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「今朝、君が悪阻のような症状だったから気になってね…。明日、きちんと病院に連れて行かなければと思っていた。私は君の生理の周期は熟知しているからね。一月ほどないことにも、気付いていた」 流石は吉羅だと思いながらも、香穂子は泣きそうになる。 もし吉羅に冷静な顔で中絶を言われたら、きっと立ち直ることは出来ないだろう。 「…暁彦さん…私…」 香穂子が僅かに震えると、吉羅は強く抱き締めてきた。 「…子供が出来ていたら嬉しいんだけれどね…、私は…。ただ私は君に強制することは出来ないが…」 吉羅は浅く呼吸をすると背中を優しく撫でてくれる。 「…今朝、君が悪阻のような症状で苦しんでいる時に、…私は嬉しいと思ったんだよ…。最低だろう? 君を生涯離さないで済む理由が見つかったなんて思っていた…」 吉羅の言葉に、香穂子の胸は熱くなる。 嬉しくて瞳に涙が滲んでしまう。 「…もし出来ていたら…、産んで良いんですか?」 香穂子が吉羅の顔を真っ直ぐ見つめると、柔らかな甘い笑みをくれる。 「もちろん、私は君に私の子供を産んで貰いたいよ…」 「…有り難う、暁彦さん…、凄く嬉しい…」 香穂子が洟を啜りながら笑顔を浮かべると、吉羅は頭ごと胸に抱き寄せてくれる。 「…最低だろう、私は…。君が妊娠する可能性があるのを解っていながら、それも構わないと思って、避妊をしなかった…」 「…私…暁彦さんの赤ちゃんが欲しいから…嬉しかったです…」 香穂子はそこまで言うと、吉羅を見上げた。 「香穂子…」 吉羅は愛が滲んだ声で名前を呼んでくれると、香穂子の額にキスをした。 「検査しようか」 「はい…」 「陽性が出たら、明日、一緒に病院に行こう」 「はい…」 香穂子は頷くと、吉羅が差し出した妊娠検査薬を手に取る。 初めてなので、説明書を熟読した。 勿論、吉羅もそのようで、一緒に熟読してくれる。 「尿を掛けて水平のところに置いて一分ですね」 「ああ」 香穂子は検査薬をギュッと握り締めると、トイレへと向かう。 「…行ってきます」 「ああ」 香穂子はトイレに入ると、説明書にあった通りに行なう。 後は待つだけだ。 暫くして、検査薬は陽性の反応を示した。 香穂子は飛び上がる程に嬉しくて、泣きそうになる。 「…陽性…」 香穂子はそっとトイレから出ると、前で待構えていた吉羅を見上げた。 「どうだった?」 「陽性…でした」 香穂子がはにかみながら言った途端、吉羅に抱き上げられた。 「…香穂子…有り難う…!」 吉羅は香穂子の躰をぐるぐると回しながら、本当に嬉しそうに笑ってくれる。 「ものすごく嬉しいよ…。君のお腹のなかに私の子供がいるなんて…」 「私もとっても嬉しいです。暁彦さんの赤ちゃん…ずっと欲しかったから…」 香穂子をソファまで運ぶと、吉羅はそっと座らせてくれる。 「有り難うございます」 「明日、病院に行こう。その後は、君のご両親に、結婚の承諾を得ないといけないね」 「…はい…」 吉羅はソファに腰を掛けると、香穂子を抱き寄せる。 「今日から大事を取らないとね」 「病気じゃありませんから、大丈夫です。今まで通りに頑張れると思っていますよ」 「だが、それは危険だ」 吉羅は本当にこころから香穂子を気遣うように柔らかく抱き締めてくれる。 「正式に診断を頂いてから考えましょう」 吉羅は苦笑いを浮かべながら、香穂子を抱き寄せてくれた。 翌日、吉羅の車で、産婦人科がある病院へと向かう。 マスコミでも有名なセレブリティ御用達の病院へと向かっている。 香穂子としては、シンプルな病院で充分だと思っていた。 