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| 香穂子は即答をしない。 それが吉羅を切なくさせる。 逡巡をした後、香穂子はゆっくりと頷いた。 「解りました。理事長と一緒に行きます」 「有り難う。じゃあ行こうか」 「はい」 吉羅の後を、香穂子が静々と着いてくる。 吉羅は車のドアを開けると、いつものようにエスコートをした。 香穂子が車に乗る動作を見つめながら、今夜はエレガントだと思う。 年端も行かぬ娘をエレガントだと思ったのは初めてかもしれなかった。 香穂子が車に乗り込んだのを確認してから、運転席に乗り込む。 吉羅はシートベルトを手早く着けると、車を出した。 「日野君、先ずは今夜の演奏は見事だった。君は日に日に上手くなるね」 吉羅はずっと言いたかったことを言いながら、みなとみらいの夜景が見えるようにと、車を少し遠回りさせる。 吉羅の言葉が嬉しかったからか、香穂子はほんのりと頬を赤らめ「有り難うございます」と呟いた。 こうしてはにかむ仕草がとても可愛くて、吉羅は抱き締めたくなるのをグッと堪える。 「…有り難うございます…。理事長にそう言って頂けて、私はとても嬉しく思います」 「周りの人々も絶讃していたよ。本当によくやったね。有り難う」 吉羅の言葉に、香穂子は本当に嬉しそうに微笑むと、愛らしく頭を下げた。 「私こそ有り難うございます。チャンスを与えて下さって、いつも見守って下さって…。本当に感謝しています」 香穂子の仕草も、微笑みも、表情も、こころも…。何もかもが可愛いと、吉羅は思わずにはいられなかった。 愛しさが満ちているからか、吉羅は無意識に香穂子の頬を撫で付けていた。 誰よりも親愛の情を表すと、香穂子はほんの一瞬だけだが驚いた様子だった。 それも直ぐに消えて、何処か華やいだ表情になる。それが吉羅には嬉しくてしょうがなかった。 「ところで日野君、軽井沢行きのプランは決まったのかね?」 「…実は決まっていないんですよ。…なかなか決まらないから中止になるかもしれないんです…」 香穂子の口から意外な言葉が出されて、吉羅は密かにこころの中で微笑んだ。 「何だか彼の友達のカップルも一緒なので、カップル旅行になるから嫌なんですよ。私はもっと色々見たりしたいんですけれど」 「じゃあ君は納得いってはいないと言うんだね?」 内心ほくそ笑みながら、吉羅はわざと落ち着いたふりをして静かに呟く。 「そうなんです。ベストなプランって、なかなか見つからないんですよね…」 香穂子は溜め息を吐くと、吉羅に薄く微笑む。 「だから断ろうと思っているんですよ。そのほうが良いかなって…」 「だったら、私相手に予行演習をしたらどうかね? 君が行きたいプランの場所を、私が車で連れて行こう」 吉羅は、我ながら大胆な提案だとは思ったが、こうでもしなければ、香穂子のこころをつかみ取ることが出来なくなるだろうから。 香穂子を得る為ならば、何でもしようと思う。 後悔はしたくなかった。 吉羅の提案に、香穂子は驚いているようだった。直ぐに考え込むような仕草になる。 「…吉羅理事長…、私…」 言葉が発するのが苦しいのか、香穂子は俯いてしまった。 やはり気が進まないのだろうか。 吉羅は緊張で胸が痛くなるのを感じる。 香穂子の返事を待つだけでこんなに苦しいのだとは、今まで思ってもみなかった。 香穂子はよく考えたのか、突然笑顔になる。 「吉羅理事長、そのプラン、是非お願いします。…私のプランが正しいことを確認しておきたいんです。 「解った、ではふたりで軽井沢に行こうか。日帰りだから当日は朝早くなるから、それだけは了解を貰えないかな?」 「はい、有り難うございます。勿論、構いません」 「有り難う」 吉羅は内心、香穂子が受け入れてくれたことが嬉しくてしょうがない。 本当に嬉しい。 香穂子の横顔を見つめながら、吉羅はまるで初めてのデートの承諾に舞い上がる青年のような気分になっていた。 「では土曜日に君のところに迎えに行こう」 「はい、お願いします」 香穂子には、大人ぶって静かに頷いたが、内心は甘く嬉しい気分でいっぱいだった。 吉羅に送って貰い、部屋に戻った後も、まだドキドキしていた。 まさか吉羅と一緒に軽井沢に行けるなんて思ってもみなかった。 本当は吉羅と一緒に美術館などを回わりたかった。 香穂子が旅行のプランを考える度に、吉羅が横にいたらと思わずにはいられなかったから。 土曜日が待ち遠しい。 ロマンティックな気分にときめかずにはいられなかった。 軽井沢に行くのに、どんなメイクをしてどんなスタイルをするのか。 香穂子はじっくりと嬉しそうに想像しながらほくそ笑んでいた。 軽井沢に行く当日、香穂子を迎えに行くために、車を横浜方面に向けて走っていた。 朝早くても、とても心地好くて幸せな気分になるのは、やはり香穂子が愛しいからだろう。 香穂子を自分のそばに置いたら、未来永劫離したくない。 絶対に離しはしない。 吉羅は、香穂子を得る為のギリギリのリミットが今なのだと、思っている。 だからこそ頑張らなければならない。 これを過ぎれば、香穂子が確実に他の男のものになることは、分かりきっていることだからだ。 車が香穂子の家に差し掛かる。 軽くクラクションを鳴らすと、華やいだ表情の香穂子が頭を下げているのが見えた。 避暑地に相応しい、白地に薄いブルーの花柄のスリップワンピースに、カーディガンを羽織っている。 その姿は、清楚で気品に溢れていた。 本当に綺麗で、吉羅は息を呑まずにはいられない。 吉羅はなるべくクールになるようにと自分に言い聞かせながら、運転席の窓を開けた。 「おはよう、日野君」 「おはようございます、理事長」 理事長。 その肩書きが今日程切ないと思ったことはない。 「今日はプライベートだ。名前で呼んで欲しい」 「…はい…。吉羅さん…」 香穂子は名字を呼ぶことですら、はにかんでいるが分かる。それが可愛かった。 「軽井沢には余りいられないが、楽しむと良い」 「…はい。有り難うございます」 香穂子が素直に礼を言ってくれるのが、とても嬉しかった。 長丁場になるからと、途中で吉羅はドライブインに立ち寄ってくれた。 その気遣いが香穂子には嬉しくてしょうがなかった。 「暑いのでソフトクリームを買いますね。美味しそうなバニラが良いかなあ。王道ですよね」 香穂子は幸せそうに笑うと、ソフトクリームを買いに並ぶ。 吉羅もそれに従って並んでくれた。 「理事長もソフトクリームを食べますか?」 「私は良いよ。それよりも君がしっかり食べなさい」 香穂子が注文すると、吉羅はさり気なく支払ってくれる。 「私が食べるものは私が出しますよ」 「構わない。貴重なお小遣いは使わないほうが懸命だよ。日野君」 「有り難うございます」 吉羅は本当にいつもさり気ない気遣いをくれる。香穂子にとってはそれがとても嬉しかった。 ソフトクリームを持って車に乗り込んで、再び軽井沢に向けて走る。 「日野君、行きたいところは何処かね?」 「やはり教会に行ってみたいです。教会の中はとても安らぎますから」 「そうだね。教会に行こうか。私もこころを落ち着けさせるには、ちょうど良い場所だと思っているからね」 「嬉しいです。吉羅さんが同じように感じて下さっているのが」 香穂子の言葉に、こころを重ねられたと思っていた。 |