*お見合いごっこ*


 初老の夫婦と共にいる女性は、本当に綺麗な女性だった。
 香穂子がうっとりと見つめてしまいそうになるぐらいに、着物がよく似合っている女性だった。
「これは暁彦君」
「お待たせ致しました。星野さん」
 吉羅は香穂子の手を握ったままで、男性と握手を交わした。
 初老の男性は、香穂子を値踏みするように見つめると、あからさまにホッとしたような瞳になる。
 自分が連れてきた女性のほうが、より美しく吉羅に相応しいと判断したのだろう。
「こちらの方は?」
 吉羅が女性を見つめた後、問う。
「こちらかね。私の姪でね、加奈子と言います。吉羅君のことを以前から話していたら、是非に会いたいと行ってね、今日…連れてきたのだが…」
 ちらりと香穂子を見ると、まるで邪魔だと言わんばかりの視線を送ってくる。
「こちらの方は、君の親戚だとかかね? 随分と若いから」
 男は牽制するかのように香穂子を見ると、吉羅を見た。
「…日野香穂子さんです。私たちは将来結婚の約束をしています」
 吉羅のヴェルヴェットのような声で言われると、うっとりとしてしまう。これがフェイクであることは解ってはいるが、それでもときめかずにはいられなくなる。
「…ひ、日野香穂子と申します。よろしくお願い致します」
 香穂子が頭を深々と下げると、男はあからさまにがっかりとしたように溜め息を吐いた。
 まだ諦めきられないような瞳でこちらを見ている。
 それはしょうがない。
 吉羅には不釣り合いなことぐらいは、香穂子が一番よく解っているからだ。
 その証拠に、男が連れてきた女性のほうが、香穂子よりも美しいのだから。
し かもスキルも上なのだろう。
 香穂子がちらりと女性を見ると、自信に満ちたような笑みを浮かべていた。
 きっと、吉羅には自分のほうがずっと相応しいと思っているのだろう。
 その気持ちは解る。
 きっと香穂子を見て、自信を持ったのだろう。
「…吉羅さん…」
 泣きそうになりながら吉羅を見上げると、瞳はあくまでもクールなままだった。しかし、吉羅は香穂子の手を離さないように強く握り締めてくれる。
 それが香穂子にとっては嬉しくてしょうがなかった。
「午後から知人の結婚式があってね、それまではここで時間を潰していたのだが、どうかね。少しお茶でもご一緒しないか?」
「そうですね。香穂子、それで構わないね?」
「は、はい」
 吉羅の声とまなざしにドキドキする。
 こんなにもときめいてしまっていたら、心臓が幾らあっても足りない。
 シチュエーションも緊張含みで、香穂子はおろおろとするばかりだった。
 香穂子はどうして良いかが分からなくて、つい、視線が泳いでしまう。
「…落ち着きなさい、大丈夫だから」
「はい」
 吉羅に軽く窘めるように言われて、香穂子はうなだれることしか出来なかった。