だが、吉羅はどうしてもと、香穂子をセレブリティ病院に連れていく。 「大袈裟です、暁彦さん。私はシンプルなほうが良いのですが…」 「駄目だ。君が安心して出産が出来るような環境にしておきたいんだよ。君の出産には、最善を尽くしたいんだよ」 吉羅は香穂子の手を握ると、解ってくれとばかりに力を込めてきた。 病院に入り、待合室に向かう。 吉羅は香穂子を離さないと宣言するかのように、待合室でも手を握り締めたままだ。 「日野香穂子さん、検査して下さいね」 「はい。行ってきますね」 香穂子は吉羅から離れると、検査室へと向かった。 一通りの検査を受けた後、吉羅の元へと戻る。人目をきにすることもなく、軽く抱き寄せてきた。 「大丈夫かね?」 「大丈夫です」 吉羅を安心させるように、香穂子がいくら笑ったとしても、こちらを心配そうに見てくる。 「日野さん、診察室にお入り下さい」 看護士に呼ばれて、ふたりは診察室へと入っていった。 医師は麗しい女医で、香穂子と吉羅に椅子に掛けるようにと促してくれる。 香穂子と吉羅が座ると、医師は目を見つめてくる。 「日野さん、おめでとうございます。ご懐妊ですよ。三か月ですね」 医師はにっこりと笑うと、香穂子ははにかんで頷いた。 横にいた吉羅をちらりと見れば、本当に幸せそうな笑みを滲ませている。 医師の前であるにもかかわらず、吉羅はギュッと手を握り締めてきた。 その様子を、医師は微笑ましいとばかりに微笑んでいる。 「お腹の赤ちゃんの様子をご覧になられますか?」 「是非、お願いします」 香穂子が頷くと、吉羅も微笑んだ。 「それでは見ましょうか。日野さんはベッドの上に横になって下さい」 医師はてきぱきと指示をすると、香穂子の平らで滑らかな腹部にジェルを塗ると、そこに超音波を宛る。 ひんやりとしてほんの少しだけ気持ちが悪い。 だが、吉羅の喜ぶ顔が見たくて、そんな気持ち悪さも我慢することが出来た。 「…モニターを注目して下さい。お腹のなかに見える豆粒のようなのが見えますか? あれが赤ちゃんです。これからどんどん大きくなっていきますよ」 「…はい」 香穂子は、母親になる喜びを滲ませながらモニターと吉羅を交互に見つめる。 吉羅は真剣なまなざしでモニターを食い入るように見つめていた。 「この画像をプリントアウトしますね。二枚、三枚ぐらいプリントアウトしたほうが良さそうですね」 吉羅が余りにもモニターを見つめているものだから、医師はくすりと笑いながらプリントアウトしてくれた。 香穂子のお腹に塗られたジェルをタオルで綺麗に拭ってくれた後で、服を下ろしてくれる。 「はい、お終いです。日野さん、あなたもお子さんも、婚約者さんにとても愛されているわね」 医師に指摘されて、香穂子は真っ赤になりながら頷いた。 「羨ましいわ。私には」 医師はそう言いながら、プリントアウトをした画像を渡してくれた。 「それではこれからは予約を取って、定期検診を行なって下さいね。詳しくは受付で訊いて下さいね。後、 悪阻がひどいと思うので、無理をせずにして下さいね」 「有り難うございます」 香穂子は、医師に丁寧に礼を言った後で、診察室を出る。 「若いお母さん、頑張ってね」 「はい。有り難うございます」 香穂子は礼を丁寧に言い、受付へと向かった。 受付にいく間、吉羅は香穂子を気遣うように腰を抱いてくれる。 「凄く嬉しいです。暁彦さんの赤ちゃんがいるのが」 「私もとても嬉しいよ。これからふたりで頑張っていかないとね。君も無理は禁物だからね。今履いているヒールも駄目だよ」 「はい」 香穂子は自分のヒールを見つめながら、頷く。 これから暫くの間は、赤ちゃん騒動で楽しくも幸せな日々を送れるだろうと思った。 |