*大人への階段*


「……君を子供だと思ったことは、一度もないから」

 小松は低い声で言うと、ゆきを真っ直ぐ見つめる。

 小松は眼鏡を外すと、ゆきをじっと見つめる。

 眼鏡もよく似合っているが、眼鏡を外した姿は、切れるほどに厳しい美しさがある。

 ゆきは、ドキドキしながら小松を見つめながら、うっとりとした目を向けた。

「私の前でそんな顔はしないの」

 小松は苦しげに言うと、ゆきを再び抱き締めて来る。

 逞しい小松の胸は、男の人でありことを、ゆきにリアルに感じさせる。

 小松は、見目麗しいだけではなく、精悍とした男性なのだと、ゆきは感じずにはいられなかた。

 ゆきは小松に抱き締められてドキドキし過ぎて、どうしたら良いものかが解らない。

 うろたえながら小松を見つめると、鋭いまなざしを向けてくる。

 ゆきは緊張してしまい、つい怯えるような目を小松に向けた。

「……小松さん……、怒っていますよね?」

 ゆきが怖々と訊いてみると、小松の視線は更に鋭くなる。

 ゆきは小松を怒らせてしまって、どうしようかと思う。

 以前は小松が、自分ばかりが好きだと言っていたが、そんなことはない。

 ゆきは、自分のほうが小松を好きなのではないかと、思わずにはいられない。

 泣きそうになる。

 小松を愛しているのは、本当に自分ばかりなのではないかと思った。

「……私は……、小松さんが大好きだけれど……、私ばかりが小松さんのことを好きなんじゃないかって……」

 鼻を啜りながら、弱気なことを言っていると、更に痛いぐらいに厳しい小松の視線が向けられた。

 ビクリと躰を震わせた瞬間、軋むぐらいに抱き締められる。

 息が出来ない。

 だが、女としての喜びが駆け抜けた。

「ゆき……。私は君を愛していないことなんてなかったし、これからもそんなことはないんだよ……」

 掠れた声で小松は囁くと、更に深々とゆきの唇を奪ってきた。

「……んっ……」

 喉の奥から、思わず甘い声が零れ落ちてしまう。

 ゆきは小松を思い切り抱き締めながら、激しいキスに溺れてゆく。

 キスに夢中になり、ゆきは何も見えなくなる。

 何度も何度も唇を重ねて、甘い水音を響かせながら、ゆきは何度もキスをした。

 こんなにも何度も激しいキスをするのは、初めてだ。

 小松とは深いキスをすることもあるけれども、これほどまでに何度もキスをしたことはなかった。

 ゆきは息が出来なくなるまでの限界のキスを今まで知らなかった。

 痛いのに気持ちが良いキスなんて、今まで知らなかった。

 意味ありげに、小松の背中を何度となく撫でながら深いキスをしてしまう。

 きっと今までこのようなキスをしてこなかったのは、ゆきのことを、小松が気遣ってくれたのだろう。

 まだまだ“女の子”の枠から出ないゆきに。

 小松の唇が離れて、ゆきは潤んだ瞳を真っ直ぐ向ける。

 キスの後、ゆきは潤んだ瞳をただただ小松に向けた。

 まだ息苦しくて、ゆきは胸を上下させながら何度も深呼吸をする。

「……君を愛していないことは一度もないことは、解った?」

 低い声で囁かれて、ゆきは耳まで真っ赤になりながら、コクリと頷いた。

「良い反応……。じゃあ行こうか」

 小松はまた余裕があるように笑うと、ゆきにシートベルトをして、直ぐに出られるように準備をしてくれた。

 キスの余韻が熱過ぎて、ゆきはまだぼんやりとしている。

 こんなに激しいキスをしてくれるということは、やはりゆきを愛してくれているのだろう。

 車が静かに動き出す。

 ハイブリッドカーだから、とても静かだ。

 ちらりと横目で小松を見ると、先程のキスなんてなかったことのように、落ち着いている。

 ゆきは深呼吸をすると、前を見つめた。