 5人でひとつのテーブルを囲んで、緊張感のある雰囲気が滲む。
 誰もがブラックコーヒーを頼んだが、香穂子は苦手なのでロイヤルミルクティーを頼んだ。
「ケーキはいかがかな?」
 吉羅にメニューを見せられたが、香穂子は首を横に振る。子供扱いされたような気がして、気がすすまなかった。
 お茶が運ばれてくると、不穏な空気が香穂子に集中する。
「香穂子さんと言ったかね? お父様を何をさるているのかね?」
「あ、あの普通のサラリーマンですが…」
 こんな時に親のことなんて考えないと思いながら、香穂子は素直に答えた。
 所謂、セレブリティの世界ではステータスが関係するのだろう。
 香穂子は一生相容れない世界だと思いながら、何処か哀しい気分になる。
 吉羅とは住む世界が違うのだと、思い知らされるような気がしてたまらなくなる。
「彼女のお父様は、会社を幾つか経営をしていてね、母方には外交官などもいる」
 香穂子はニッコリと笑いながらうなずいたが、そんなことは全く関係しないと思っていた。
「彼女はピアノをやっていて相当な腕前でね。コンクールも幾つか入選している」
「叔父様、それは小さなコンクールばかりです」
「だが、コンクールはコンクールだと思うがね」
 ふたりのやり取りを聞きながら、香穂子は早くここから何処かに行きたいとすら思った。
 男の口から語られるのは、総て姪への称賛ばかりで、いかに香穂子が吉羅と相応しくないかを、言っているようにしか聞こえなかった。
 そんなことは証明をしなくても、香穂子自身が一番解っているのだ。
「暁彦君は星奏学院の理事長をしているから、音楽を嗜む女性がぴったりではないかね」
「ええ、ですから彼女を選んだんです。音コンの全国一位ですから」
 吉羅はキッパリと言い切ると、香穂子を見つめた後で立ち上がる。
「私は彼女がヴァイオリニストとして軌道に乗れば結婚するつもりでいます。彼女以外の女性とは、そうなるつもりはありませんから」
 吉羅はキッパリと力強く宣言すると、香穂子の手を握り締める。
「…行こうか、香穂子」
「はい、暁彦さん」
 香穂子は立ち上がると、吉羅に手を引かれたままで、男たちを見た。
「それでは失礼します」
 吉羅は静かに香穂子の手を引っ張ると、歩いていった。
「吉羅さん、今ので良かったんですか?」
「ああ、あれでもう、私に見合いをしろだとか、言って来ないだろうからね。有り難う、助かったよ」
「良かったです」
 吉羅はまだ手を離さない。それどころか、香穂子の手を強く握り直す。
「着替えてきますね」
「香穂子、勿体ないからもう少しだけ、その格好でいないか?」
「…え、良いんですか?」
「その格好で、少し何処かに行かないか?」
「はい」
 香穂子が満面の笑みを浮かべると、吉羅もまた笑う。
 綺麗な仕立ての着物をもう少しだけ着ることが出来るのが、嬉しくてしょうがなかった。
 吉羅のエスコートも嬉しい。
 こけないようにと、導いてくれるのが嬉しかった。
 吉羅に手を引かれたままで、香穂子は駐車場に向かう。
「吉羅さん、もうあの方達は見ていないですよ」
「…君は、私に手を繋がれたくないのかね?」
 吉羅の声が冷徹に険悪になる。
 香穂子はそっと首を横に振った。
「…このままでも構いません」
「ならばこのまま着いてきなさい」
「はい」
 香穂子は鼓動を激しくさせながら、ゆっくりとしたリズムで吉羅に着いていく。
 ドキドキが激し過ぎて、香穂子は肌を震わせた。
 駐車場で車に乗り込み、吉羅は着物姿の香穂子を気遣うように運転席に腰を掛ける。
「何処か行きたいところはあるかね?」
「…そうですね…。着物でも似合う場所が良いですね」
 香穂子がにっこりと笑うと、吉羅は頷いてくれた。
 吉羅は車を出して、ゆっくりと走り出した。
「食べたいものとかはあるかな?」
「流石にこの格好だと、汚れるのを気にしてしまいそうです」
「そうだね。だが、慎重に食べれば大丈夫だよ」
「私には難しいかもしれません」
 香穂子が苦笑いをすると、吉羅もまたつられるように微苦笑した。
「何だか和服でドライブをするのも良いですね」
「そうだね。どこか華やいだ感じがするからね」
「はい。不思議です。和服を着ているだけで、落ち着いた気分になりますから」
「それは良かった」
 吉羅は落ち着いた声で言うと、整った唇に柔らかな笑みを滲ませる。
 その横顔がとても魅力的で、香穂子は息を乱す。
 こんなにも吉羅のことが好きなのだと、改めて思わずにはいられなかった。



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