12
香穂子のお腹も随分と大きくなってきた。 吉羅はその丸みを帯びたお腹を抱えながら、出産準備に勤しむ香穂子を見つめて、なんて美しいのだろうかと思う。 ここまで綺麗な女性は、吉羅の知る限りはいないのではないかと思う。 白いマタニティドレスに身を包み、情熱を示す赤い髪をアップにしている姿は、息を呑むほどに美しかった。 こうして、ただ香穂子を見つめているだけに時間を費やしても、全く無駄だとは感じないのは、やはりそれだけで何よりもの価値があると思うからだろう。 吉羅はパソコンを打ち込む手を止めて、香穂子をじっと見つめていた。 「暁彦さん…?」 「ああ」 名前を呼ばれて、吉羅は香穂子を意識を持って見つめる。 「このロンパース可愛いと思いませんか? これを着る暁彦さんによく似た赤ちゃんを想像するだけで、とてもうれしいんですよ」 香穂子は、母親になる喜びを表情に滲ませて、本当に嬉しそうにしている。 吉羅はその姿をじっと見つめながら、果たして子どもが産まれた時に、自分は上手く立ち回れるのだろうかと不安になった。 姉が亡くなったことで崩壊してしまった吉羅家と、吉羅の人を愛するこころ。 だがそれを見事なまでに蘇らせてくれたのは、目の前にいる愛しい妻だった。 だが、それでもほんの少しだけ、胸が痛むことがある。だからこそ、こうして不安にもなるのだろう。 母親は、産まれるまで子どもと一身一体で頑張り、産まれてからも一緒だ。 だが、父親はどうだろうか。 産まれてからでないと、その役目を強く実感することが出来ない。 父親になるということはどのようなことなのだろうかと、吉羅はふと考えた。 「どうかされたんですか?」 「…少しばかり考え事をしていてね。父親になるということはどのようなことなのだろうかと…。私にはきちんと その役割を果たせるのかだとか…。まあ…そういうことを考えていた…。私も父親になるのが初めてだからね。どう対処すれば良いのか、朧気に考えていたんだよ…」 「…暁彦さん。暁彦さんは既に沢山お父さんとして頑張ってくれています。赤ちゃんをいっぱい愛してくれていることが、お腹の赤ちゃんにも伝わっているんですよ。だから赤ちゃんは、暁彦さんがそばにいるだけで、喜んで私のお腹を蹴飛ばしますし、それにお父さんが話し掛けると本当に嬉しそうにするんです…。私が嫉妬してしまうほどにですよ? だから心配されないで下さい。今のままで充分ですから」 香穂子は、明るい太陽よりも華やかな笑顔を浮かべながら、優しく語りかけるように吉羅に話してくれる。 その声も笑顔も愛しくて、吉羅は香穂子をお腹ごと抱き締めた。 「…有り難う…、いつも…」 本当に、香穂子を妻に出来た奇跡を感謝してもしきれないのではないかと、吉羅は思う。 柔らかく優しい大きなこころで受け止めてくれる香穂子が、吉羅は愛しくてしょうがなかった。 「…私もお母さんは初心者ですから…。だけど、暁彦さんとならば、頑張っていけるような気がするんです。暁彦さんとならば、二人三脚で、この子にとっての理想的な両親になってあげられると思います」 「ああ」 吉羅は、香穂子に甘えるように更に抱き締める。 すると吉羅の髪を、ゆっくりと柔らかく撫でてくれるのを感じて、その心地好さに吉羅は目を閉じた。 子どもが、吉羅の想いに応えるようにゆっくりと動いてくれる。 本当にかけがえのない“家族”なのだと、吉羅は思わずにはいられなかった。 「…早く逢いたいな。この子に…」 「もうすぐ逢えますよ。後一月もすれば、やってきますから」 「そうだね…」 吉羅は、妻と我が子を抱き締めながら、このふたりは、自分にとっては最高のものなのだと強く感じていた。 