*9ヶ月*


 香穂子はタイムリーとのことで、胎教CDに参加することになった。
 新規の仕事をすることに関しては、吉羅が難色を示したが、香穂子は何とか説得して、仕事にこぎつけた。
 悪阻は随分と楽になったせいか、最近は調子良く過ごすことが出来る。だが、相変わらず吉羅の心配は相当のもので、香穂子が不快にならないように大袈裟過ぎるぐらいに骨を折ってくれている。
 恋人同士であった時も、相当大切にしてくれたが、今はそれ以上だ。
 愛されているのを感じながらも、それをどうやって返そうかと考えてしまう。
 受け取るばかりでは切ないから。
 同じぐらい、それ以上に吉羅を愛している自信はあるが、それを形にして返してあげられないジレンマを感じていた。
 CDをレコーディング中、香穂子はお腹に変化を感じる。
 明らかに、喜んでいるように、ピクリ、ピクリと動くのが解る。
 特にヴァイオリンを弾いている時の喜びようは、こちらがびっくりしてしまう程だ。
 やはり音楽に祝福された子供なのだと思う。
 学院の創立者直系であり、創立者一族以外でファータが見える唯一の人間である香穂子の子供でもある。
 生まれながらにして、父親と同じようにファータを見ることが出来るのだろう。
 そして、後天的ながらもファータを見ることが出来る香穂子の血も受け継ぐのだから、相当、音楽への関心は強いに違いない。
 ヴァイオリンを奏でる度に動く我が子が嬉しくて、優しい気持ちになりながら、香穂子は演奏をした。
「吉羅さん、素晴らしいですね! ファーストテイクでOKですよ! やはりお腹に赤ちゃんがいると、違うのでしょうかね」
 CDのディレクターは、関心するように言うと、嬉しそうに頷いてくれている。
 レコーディングに関わるスタッフも、誰もが皆、嬉しそうにしていた。
 これならどの妊婦にも、そして赤ちゃんにも、きっと癒しになると。
 この言葉が嬉しくてしょうがなくて、香穂子は満面の笑みを浮かべた。
 我が子もきっと喜んでくれているに違いない。
 愛しても愛したりないと思える程に愛する男性との子供。
 それだけでも嬉しいのに、こうして音楽に対して反応してくれるのが嬉しかった。