 こちらはこんなにもドキドキしているというのに、小松はと言えば、全くクールなのだ。

 それが経験値の差なのか、ゆきはほんの少し悔しかった。

 車は静かに走り抜ける。

「小松さん、どちらに行くんですか?」

「さあね。内緒だよ」

 小松はいつもの余裕を滲ませて言うと、ハンドルを切った。

 あんなキスをしても余裕を失わない。

 それが大人の男の余裕だというものなのだろうか。

 小松の車は高級マンションの駐車場に停められる。

「さあ、降りて、ゆき。目的地変更だ」

 小松はさらりと言うと車から降りて、ゆきの手を引く。

 そこは小松が住む高級マンションには間違いなかった。

 ゆきは余り訪ねたことはなかった。

 小松がそのチャンスを与えてはくれなかったからだ。

 恐らくはゆきを近付けたくはなかったのかもしれない。

 小松はゆきの手をしっかりと握り締めたままで、自室へと向かった。

 

 小松の部屋はとても合理的でシンプルだ。

 無駄なものは一切排除されているようにしか見えない。

 ゆきはこの空間には、自分の居場所なんてないのではないかと、思わずにはいられなかった。

 小松の城に、自分の場所が見つけられないのは、ゆきにとっては寂しいことだった。

 ゆきが部屋の片隅で小さくなっていると、小松が温かなカフェオレを持ってきてくれた。

「どうぞ、ゆき」

「有り難うございます、小松さん」

 リビングのサイドボードの上には、小松らしい薩摩切子のグラスが綺麗に並べられている。

 まるでギャラリーのようで、とても綺麗で、ゆきは思わず見つめてしまった。

「薩摩切子、綺麗ですね」

「まさかこちらでもお目にかかるとは思わなかったけれどね」

 小松は嬉しそうに穏やかな笑顔を浮かべる。

 とても小松らしい笑顔で、あの世界にいた時と同じような笑顔が、ゆきは嬉しくてしょうがなかった。

「小松さんは薩摩切子を見つめていると、とても優しい顔をされますね」

「そうかな? やはり故郷のものとかなり似ているからかもしれないね……」

 小松のまなざしはこの上なく優しい。

 優しい笑みを見つめていると、ゆきはそれだけで何だか嬉しくなった。

「薩摩切子を見つめていると、いつまでも飽きませんね」

 ゆきは静かに言うと、熱心に眺める。

 麗しい工芸品は、日本の凄いところだと、ゆきは思う。

「カフェオレを飲みながら、のんびりと薩摩切子を眺められるなんて、最高に嬉しいです。小松さん、どうも有り難うございます。良いものを見せて貰いました」

 最初は、この合理的で無機質な部屋が、とても落ち着かなかった。

 だが、こうしてゆきは、自分の場所を見つけられたのが、本当に嬉しかった。

「薩摩切子を見つめていると、温かな気持ちになりますよね」

「そうだね」

 小松は掠れた感きわまったような声で言うと、いきなりゆきを背後から抱き締めてきた。

「こ、小松さんっ……!」

 いきなり情熱的に抱き締められて、ゆきは思わず焦ってしまった。

 甘く焦る度に小松の抱擁は、更にキツくなる。

 ゆきは鼓動が締め付けられるような気持ちになった。

「……君が薩摩切子を愛してくれて、凄く綺麗に横顔で見つめてくれているのはとても嬉しい……。けれども、何だか嫉ける……。私の部屋にいるのに、どうして君は他のことばかりを考えるの?」

 小松は苦しげに言うと、唇をゆきの首筋に押し付けてくる。

 甘さの滲んだキスに、ゆきは息苦しくなる。

「……だって……。ここには私の居場所はないように思えたから……」

 ゆきが声を絞り出すように言うと、小松はいきなりゆきを抱き上げる。

「あ、こ、小松さんっ!?」

 ゆきが焦るように言うのも構わずに、小松は奥の部屋へと向かう。

 そこはベッドルームだった。





マエ モドル ツギ