入らなくなった。
 キスをされている最中も後も、吉羅に抱き寄せられていなければ、立っていられなかった。
「…本当は…、こんな格好を人前ではさせたくはないんだ…」
 吉羅はくぐもった声で呟きながら、香穂子のボレロを脱がした。
「…暁彦さん…それは…私がみっともない…から…?」
「違う。綺麗過ぎるからだ…」
「…んっ…」
 嬉しいと言う前に、吉羅は激しく唇を重ねてくる。こんなにも熱いキスを、香穂子は他には知らない。
 唇がぽってりと腫れ上がるまでキスをされた後、吉羅は熱いまなざしを香穂子に向けて来た。
「…綺麗になったな…」
 吉羅の声と言葉が嬉しくて恥ずかしくて、香穂子は僅かに目を伏せた。
「…香穂子…」
 吉羅は、香穂子のワンピースのファスナーを静かに下げると、ゆっくりと官能的にワンピースを肩から片方ずつ下げる。
 その動きに、躰が震えた。
 どうして震えるかは解っている。
 どうしようもないほどに吉羅を感じているからだ。
「香穂子…、君は凄く綺麗だ…」
 ワンピースが床に落ちた瞬間、吉羅の吐息が甘くなる。
 本当に世界で一番綺麗だと囁かれている気分だ。
 ランジェリー姿なのに、女としての誇りと自信が宿る。
 吉羅は香穂子の額にキスをすると、抱き上げてベッドへと連れていってくれた。



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