*愛人契約*

19


 身体がほんのりと重いのを感じながら、ゆきは目を開けた。

 重いのに満たされていて、何だかとても幸せだ。

 ゆきは視線を横にしてハッとする。

 そこには、小松が穏やかな表情で微笑んでいた。

「……あ、小松さん……」

「おはよう、ゆきくん」

「おはようございます……」

 小松の眩しい笑みにドキドキしてしまい、ゆきは真っ赤になってしまう。

 昨日のことが生々しく甦ってきて、ゆきは恥ずかしくて、隠れてしまいたくなった。

「本当に可愛いね、君は……」

「……ゆき」

 小松はクスリと笑って、まるで羽根のようなキスを唇にしてきた。

 甘くて堪らなくて、思わず目を閉じてしまう。

「君は可愛すぎるね、本当に……」

 小松は、ゆきの柔らかな身体をしっかりと抱き締めてきた。

「ね、ゆき。君はもう、私からは逃げられないよ。解っているね?」

 小松は独占欲を滲ませながら呟くと、ゆきの耳朶を軽く咬んだ。

「もうすぐ朝食だから、起きようか?」

「はい……」

 ゆきは鼓動を速めながら、柔らかく頷くことしか出来ない。

 小松はクスリと笑うと、ゆきの唇にキスをしてくれた。

 

 朝食を食べながら、ゆきは下半身のほんのりとした違和感に、思わず顔をしかめてしまう。

 何もかも初めてのことだから、ゆきは恥ずかしくて堪らなかった。

「今日は余り歩き回らないほうが良いかもしれないね」

 小松に気づかれてしまい、ゆきは恥ずかしくてどこかに消えてしまいたくなった。

「私は誇らしいけれど?」

 クスリと笑い、小松はふわりとゆきを柔らかく抱き締めた。

「本当に君は可愛すぎるね」

 小松に可愛いと言われるのが嬉しくて、ゆきは恥ずかしいのに嬉しい、どこか面映ゆい気分だった。

 

 宿を出た後、小松と二人で手を繋いで、小さな町を散歩する。

 小松はあくまでゆきのペースに合わせてくれている。それが恥ずかしいのに嬉しい。

 こうして小松と手を繋ぎながら、ただ歩くだけが、幸せで楽しかった。

 歩くだけで楽しめる。

「ゆき、何処か一緒に行きたいところはないの?」

「あ、あの、直ぐには思い付かなくて……。こうしているだけで幸せで……」

 ゆきが本音を言うと、小松はまたクスリと笑った。

 小松もまた微笑んで、幸せそうな表情を素直に表してくれる。こんなにも素直な表情を見るのは初めてだった。

 ずっとこうしていられたら良いのにと思わずにはいられない。

 こうしていると、小松とは本当に愛人契約なのかと、思わずにはいられない。

 こうしていると本物の恋人同士だと、幻想を抱かずにはいられないというのに。

 愛人。

 その言葉がゆきには重くのし掛かって、急に黙りこんだ。

 愛人と言う立場であるから、ずっとこうしてはいられないのだ。

 いつかは破綻がくる。

 そう思うだけで、ゆきの胸は苦しくなった。

「どうしたの?急に黙りこんで」

「……小松さん、海が見たいです」

「海が見たいの?解ったよ。海を見に行こうか」

 小松は握り締める手を、更に強く握り締めると、ゆきを美しい海へと連れていってくれた。

「潮の香りがとても気持ち良いですね」

 ゆきは、つい、はにかんだ笑みを浮かべてしまう。

 海は、産まれたダークな感情をかき消すには、ちょうど良かった。

 ゆきは深く深呼吸をすると、つい笑顔になる。

 そのまま真っ直ぐ、海を見つめる。

 いつまで小松とふたりでこうしていられるのだろうかと、強く感じる。

 ゆきはしっかりと結ばれた、小松の手を意識しながら、真っ直ぐただ海だけを見つめた。

 ずっと小松のそばにいたい。

 だが、それは叶わないことななだろう。

 それを考えるがゆえに、ゆきは気持ちを更に重くさせた。

 不意に小松に背後からしっかりと抱き締められる。

 苦しいぐらいに強く抱き締められて、ゆきは思わず喘いだ。

 まるでゆきを何としても逃がさないとばかりに、強く抱き締めてくる。

 息が出来ない程の抱擁に、ゆきは驚いて動けない。

 小松に、これ程までにしっかりと抱き締めらるなんて、これまで無かったのだ。まるでゆきを金輪際絶対に離さないとばかりの、強い意思を感じた。

「……何処にも行かせないから」

「私は何処にも行きませんから」

 小松が望んでいるならば、何処にも行かない。だが、小松が離れたいというのならば、それは致し方がないとは思っている。

 しょうがないとは思っているのだ。

「ゆき、私は君を絶対に離す気はないからね」

「はい」

「だから、そんな何処かに行きたいような目で海を見るのは止めなさい」

 小松があからさまに不安のようなことを言うなんて、初めてだった。

 それ故にゆきは嬉しい。

 つい、甘えてみたくなって、小松に背中を任せた。

 すると小松は、更にゆきをしっかりと抱き締めてくれる。

 ドキドキしながらも、ずっとこうしていられたら良いのにと、ゆきは思った。

 この瞬間が幸せで大事なのは解ってはいる。

 だが、つい未来のことを考えてしまった。

 

 海の散歩も終わり、いよいよ帰る時間だ。

 小松の車に乗り込んで、ゆきは幸せで何処か切ない気持ちになった。

 重苦しいのに幸せなのは、この時間が消えてしまうからだろう。

「どうしたの?」

「楽しい時間は直ぐに終わってしまうんだと思っただけですよ」

「そうだね。だけど、また、来れば良いよ」

「そうですね」

 本当にそうなれば良い。

 愛人を越える立場になって、小松と二人きりでいられたら良いのにと、ゆきは強く願った。

「また来よう。君がこんなにも楽しんでくれるのならば、私もかいがあるというものだよ」

「有り難うございます。楽しみにしていますね」

 ゆきは笑顔になると、小松を見つめた。

 夢のようなリゾート地から、現実的で無機質なジャングルへと戻っていく。

 この町でも、ゆきはずっと小松に寄り添っていたい。

 誰よりも近くにいたい。

 そんな想いが強くなる。

 薩摩グループに就職のエントリーをするのも、ひとえに小松と一緒にいたいからだ。

 本当にそれしかない。

 小松のそばにいられたら、ゆきはそれだけで嬉しかった。

 それ以上の喜びは他にはないのだ。

 小松の家に戻ると、ホッとしたと同時に、寂しい気持ちになる。

 だが、小松がそばにいるから、寂しい気持ちは半分ぐらいになった。

「ゆき、今夜からどうするの?」

「どうするって、あの……」

 ゆきは、小松が何を訊いているのか意味が分からなくて、小首を傾げてしまった。

「今まで通りなのか、それとも今夜から私と一緒に寝室を共にするのか、どっち?」

 小松はあくまで冷静に訊いてくる。

 まるでどちらでも良いとばかりに。

 ゆきは甘い緊張を覚えながら、即答できなかった。



マエ モドル ツギ