*9ヶ月*


 結婚式の当日、少し前に突き出てきたお腹をゆったりと撫でながら、香穂子は式の時間を待っていた。
「香穂子! 本当に凄く綺麗だよ!」
「有り難う! 菜美!」
 控え室に挨拶に来てくれた天羽が、うっとりと見つめながら呟いてくれる。
 香穂子には、それが嬉しくてしょうがなかった。
「本当に綺麗です、先輩…」
 冬海は今にも泣きそうな顔をして、香穂子を見つめてくれていた。
「有り難う冬海ちゃん、菜美」
 香穂子が輝くような笑顔を浮かべると、ふたりとも釣られるように笑ってくれる。
「ホント! 今日の香穂子は息を呑むぐらいに綺麗だよ! びっくりするぐらいに!」
「…綺麗です」
 ふたりともうっとりとしたまなざしを向けてくれるものだから、香穂子も照れてしまう。
「有り難う本当に」
「あ、あの、これっ! 菜美先輩と一緒に作ったブーケです。先輩のイメージは向日葵だから、向日葵を中心にして作りました」
 冬海が丁寧に紙袋から出してくれたものは、本当に美しく作られたブーケ。
 うっとりとする程に甘くて良い香りを放っている。
「有り難う、ふたりとも!」
 うれし過ぎて泣けてしまうが、ここはグッと我慢をする。
 化粧が崩れてしまうと怒られてしまうだろうから。
「ブーケトスは、ふたりに目掛けてするからね」
「期待してるよ! なんたって一番乗りの幸せ者なんだからねー」
「そうだねー」
 香穂子が笑うと、ふたりもまた泣き笑いを浮かべた。
「ホント! 胎教に良いんじゃないかと思うぐらいに、綺麗だよ! お腹の赤ちゃんもきっとママの姿を見て、喜んでいるよ」
「そうだったら良いけど」
 香穂子はブーケをそっとお腹に宛てながら、にっこりと微笑んだ。
「火原先輩とか土浦君とか、香穂子のその姿を見て泣くだろうねえ。月森君も意外に泣いたりして」
 想像しながらくすくすと笑う天羽に、香穂子は頭のなかでクエスチョンマークを並べ立てた。
「どうして…?」
「どうしてもだよ」
 天羽が答えにならない答えをしたところで、ノックが鳴り響いた。
「香穂子、支度はいかがかな?」
 ドアの外から聞こえてきた吉羅の声に、香穂子はドアを開けにいく。
 目の前に現れた吉羅は、いつも以上に素晴らしく素敵で、香穂子は思わず見惚れてしまう。
「…さ、私たちは行こうか。冬海ちゃん」
「そ、そうですね」
 吉羅が控え室に入ってくると、入れ替わるようにふたりが出て行く。
「じゃあ香穂子、教会でね! ではまた、吉羅さん」
「香穂先輩、後で。理事長も」
 ふたりが気遣うように行ってしまうと、吉羅は苦笑いをする。
「気を遣わせてしまったかね」
 香穂子がにっこりと笑うと、吉羅が見つめてきた。
「…今日は…素晴らしく綺麗だ…」
「…有り難うございます…」
 吉羅は香穂子を見つめた後で、突き出たお腹を撫でた。
「これで君が私のものだと、堂々と主張することが出来るね…」
 吉羅はお腹を撫でながら、香穂子を甘いまなざしで見つめる。
「君をまだ想っている連中にも、このお腹と花嫁姿で、君が私のものであることを主張出来るのが嬉しいね」
「…暁彦さんが私のものであることも主張することが出来ますよ…」
 香穂子が言うと、吉羅はフッと笑った。
「…そうだね…。そうかもしれないね」
 続いてノックが鳴り響く。
「新郎様、新婦様、式が間も無く始まります。ご準備下さい」
「有り難うございます」
 吉羅が言うと、手を取ってエスコートしてくれる。
「…行こうか。香穂子…」
「…はい」
 吉羅はエスコートするために香穂子の手を取ると、一歩ずつ踏み締めるように教会へと導いてくれた。

