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個室のある、静かで誰にも邪魔されない、日本料理店を、話し合いの場所に設定してくれた。 これはかなり有りがたかった。 とはいえ緊張しすぎて、ゆきは全く落ち着かなかった。 本当にどうして良いのかが、解らない。 それよりも、大きな壁がある。 果たして、小松には妊娠していることをどのようにして告げれば良いか。 それよりも、そもそも、告げるか、告げないかの決断も、ゆきの中では出来てはいなかった。 様々な想いが、ゆきのなかで交錯してしまい、パンクしてしまいそうになる。 正直言って、全く、余裕がなかった。 ゆきは小松の顔をまともに見ることが出来ない。 「どうしたの?落ち着かない?」 小松はかなり落ち着いているようで、とても静かな雰囲気だった。 それに比べて、自分は全くダメダメだと、ゆきは思った。 余裕がないうえに、何も話せないなんて。 「……そんなこと、ありません」 「ゆき、そんなに堅苦しくならないで。私は、君と腹を割って話がしたいだけだから……」 「はい」 腹を割って話すなんて、なんて皮肉な話なのだろうか。 ゆきは居心地の悪さを感じながら、頷くしかなかった。 「ゆき、君は、薩摩グループの面接を断ったよね。どうして?」 小松は遠回しに訊くのが嫌なのか、ストレートに訊いてきた。 「ご縁がないと思ったからです」 それにもう働ける状態ではないからだ。 小松にはもう言わないほうが良いのかもしれないのだ。 「縁がない……、か。確かに、私が、君にしたことは大人げなかったとは思う。君は、薩摩グループに、自分の力で入りたかった。というだけなんだろうけどね」 小松はフッと冷たく鋭い瞳を曇らせた。 「……確かに、そうです。自分の力で試したかったんです。コネで入るのは嫌だったから……」 「ゆきくん、君らしいね」 小松は静かに頷く。 「だけど、もうそれも良くなりました。頑張れるところは、薩摩グループだけではないですから」 ゆきは自信を持ってそう言い切ることが出来た。 「本当に君らしいね。だから、今回のことは断ったのかな?」 小松の言葉に、ゆきは頷く。 嘘を吐いているのは自覚していた。 だが、しょうがない。 「そうです。お話はこれだけでしょうか?」 ゆきはあっさりとした口調で言う。 「いいや。そんなことで、私が、わざわざ、君を待ち伏せしたりすると思う?」 「それは……」 確かに、合理主義の小松が、このようなことぐらいで、ゆきをわざわざ待ち伏せなんてしない。 「小松さん、用件は……」 「簡単なことだ。私のところに戻って来なさい」 小松はキッパリと言い切る。まるでゆきが自分の所有物だとばかりに。 これには驚く。 ゆきがあからさまに驚いた表情をしたからか、小松は厳しい眼差しになる。 「契約は続いているよ。だからこそ、君のご両親の会社の立て直しにも協力しているんだから」 小松はクールに言うと、真っ直ぐゆきを見た。 まるで支配者のような小松の眼差しに捕らえられてしまうと、ゆきは追い詰められたような気持ちになる。 小松からは逃げられない。 「……なら、どうして、私を直ぐにご自分のところに呼び戻そうとされなかったんですか?」 ゆきは自分でも解っている。 直ぐに迎えに来て貰えたら、こんなにも重苦しい気持ちにはならなかったと。 「……私が、迎えに行ったら、君は直ぐに私のところに来た?」 小松はゆきの心を見透かすように、ただ見つめてきた。 息苦しいほどに切迫した眼差しを向けてきた。 「ゆき、君は私のところに戻るのは嫌?」 小松はやはり遠回しではたく、率直に訊いてくる。 嫌かと言われたら、正確には嫌ではない。 妊娠していることを知らなければ、きっと直ぐにでも戻って来ただろう。 だが、妊娠しているのは、もう、紛れもない事実なのだ。 それを上手く伝える言葉が見つからない。 ゆきが黙っていると、小松は更に厳しい表情を浮かべる。 何処か怒っているように思えた。 「ゆき、黙っていては伝わらない」 まるで駄々っ子をたしなめるかのように、小松は言う。 それでも、妊娠していることを上手く伝えられない。言葉が見つからない。 どうして良いのかが解らなくて、ゆきは更に唇を噛んだ。 「何か言えない事情でもあるの?君は明らかに、何かを隠しているようにしか、見えないけれど」 小松の鋭い指摘に、ゆきは心臓が飛び上がってしまうのではないかと思った。 ドキドキし過ぎて、ゆきは緊張が抜けなかった。 「……小松さんは、私を、どうして、そばにいさせたいと思ったのですか?エントリー用紙を破られた時は、もう私のことなんて、いらないんだろうなあって思いましたから……」 本当にそのような雰囲気だった。 ゆきなんていらないと。 それに、恋人が他にいるのならば、そのひとのそばにいることを、優先して欲しいと、ゆきは思う。 それぐらいに好きすぎる。 ゆきは切なくて、苦しくなって、泣きたくないのに、涙が零れ落ちた。 「ゆき……」 今までとても冷静だった小松が、明らかに切ない表情を浮かべた。 そのまま抱き締められて、ゆきら逆に驚いてしまう。 まさか小松がこのようなことをしてくるなんてないと思っていた。 久々に小松に抱き締められて、ゆきは幸せの余りに胸がいっぱいになった。 ずっとこの温もりに抱き締められていたかった。 ずっとこの温もりを感じたいと思っていた。 これほど欲しいと思っていた温もりは他にはない。 抱き締められるだけで、幸せと安堵が一気に沸き立ってきた。 「……ゆき、君をいらないなんて思ったことは、一度としてないよ……。少なくとも、私はね……」 小松は、更にしっかりとゆきを抱き込んでくる。 この腕から、もう離れられたいと思った。 小松の温もり以外に欲しいものなんてないと、ゆきは思わずにはいられない。 やはり、小松が必要なのだ。 小松がいれば、他は何を失っても構わないほどに。 「……エントリー用紙を破ったのは、理由がある」 小松がようやく口を開き、ゆきは思わず顔を上げた。 「どうしてですか?」 ゆきが訊いた瞬間、障子戸を柔らかく叩く音がした。 「お食事の準備が出来ました」 仲居の声がして、ゆきと小松は、とっさに離れる。 「どうぞ」 小松は外にいる中居に声をかける。 「続きは後で……」 「はい」 ゆきはドキドキして、早く続きが聞きたいと思った。 |