中編
「藩邸に行くから」 「は、はい」 小松に手を取られて、ゆきは籠に乗せられる。小松はといえば馬に乗ってそばについていてくれる。 話したいのに話せない。 ゆきがもどかしく思っているうちに、藩邸に到着してしまった。 「ゆき、行くよ」 「はい」 籠の御簾を開けられて、小松によって籠から降りる。 こうして手を取られると、エスコートされているようで嬉しかった。 藩邸に入り、小松にしっかりと手を取られて、ゆきは屋敷の奥へと向かう。 「あ、あの、小松さん、私は何をすれば良いですか?」 「君は私の横にいて、ただ微笑んでくれていたらそれで良いから」 綺麗に着飾って貰った上に笑っているだけで良いなんて、ゆきには益々訳が解らない。 小松が何を考えているのかを全く酌むことが出来なくて、ゆきはただ小首を傾げることしか出来なかった。 「小松さん、私はそれだけで良いのですか?」 「それだけで良いよ、本当に」 小松はいつも以上に素っ気無いイジワルな声で呟くくせに、ゆきの手はしっかりと握り締めたままだ。 その力強さに、ゆきは鼓動が激しく高まる。 「その代わり、良家のお姫様に見えるように、背筋を伸ばして淑やかにしておいて」 小松はそれだけを言うと、チラリとゆきを見た。 そのまなざしは、何処か値踏みをするように感じられる。 「……ゆき、君はやっばりただ黙っていたほうが……いや……」 小松は一瞬、目の周りを真っ赤にさせながら呟く。 照れているのだろうか。 だが、ゆきにはその辺りがよく分からなくて、ただ黙っていた。 というよりは、ゆきには余裕がなかった。 まさか小松が照れるだとか、余裕がないだとかは、ゆきには考えられないことだったからだ。 ほんのりとドキドキしながら、ゆきは背筋をきちんと伸ばして、小松に寄り添うように着いていった。 客間の前に来ると、小松は仕事のモードにスイッチが入り、厳しくも冷徹な表情になる。 小松が客間前に立つと、屋敷の者が恭しく襖を開けた。 「ご家老様のお成りでございます」 襖が開けられて、ゆきは驚いてしまう。 そこにはいかにも上級武士と、初老のピシリとした女性、その上、ゆきと同じように美しく着飾られた女性がいた。 美しく気位が高そうな雰囲気を持った女性で、ゆきと年齢はそんなには変わらないように見えた。 だが、精神年齢は高そうに見える。 誰かを支えるにはぴったりな武家らしい女性だ。 背筋がしゃんとしてして、小松を支えるには、もってこいの女性のように見えた。 胸が苦しい。 女性は明らかにゆきを敵対するようなまなざしで、じっと見つめていた。 明らかなお見合いの席だ。 小松ぐらいになると、当然のことながら家柄を重視することになるだろう。 そう考えると、小松がゆきに恋をしないことは当然だとすら思ってしまった。 この場を逃げ出してしまいたい。 なのに小松はゆきの手をしっかりと握り締めたまま離さない。 チラリと小松の整った横顔を見つめると、いつも以上にクールに見えた。 だが、ゆきを離さないとばかりに、繋いだ手はしっかりと結ばれている。 逃げないで。 無言のままで、そう言われているような気がして、ゆきはならなかった。 「小松殿、こちらの方はどなたですか?」 何処か苛々しながら、上級武士はゆきを見つめている。視線は、まるで邪魔者だと囁いているようにすら思えた。 だが怯まない。 小松がしっかりと手を握ってくれているから。 「ああ、失礼致しました。こちらは龍神の神子」 上級武士とは違って、小松は余裕の笑みすら浮かべてゆきを紹介する。 “龍神の神子” 聴いた瞬間に、見合いの席がざわつき始める。 「神子殿は、私の大切な人ですよ」 さらりと小松は言ったが、大胆な一言に、ゆきは鼓動が早くなる。 ドキドキし過ぎてしまい、酸欠になってしまいそうだ。 「龍神の神子だのお戯れを、ご家老様。あんなものは御伽草子の中のものだと」 上級武士は慇懃無礼に言うと、ゆきを見る。 「現実が見えていないようですね。あなたは。怨霊や陽炎を封印している神子の存在がいることは、既に周知の事実です」 小松はキッパリと言うと、上級武士を見据えた。 「神子として大切な方なのですか」 武士は焦るようにして言ったが、小松はそれを赦さないとばかりにクールな表情を変えなかった。 「いいえ。神子殿をひとりの女性として大切に思っています。私は彼女以外は娶らないと決めています。それだけです。失礼しました」 小松を冷たく言い放つと、部屋から出てゆく。 胸がドキドキし過ぎてどうしようもない。 何だか駆け落ちでもする気分だ。 静かに藩邸を出たが、その瞬間、小松が駆け出す。 ゆきもまた駆け出したいぐらいに恥ずかしかったので、ちょうど良かった。 「ご家老! どちらへ!」 「ゆきと京見物をしてくるから、先に帰っていて良いよ」 「ご家老」 家来が言うことも聞かずに、小松は駆けてゆく。 こうしてしっかりと手を繋いで走ると、ゆきは嬉しくて、つい笑顔になってしまう。 本当に幸せな瞬間だった。 暫くして、ふたりは走るのを止めて、お互いに顔を見合わせて笑った。 「何だか楽しいです、小松さん」 「そうだね、私も子どもの頃に戻ったようで楽しかったよ」 小松は清々しい笑みを浮かべると、ゆきを見つめた。 ふと、ふたりの顔があう。 「ゆき、言葉通りに、京の町を散歩しようか」 「はい、嬉しいです。小松さんと一緒に、町を散歩出来るのが楽しいです」 「何処か行きたいところはあるの?」 「小松さんのお勧めの場所がありますか?」 「ここからだと下鴨神社が近いから、下鴨神社にでも行く?」 「はい! また、連理の枝が見たいです」 「じゃあ行こう」 連理の枝のようにいつか小松と寄り添うことが出来たら良いのにと、ゆきは思わずにはいられない。 ふたりで手を繋いで下鴨神社へと向かう。 こうして綺麗に着飾って貰って、京の町を回る。とっておきのデートをしているみたいで、ゆきは嬉しい。 ふとじっと小松に横顔を見られているのに気付く。 ゆきは恥ずかしさについ頬を紅くしてしまう。 「……このまま、屋敷に戻りたくなる」 「え? 小松さんは楽しくないのですか?」 ゆきは一瞬、不安になる。 やはり不安になってしまうのは、それだけ小松が好きだということなのだろう。 「……いや。閉じ込めたくなるぐらいに、君が綺麗だから」 小松には珍しく、照れ臭いような表情を浮かべている。 それがとても可愛かった。 「私はこうして小松さんと一緒にいるだけで嬉しいですから」 ゆきがドキドキしながら小松に言うと、いきなり手をギュッと握り締められた。 「連理の枝を見に行こうか」 「はい」 連理の枝。 その不思議な愛の枝に、今日こそは願をかけることが赦されるかもしれない。 連理の枝のように小松と寄り添うこと。 ゆきの今の密やかな願いでもある。 ゆっくりと歩いて連理の枝へと向かう。 ゆきは糺の森に発生するロマンティックな枝の前で足を止める。 この枝ほどゆきにロマンティックを教えてくれるものはないのではないかと思う。 「連理の枝って理想です。ずっとこうしていられたら幸せだってそう思います」 「そうだね……」 小松は一瞬、切なげに呟くと、ゆきの手を強く握り締めてくる。 その力強さに、ゆきはときめきを感じた。 |