ふたりは親子教室に向かい、個別に講義を受けた後で、いよいよふたりで出産時の呼吸方法などを学ぶ。 出産時の痛みを取るための呼吸方だと聴き、吉羅は少なからず驚いたようだ。 「…痛みを最大限和らげる方法はないのかね?」 「私は覚悟出来ているから大丈夫ですよ。赤ちゃんを産む痛みは、かけがえのないものですよ。私はなるべく自然に赤ちゃんを産みたいですから、これが理想だと思っているんですよ」 「…そうは言っても、私は心配でしょうがないんだがね…。君を痛みから少しで良いから解放してやりたいのだが…」 「当日、一緒に闘って下さったら、それで嬉しいです。きっと痛みもそれだけで随分と和らぐことが出来る筈ですから…」 「香穂子…」 香穂子がにっこりと笑っても、吉羅はまだ心配そうにしていた。 「大丈夫です。暁彦さんがいるってだけで、私には痛み止めになるんですから」 香穂子が吉羅の手を握り締めると、何処かホッとする。 その温もりを感じるだけで、吉羅には大きな安らぎだった。 親子教室のテキストを熱心に読み込みながら、吉羅は父親になる日を心待ちにする。 いつ香穂子に陣痛が起こっても直ぐに対応が出来るように、抜かりなく準備も進めておく。 たとえ理事会中であろうとも、駆け付けていくつもりだ。 吉羅にとっての最優先は、今や仕事よりも妻になってしまっている。 人前ではクールに接してはいるが、ふたりきりになると離したくないほどに甘えてしまうし、甘やかしてしまうのだ。 出産が近付いたある日、香穂子は吉羅にとってはとんでもない申し出をした。 「赤ちゃんが産まれるまで、ひとりで眠ります」 これには吉羅は驚いて、思わず香穂子を見る。 「どうしてかね?」 既にドクターストップがかかり、躰では愛し合わない日々が続いている。 だからせめて香穂子を抱き締めて眠りたいと思う。 「…暁彦さん、いつも一生懸命頑張って下さっているのに、私に気遣ってゆっくりと眠れないのかと思って。 暁彦さんにはきちんと疲れを取って貰いたいと思っているんですよ」 「一人寝をすると逆に眠れなくなる。君と一緒に眠るのは私の精神安定剤なんだよ」 吉羅は香穂子の頬をまろやかに撫でると、フッと微笑みを零した。 「だから気を遣わなくても構わない。私は君と一緒にいるだけで幸せなんだからね」 「有り難う、暁彦さん」 香穂子は本当に嬉しくて泣きそうになる。 母親が嬉しいことに気付いたのか、お腹のなかの子どもは、派手に暴れ回っていた。 「赤ちゃんも嬉しいって言っていますよ」 「ああ」 吉羅は香穂子のお腹をギュッと抱き締めると、子どもの喜びようを確認していた。 吉羅と定期検診に赴く。 今日あたりが出産前の最後の定期検診になるだろうとは、主治医の談だ。 今日は土曜日ということもあり、吉羅の仕事を気にすることなく、検診を受けることが出来る。 香穂子の番になると、吉羅は一緒に診察室へと入る。 「吉羅さん、体重もベストよりも1キロ少ないから優秀ね。お腹の赤ちゃんも順調だから、いつ産まれて来てもおかしくはないですよ。超音波で見て見ましょうか」 「はい」 お腹にジェルを縫って画像を見つめる。今日はとても活発に動いているのをひしひしと感じていた。 ふと子どもの下腹部のあたりに影が映る。 「あっ、赤ちゃん…ひょっとして男の子ですか?」 「男の子みたいですね。かなりの確率で」 医師はにっこりと微笑みながら頷いてくれる。 同じように映像を見ていた吉羅も薄く笑う。 「…確かに息子のようですね」 「嬉しい? 暁彦さん」 「ああ。嬉しいよ。有り難う」 吉羅は噛み締めるように言うと、香穂子の手をそっと握った。 |