 結婚式は、とても厳かな雰囲気で行われた。
 指環の交換や誓いのキスの時には、方々から溜め息が零れていた。
 憧れの溜め息。
 そしてとうとう吉羅のものになってしまったと、哀しがる溜め息。
 など、様々だった。
 何処か泣きそうな溜め息が零れたのもご愛嬌だろう。
 式が済むと、ふたりだけで教会の裏庭にひっそりと眠る、吉羅の姉に、結婚の報告をした。
「姉さん、今日、私たちは結婚式を挙げました。喜んでくれていると思います」
「これから一生、暁彦さんを守っていきますから、安心して下さいね」
 香穂子はにっこりと笑うと、自ら作った、カサブランカのブーケを墓の前に置いた。
 ふたりで唇を重ねて、これからの人生を共に歩むことを吉羅の姉に誓う。
 ふたりにとっては、一番の誓いになった。

 披露宴は、親しい者たちを招待して温かいものにした。
 だが、財界でも幅広い人脈を持つ吉羅は、招待しなければならない客も大勢いて、政財界の大物たちの顔触れに、香穂子は些か緊張してしまう場面もあった。
 吉羅は気を遣ってフォローをしてくれたが、それでも緊張はかなりのものだった。
 これが吉羅暁彦と結婚するということなのだと、香穂子は思わずにはいられなかった。
 親しい友人たちは、皆、香穂子のお腹を撫でたがる。
「きっと美人ちゃんかハンサム君が生まれるよねー。香穂と吉羅さんの赤ちゃんだもんねー」
 幸せのお裾わけとばかりに、誰もがお腹に触れてきた。
 幸せが滲んでくる。
「日野ちゃんは細いから、お腹が大きくなると目立っちゃうね」
「まだまだ大きくなるなんて、想像出来ない」
 香穂子の女友達は、誰もが楽しそうに笑ってお腹を撫でてくれていた。
 その間、吉羅も側に着いている。
 まるで香穂子をどんな瞬間でも離したくないとばかりに。
 政界財界の重要人物に挨拶をするのはとても緊張したが、それも無事に終わってホッとしたところで、コンクール仲間たちに挨拶をしに行った。
 その途端に、吉羅はあからさまに香穂子の腰を抱いてきた。
 まるで香穂子を誰にも渡さないと宣言するかのように。
 あからさまな独占欲に、香穂子は幸せの笑みを浮かべた。
「吉羅よ、そんなあからさまに見せつけなくて良いだろうが」
 金澤が困ったように苦笑いをすると、吉羅は鋭い笑みを唇に浮かべる。
「改めて香穂子が私の妻であることを宣言しなければなりませんからね」
 吉羅がキッパリと言ったのが恥ずかしくて、香穂子はほんの少しだけ俯いた。
「日野の腹を見たら、誰だって諦めるぜ。これ以上に“吉羅暁彦のもの”だってことを見せつけるものはないんだからな」
「それでも、安心は出来ませんから」
 香穂子争奪戦に堂々と勝利したが、それでもまだ不安だ。それは香穂子を愛し過ぎているのにほかならないのだが。
 そんな吉羅を金澤は苦笑いをしながら見つめていた。
「今日は来てくださって有り難うございます」
 香穂子がコンクール仲間の男性陣に挨拶をすると、誰もがお腹を見つめてくる。
「…日野、おめでとう。マジなんだよな妊娠…」
 土浦は未だに信じられないように見つめ、「おめでとう香穂ちゃん! 赤ちゃん本当にいるんだね」と、火原は切なそうに見つめてくる。
「日野さんおめでとう…。君もなかなか…いや…」柚木もまた腹部を複雑そうに見つめ、「日野、おめでとう…」月森も腹部に釘付けになったままだった。
 そして一番明るい笑顔で挨拶をしてくれたのは、志水だ。
「…香穂先輩…おめでとう…ございます…。お腹の赤ちゃん…可愛い女の子だったら…僕のお嫁さんにします…」
 天使の笑みで言われて、これには香穂子も吉羅も苦笑いをするしかなかった。
「…志水、男だったらどうすんだよっ!?」
 土浦のツッコミに、志水は「…女の子が生まれるまで待ちます…」と、のんびりと言うのだった。
 温かくも楽しくて幸せな時間がゆっくりと過ぎていった。



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