 レコーディングが思ったよりも早く終わったので、香穂子は学院に顔を出す事にした。
 といっても、いつも顔を出している大学ではなくて、高校のほうだ。
 ここにはリリもいるし、何よりも愛する旦那様が仕事をしている。
 懐かしい場所。
 総てが始まった場所であり、香穂子に様々な運命をくれた場所だ。
 生涯愛し抜ける音楽も、男性も、総てこの場所で出会ったのだ。
 きっと、生涯で一番の場所には違いない。
 香穂子は、仕事をしているだろう吉羅に気を遣って、先ずはリリに逢いにいく。
「リリ、こんにちは!」
「お! 日野香穂子っ!」
 リリは嬉しそうに笑いながら香穂子の前に出て来てくれた。
「リリ、今は吉羅香穂子だよ」
「そうだった。吉羅香穂子、お腹のなかの子供はどうだ?」
 妖精は香穂子の突き出たお腹を不思議そうに見つめている。
「有り難う、順調だよ。赤ちゃん、ヴァイオリンを弾いていたらね、動いたんだよっ!」
「ホントか!? そいちはめでたいぞ! 流石はお前と吉羅暁彦の子供だな! 音楽に祝福されているのだ! 我輩、今から楽しみなのだー! お前たちの子供に、魔法のヴァイオリンを与えて、音楽を沢山愛しても貰うのだー! 今から頑張って作るぞ!」
 リリは本当に嬉しいらしく、香穂子の周りをひらひらと舞っている。
 その様子が可愛いらしくて、香穂子はくすりと笑った。
「暁彦さんが凄く嫌な顔をするのが目に見えているよ。“アルジェントリリ、私の子供を実験台にするのは困る”なんて、言いそうだよ」
「その通りだ」
 低くよく響く声が背後から聞こえて振り返ると、そこには吉羅がどこか不機嫌な顔をして立っていた。
「暁彦さん!」
「香穂子、学院に来ているならば、直ぐに理事長室に来てくれれば良かったのに…」
「お仕事中だと思って。リリに逢いたかったですし」
 香穂子がニッコリと笑うと、吉羅はしょうがないとばかりに笑う。
「レコーディングは上手くいったかね?」
「はい。一発OKでした。ディレクターには、お腹に赤ちゃんが本当にいるから、優しさと温かさが今以上に感じられるって、おっしゃって頂きました」
「…そうか。それは良かったね」
「日野…いや、吉羅香穂子、久し振りにヴァイオリンを聴かせてくれないか!?」
「喜んで、リリ」
 香穂子は、リリと吉羅に微笑んだ後で、ふたりに挨拶をする。
 すると、ふたりとも眩しいような笑みを浮かべてくれた。
 ヴァイオリンを構え、香穂子はシューベルトの子守歌を演奏する。
 運命をくれたアルジェントに、愛を教えてくれた旦那様に、そしてそれらを昇華した愛しい我が子へ。
 香穂子は語りかけるように、大きい優しい愛情で包みこんだ。
 演奏を終えると、香穂子にとっては最も大切な客であるふたりから、温かな拍手が贈られる。
 それが嬉しくて、香穂子は鮮やかな笑みを浮かべた。
「素晴らしかったぞ! きっと赤ん坊も喜んでいることだろう! お前たちふたりの子供は、更に音楽の祝福を沢山受けるだろう! 日野香穂子! 家族で立派なアンサンブルが出来るように、この子だけではなく、沢山の子供を期待しておるぞ!」
 リリの言葉に香穂子は真っ赤になる。
 確かに、吉羅の子供はもっと欲しいと思っているから、リリの望みは簡単に叶えられそうなのだが。
「私も、君と子供たちのアンサンブルが、是非、見たいものだがね」
 吉羅は横にいる香穂子の華奢な肩を、意味深に撫で付けて来る。その甘い刺激に、香穂子は思わず微笑んだ。
「香穂子、時間はあるかね? 私の仕事は間も無く終わるから、一緒に帰らないかね。それに見せたい場所があるから」
「有り難うございます。では大学の図書館で待っていますよ」
「…いや。理事長室で待っていて欲しい。良いかね?」
「はい、解りました」
 香穂子が明るく笑うと、吉羅もフッと微笑んでくれる。
 それが香穂子には嬉しくてしょうがなかった。

 理事長室に入り、香穂子は久し振りにソファに腰を掛ける。
「待っていてくれたまえ。6時前には仕事は終わるから」
「はい」
 香穂子は頷くと、バッグから編物を取り出して、子供のケープを作り始める。
 まだまだ始めたばかりで下手くそだが、生まれるまでに上手くなろうと頑張っているのだ。
 本を見ながら、慎重に編んで行く。
 子供のことを思いながら編むケープは、とても幸せな気分になった。

「香穂子、お待たせしたね」
 吉羅は声を掛けて、息を呑む。
 香穂子が息を呑む程に清らかで美しかったから。
 魂を揺さぶられるような美しさに、吉羅は言葉をなくしてしまう。
 余りに綺麗で清らか過ぎて、思わず跪いてしまう。
 そのままギュッと胸に抱き寄せると、香穂子は驚いたようだった。
「…暁彦さん…!?」
「…とても綺麗だ…、香穂子…。本当に綺麗だ…」
「暁彦さん…」
 香穂子が温かな笑みを浮かべて吉羅を逆に抱き締めてくれる。
 その心地好さに、思わず目を閉じた。
 香穂子は吉羅の少しだけ癖のある髪を柔らかく撫でてくれる。その優しさに、吉羅は甘えるように香穂子の胸に顔を埋めた。
 夕陽が差し込む。
 ふたりはまるで“ピエタ”の像のように、暫くじっとしていた。



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